150話 岐阜評定
遂に、徳川家康は岐阜城に入った。
同時に、東美濃や信濃、飛騨から池田輝政、金森長近、遠藤慶隆、森忠政、真田信之といった面々が合流する。
既に岐阜城入りしていた徳川秀忠軍を含めると、10万を超える軍勢に膨れあがっていた。
上座に、徳川家康が座り、それに次ぐ席には徳川秀忠。
その次に松平秀康が座る。
本多忠勝、井伊直政、榊原康政ら、徳川三傑を中心とした渡辺守綱、奥平信昌ら徳川家臣団がいる。
伊達政宗、佐竹義宣もいる。
本多正信・正純親子や土井利勝らもいる。
松尾山城や大垣城に入っている者を除けば、東軍首脳陣が勢揃いしているといっても良かった。
「――それでは、軍議を始める」
こほん、と小さく咳払いしてから家康が喋り始めた。
皆の視線の先には、美濃の絵図が用意されている。
「敵勢は――」
皆が注目しているのを確認した後、家康が話し始める。
「松尾山城を、およそ4万の軍勢で包囲。大垣城も3万ほどの軍勢で囲っておったが、こちらは囲みを説いて下がらせたと伊賀者から報告があった」
「ほう――」
これは最新情報だったらしく、驚いたような声が周りから漏れる。
「つまり――儂らは」
す、と家康は指先を「松尾山」と書かれた方へと動かす。
「松尾山城にいる金剛秀国の後詰めに全力を注げば良いだけじゃ」
「それで――」
正信が訊ねる。
「敵勢はどうなっているのですか?」
「うむ。これまで、関白に戦場を任せて太閤本人は佐和山城にいたようじゃが、儂が美濃入りしたのを確認してから、太閤も佐和山城から出たそうじゃ」
「ほう――太閤も合戦を決意しましたか」
「ふん。どうやら、戦場で秀吉の首が取れそうじゃの」
康政が言った。
元々、秀吉嫌いで有名な男だ。遂に首を取る機会が訪れて興奮気味なのだろう。
顔は紅潮している。
最も、この場にいるほぼ全員が似たようなものだ。
個人的な因縁などを無視しても、今回の戦いは前代未聞の大戦だ。10万もの大軍がぶつかりあう合戦――この国どころか、世界を見渡してもほとんど例を見ない歴史に名を残す戦いとなろう。
その当事者となれば、戦人として当然の事かもしれない。
「で、他の将達はどうなっておりますか?」
「戦場にいるのは、関白配下の近江やその近隣を中心とした者共が多いな。近江に所領を持つ石田三成、京極高次、田中吉政……」
一人一人名前を挙げていく。
「それに、北陸勢の前田利家、丹羽長重、大谷吉継……」
相次いで名前があげられていく。
「――右府様」
そんな中、伊達政宗が訊ねた。
「蜂須賀家政や仙石秀久ら四国勢の名がないようですが」
その言葉に家康はああ、と頷き、
「例の件に関与した疑いの濃い将達は、大坂城に留守居になっておるらしい」
豊臣家のみならず、徳川家でも半ば触れる事すら禁句になっている乗っ取り騒動の件が持ち出され、徳川側の神輿にされかけた秀康はす、と視線を逸らす。
それを気にする事なく、家康は口を動かした。
「九州勢も、有力大名で戦場にきておるのは小早川秀秋と小西行長ぐらいらしい。島津義弘はわずか2、3000ほどの兵しか引き連れておらんようだ」
「大友や龍造寺が挙兵しておりますからな。伊集院の乱も収まってはおりませんし、福島正則も加藤清正も下手には動けなかったのでしょう。それに、黒田長政も」
正純の言葉に父の正信がしかし、と続けた。
「長政の父親である黒田孝高は太閤の元に参じておるようですが。最も、その兵は500ほどのようですが」
「どこも一枚岩ではない、という事ですか」
「それより」
忠勝が言った。
「話を、この戦場の事に戻しましょうぞ。松尾山城も早い後詰めを待っているはず」
「そうよな」
康政も同意する。
「大垣城の包囲は解かれたと、鳥居殿から連絡があった。しかし、松尾山城は依然としてそのまま。何とかしてやらんとな」
「その為には――」
家康が小姓に指示を出し、美濃の絵図が用意される。
「松尾山」、「南天満山」、「笹尾山」といった山の名が書かれており、「中山道」、「伊勢街道」の文字の下には線が引かれている。
「太閤の軍勢を破る必要がある」
「はい」
「太閤は、大垣城を攻めていた部隊を撤退させ、我らを迎え撃つ態勢をを整えておる。しかも、数では幾らかあちらの方が多い」
「不利な状況ですな」
正信の言葉に家康も頷く。
「そうじゃ。だが、ここで引くわけにはいかん。松尾山城は、一日も早い後詰を待っておるのじゃからのう」
それに、と続ける。
「儂は万一に備えて切り札も用意してある」
「切り札?」
家康の言葉に忠勝は怪訝そうに聞き返した。
「数年前からこの時に備えて用意しておいたものがあるのよ」
「新型の大筒か何かですか?」
「さあ、どうであろうな」
ふふ、と家康は意味ありげに小さく笑った。
「――ところで」
正信が口を挟んだ。
「織田内府様の軍勢は――?」
その言葉に、しんと場が鎮まる。
織田信雄の動向に関しては今なお不明であり、注目されていた。
「南宮山に陣取ったまま、儂には害意がないと書状を送ってきておる」
家康の答えに、忠勝が不満そうな表情を浮かべる。
「なら、我らと合流するべきでござろう。何故、あのような場所に陣取ったままなのだ」
「左様。やはり、既に太閤側に着く気なのでは?」
彼らの疑念も当然である。
このまま、松尾山へ後詰めの為に中山道へと軍勢を動かせば、南宮山に2万もの兵を抱える織田信雄軍は脅威だ。
そのまま織田軍が敵勢と化せば、東軍は壊滅の危機に陥る。
「……」
家康も、それは理解しているがゆえに、何度も書状を送り続けた。
しかし、信雄の回答は変わる事はなかった。
「大坂城を、太閤の軍勢が占拠している現状では、内府殿も下手に我らに味方できんのじゃろう」
「しかし、このまま秀吉に組して我らに攻めかかってきたら――」
康政の懸念に、家康は首を横に振る。
「いや、これまで儂の誘いを拒んでおるとはいえ、内府殿は心情的には我らの味方じゃ。儂の敗北が決定的にでもならん限り、儂のところに攻めかかっては来ないじゃろ」
それに、と続ける。
「そこまで危機的な状況に陥れば、どちらにせよ我らは終わりじゃ」
その答えに、家臣達は顔を見合わせる。
「ですが、完全に警戒を解くわけにはいきませんぞ」
「分かっておる。故に、内府殿の軍勢の抑えとして――」
家康の視線が、奥に控える将達の方へと動く。
「渡辺守綱、水野勝成、北条氏勝――」
名前を呼ばれた将達がはっ、と返事をする。
「内府殿の抑えは任せる」
「承知致しました。万が一の時は、命を懸けて内府様の軍勢を止めてみせます」
守綱の言葉に、家康は小さく頷く。
「うむ。残りは、まずは死守した大垣城へと入り、すぐにでも軍勢を西に動かす。太閤や関白の軍勢が陣取っておるのもその辺りじゃ」
家康は、用意された絵図に指を乗せ、それをすっ、と動かす。
「垂井」と書かれた部分よりも少し横にずらす。
そして、宣言するように言った。
「戦場となる地は――関ケ原」




