154話 決関ケ原2
井伊直政の部隊が田中吉政の部隊とぶつかったのを皮切りに、次々と他の部隊も敵勢との戦いがはじまった。
松平秀康の軍勢もまた、豊臣秀次配下の軍勢とぶつかっていた。
「やれ、やれーっ」
秀康の指揮の元、兵達は秀次配下の軍勢と必死に戦う。
秀康も気性は荒いが、暗愚の将ではない。勇猛果敢な男だ。その秀康に感化されたかのように、秀康軍の勢いは凄まじかった。
中村一氏の部隊だけでは足りないとみて、秀次は堀尾吉晴の部隊を送り込む。だが、それでも押されていき、遂には秀次本隊からも兵が送り込まれる。
しかし、それでも秀康の勢いは止められなかった。
秀次勢は少しずつ、だが確実に後退していく。
この場は完全に秀康軍が戦場の空気を支配していた。
しかし――。
「殿! 前に出すぎではっ」
他の部隊と比べ、前衛に出すぎな事に気づいた本多富正が警告するように言う。しかし、秀康はその諫言を受け入れる事はなかった。
「構わん! 戦に危険はつきものじゃっ」
手柄に強く執着する秀康にとって、聞き入れられる事ではなかったのだ。事実、この戦場は秀康優位に進んでいたのだ。
だが、ここで秀康の目に不快なものが映る。
……あれは――真田か。
秀康の内心が、瞬く間に怒りに染め上げられる。
かつて、上田城で屈辱を味あわせた真田の旗が視界に入ったのだ。
この戦いで真田信繁は、秀次の軍勢の近くに配置されており、秀次軍不利と見て加勢に来ていた。
「確かあの時、生かしてやった倅の方か……」
ちっ、と小さく舌打ちする。
……あの時、助命してやった恩も忘れて太閤に飼われてまた儂に嚙みついてこようとは。
その真田昌幸の子である信繁の軍勢と知って、秀康は決意したかのように言う。
「皆の者、あの真田のところを集中的に叩けいっ」
鬼気迫る、松平秀康の言葉である。
「し、しかし。秀康様、やはりこれはあまりにも、突出しすぎ……。これ以上前に出てしまえば、敵勢に包囲される事になりかねませんぞ」
富正が再び懸念を示した。
「構うものかっ。そのような事になれば、儂自らが敵勢を皆殺しにしてくれるっ」
「秀康様……」
あまりにも、鬼気迫る秀康の様子に、富正も即座に言葉が出てこない。
長年、秀康の傍に仕えた富正にその気持ちは、痛いほどわかる。
だが、あまりにも今の秀康は無謀に思える。
「戦はまだ始まったばかりでございます。何卒……」
「ならんっ」
富正の言葉を秀康は一喝する。
「お前まで儂に歯向かうかっ」
「……」
抜刀しかねない勢いで、秀康が立ち上がる。
そして、富正の次の言葉が出るよりも先に伝令に命じてしまった。
「よいな、既に決めた事だ。前に出るよう伝えいっ」
伝令が一瞬、富正の方にこのまま動いていいのかと訊ねるように視界を動かす。
だが、ここでも秀康は強く一喝した。
「とっとと行けっ」
「は、はいっ」
秀康の命令とあっては、単なる伝令にこれ以上異を唱える事はできない。すぐに立ち去った。
後には不安げな富正を傍らに、血走ったような眼で戦場を眺め続ける秀康が残された。
秀康同様に、手柄に執着する男がいた。
常陸の大名、佐竹義宣である。
「何としても手柄をあげよっ」
義宣は、かつて50万石の大大名の地位にいたにも関わらず、今は10万石の中堅大名にまで格下げされてしまっていた。
天正大乱の際、日和見した態度を問題とされた為だ。
最も、理由はそれだけでなく江戸に本拠を移す事を決めた徳川家の近くに反徳川色の強い大大名を残したくなかったという理由もあったのだが。
いずれにせよ義宣は単に領国を減らされたというだけでなく、家臣からの信頼も失った。
――義宣は当主は当主の器にあらず。
むろん、面と向かって言われた事はない。だが、家臣達からそういった思いの込められた視線が向けられているように感じていた。
その悪評を払拭しようと、義宣の表情は鬼気迫るものがあった。
……確かに、あの時の判断は儂の大きな過ちだった。
義宣は強く後悔するように、唇を噛みしめる。
……だが、この戦いで手柄を立てれば右府も家臣共も儂を認める。いや、認めざるをえなくなるっ!
宇喜多秀家の部隊に、本多忠勝や真田信之と共にぶつかっていく。
「やれ、やれーっ!!」
義宣自ら槍を振るっての奮戦である。
それに感化されたかのように、佐竹隊の勢いは凄まじいものがあった。
その義宣の相手をするのは、秀家家臣の明石全登だった。
その全登にも、野心があった。
それは、キリシタンの事だ。
秀家はキリシタンに寛容だし、正室もキリシタンだ。
しかし、秀吉は禁教令を発している。
キリシタンに付随してくる、南蛮国の脅威を危惧しての事だ。
秀吉が天下を完全に掌握してしまえば、もっと完全な形でキリスト教を締め出しにかかるだろう。
……だが、殿下は。
おそらく、長くない。
そうなれば、後継者の秀頼がまだ幼い以上、実質的に力を持つのは豊臣秀次。そして、秀吉の元養子でなおかつ大大名の地位にある小早川秀秋、そして――。
……我が主君、宇喜多秀家様。
全登は心中で続ける。
……殿下亡き後は、殿下の元養子である秀家様の発言力があがる。この戦いで我らが手柄を示せば猶更じゃ。
毛利輝元や上杉景勝は、どこまでいっても外様。
石田三成や長束正家は、あくまで奉行。そこまでの力はない。
実質力を持つようになるのは、秀次、秀秋、そして秀家だろうと全登は考えていた。
……秀家様はキリシタンに好意的。その秀家様が実権を握れば、キリシタン禁教令を大きく緩める事ができるかもしれん。
その為に、必要な事は。
……勝利する西軍に組するのではない。我ら宇喜多が西軍を勝利に導くのじゃっ!
佐竹義宣と同様にまた、彼にも負けられない理由があったのだ。
真田信之の部隊は、中村一氏の部隊に押され気味だった。
だが、それでも迂闊に下がるわけにはいかない。
……このままではまずい。
信之に、焦慮の念が募る。
信之の父である昌幸は、かつて織田信孝に組し、徳川家と敵対した。
その昌幸は既に切腹しているが、弟の信繁は敵としてこの関ケ原の戦場にいた。
真田が徳川家の――というより、秀康に強い敵意を抱かれている事を信之も察しているのだ。
秀康が家督を継ぐ可能性は低いといっても、家康の子で、しかも30万石を領する有力大名である事に代わりはない。
その秀康に、そして徳川家に忠誠を示す為にも無様なところは見せられないのだ。
かつての天正大乱ではそれなりの武功を示し、家康の重臣であり本多忠勝の娘を娶った今でもそれは変わらない。
「殿」
傍らから、家臣の矢沢頼康が不安げに声をかける。
「心配ない。儂は家臣や兵共を信じておる。そう簡単に負けんとな。それに、義父上も、すぐ近くで踏ん張っておられる」
信之の正室の父親である本多忠勝もまた、すぐ隣で堀尾吉晴の部隊と戦っていた。
こちらは、忠勝の部隊が押し気味だった。
「だから、お前達も儂を信じて戦ってくれ」
一方、相対する中村一氏も、この戦いにかける思いは強かった。
……これが最期の奉公になるかもしれんからな。
秀吉同様に、一氏も病を患っていた。
寿命が長くない事も悟っていた。
そして、彼も秀吉と同様の悩みを抱えていた。
……だが、このまま儂が死んでしまえばまずい事になる。
彼の跡を継ぐ子供はまだ幼く、場合によっては取り潰しという事もありえる。
……そうならぬ為にも!
ここで武功を。
一つでも多くの恩を豊臣家に売りつける必要があった。
そんな一氏配下の将達は、一氏の思いに感化されたかのように凄まじい勢いで戦っていた。
特に、「槍の勘兵衛」として知られる渡辺了の奮闘には凄まじいものがあった。
「はっ、他愛がないわっ」
とにかく、強く真田勢を押していた。
そんな中、彼はこう考えていた。
……ま、殿の最期の晴れ舞台になるかもしれんしの。この戦を中村家に対する儂の最後の奉公とするか。
この時代の武士の基本的な考えとして、家そのものに対する忠誠などは薄かった。
彼ら武士にとって問題は、当主がどれほどの価値を自分に与えてくれるかだ。
見合った評価がつけられないと感じれば、何の躊躇いもなく出奔する。
特にこの渡辺了はその傾向が強い人物であり、これまでも阿閉貞征や羽柴秀勝など主君を替えて仕え続けた。
一氏の子(後の一忠)はまだ8歳。
器量も分からない相手に仕え続ける気は了にはない。
一氏の死没後に、出奔しようとまで考えていた。
だが、今の主君である一氏への忠誠心も確かにあった。
「はっ、他愛のないっ」
顔を血に染め、真田勢の死体を足元に突き進む。
「どうした、どうした! 真田には弱兵しかおらんのかっ」
「何を言うかっ」
真田勢も、負けてなるものかと勢いこんで攻め入る。
中村勢がやや優勢ながらも、一進一退の攻防が続く。




