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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第4部 天下を継ぐ者
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149話 家名存続

「粘りおるのう……敵も」


 総大将の豊臣秀次の下で松尾山城攻めを行っている前田利家は、床几に腰を下ろしたまま呟くように言った。

 傍らには、嫡子である前田利長も控えている


 松尾山城攻めの進捗は、停滞気味だ。

 にも関わらず、利家の顔にはさして悔しげな様子も焦る様子もない。


「少しばかり小腹がすいたの、喉も乾いた。何かもってまいれ」


「はっ」


 指示を受け、小姓がほどなくして簡素な食事と水を持ってくる。

 無論、ここは戦場であり大したものではない。が、利家はそれを満足そうに頬張り始めた。


「……父上」


 あまりにも呑気な様子の父を不信に思い、利長が訊ねた。


「父上は、松尾山城を落とす気はないのですか?」


「ん……」


 利家は口元に入れた米をごくりと飲み込んでから、


「何故、そう思う」


 水でそれを流し込みながら聞き返した。


「それは……」


 利長は一瞬言い淀む。


「私の知る、父上はもっと戦上手な方です。その父上が、これほどまで城攻めを長引かせるとは考えられません」


「それでは答えになってないのう。お前の買い被りであろう」


 ふふ、と利家は小さく笑う。


「では言い直しましょう。これでも、私はそれなりの数の戦場で父上の姿を見てきました。その時の父上には、敵と戦う気概とも言うべきものがありました。ですが、今の父上にそのようなものがまるでありません」


「うむ……」


 利長の言葉に、利家は暫し黙る。


「儂はのう……」


 ぼそり、と利家は語り始める。


「殿下とは、信長公から追放処分を受けた時からの付き合いじゃ。それなりに、思い入れもある。友誼もある。だが、今の儂は加賀・能登の二か国を治める前田家の当主じゃ。どちらに天下を取らせればいいか、儂は考える必要がある」


「……」


 利長は無言のまま、父・利家に先を促す。


「お主は、丹羽長重殿の事を覚えておるか?」


「は、はい。それはもちろん」


 丹羽長重は、この時点で若狭一国のみを領する小大名だ。

 だが、天正大乱が集結した直後では四ヶ国を治める大大名だった。丹羽長秀が死んだ直後、理不尽とも言える仕打ちを受けて領国の大半を没収されてしまった。その事は利長もよく覚えている。


「太閤はな」


 どこか寂しげに利家は続ける。


「結局のところ、武士ではない。これは生まれの事ではないぞ。その思考がの話じゃ」


「……」


「武士が、命を懸けてまで手柄を欲するのは、自分が命を落とそうとも、忠義を尽くせばそれに見合った褒賞を貰えるからじゃ。家に、自分の子に対してじゃ。家名というものはそれほどに重い。そして、それは自らが治める土地に住む民に対しても同様」


 す、と目を利家は目を細める。


「信長公も似たようなところがあったが、殿下はそれ以上に土地というものに大して執着がない。生まれた時から自らの領土として与えられ、自身を領主として慕う民に対する思い入れもない。太閤殿下にとって領地など、金子や茶器などと同様、恩賞の一種としか見ておらんのじゃ」


「それは……」


 何か反論の言葉を利長は探そうとするが、それよりも先に利家は口を開く。


「かつての信忠公の九州征伐の時、当時豊前の大名だった城井鎮房が伊予への加増転封を拒んだ時、『何故、加増の上での転封なのか理解できん』と言っておられた事もある。武士が持つ土地への思い入れというものを、まるで考えておられないのだ」


「それゆえに殿下を天下人にするのに不安があると?」


「まあ、な。徳川右府よりも太閤殿下の方が思い入れが強いし、個人の感情で言えば天下人になって欲しいと考えておる。じゃが、前田家当主としては、殿下が天下人になられた場合の未来に不安がある」


「父上……」


 利長は、この父の心が太閤・秀吉から離れつつあるのを理解してしまった。


「それでは、父上は太閤殿下を見限ると……」


「先走り過ぎぞ」


 ば、と利家は手を前後に振った。


「そこまでは言わん。まだ」


「……」


「仮に、儂らがここで殿下に弓引いたところで、潰されるだけの可能性が高い。いや、間違いなくそうなるであろう。あまりにも早計じゃ」


 利家はじゃが、と続ける。


「場合によって儂の最期の仕事となるのは――」


 その先は、利長には聞き取れなかった。

 意図的に、声を小さくしたのか。それとも無意識か。

 利長も聞き直そうとは思わなかった。






 一方、徳川家康は清州城に入った。

 既に三男の秀忠を岐阜城には入れたものの、忠吉には清州城へ待機命令を出した。

 忠吉は、家康の到着と同時に自分も岐阜入りするものと思っていた。

 だが、家康はそれを許さなかった。


「何故ですか、父上」


 不満そうに忠吉は父である家康に詰め寄る。

 この時、秀忠より1つ下の18歳。まだあどけなさの残る年齢である。

 秀忠とは友好な関係にあるが、秀忠が全く引き継がなかった、良く言えば勇猛、悪くいえば粗暴ともいえる祖父や曾祖父の特徴を強く受け継いでいた。

 それだけに、天下の決戦ともいえる戦場に連れていって貰えない事に強く不満を感じているようだった。


「落ち着け、忠吉」


「私は十分落ち着いています!」


 忠吉は顔を近づけ、怒鳴るように言う。

 そんな忠吉は家康は苦笑気味に見つめ、


「儂は、お前の事を高く買っている」


「では、何故清州城で待機せねばならんのですかっ」


「良いか、忠吉。これから先の戦場には儂だけでなく、お前の兄である秀忠も秀康もおる」


「そこになぜ、私だけが連れていっていただけないのですかっ」


「分からんか。徳川家の為よ」


「徳川家の?」


「儂は無論、勝つ気で戦に挑む。しかし、勝負事に絶対はない。万一、この戦で敗れた場合は我が軍は総崩れとなる。儂だけでなく、秀忠や秀康も無事に撤退できるとは限らん。その際――」


 一呼吸おいてから、家康は続ける。


「儂らが皆死ねばどうなる?」


「それは――」


 一瞬、忠吉の顔が硬直する。

 偉大な父と、それに敬愛する兄である秀忠。不仲ではあっても、猛将と評判の秀康が死ぬなど、忠吉には想像もつかない事だったらしい。


「――まだ、江戸城に残っている信吉がおります。辰千代も、松千代も、仙千代もおります」


 弟達の名前を忠吉はあげる。

 だが、家康は静かに首を横に振った。


「信吉は病弱じゃ。残念ながら、徳川家の当主としてまとめる事はできんじゃろう。辰千代達も、まだ幼い。遥か先の事はさすがに分からんが、少なくとも今の年齢で徳川家をまとめる事は不可能じゃ。儂ら三人に万一の事があった場合、徳川をまとめる事ができるのはお前しかおらん」


 ゆえに、と続ける。


「だからこそ、お前を残すのじゃ。その場合は、撤退してくる軍勢をまとめあげ、この濃尾国境で太閤の軍勢を迎え撃て。お前ならばできる」


「父上……」


 その真剣な様子に、忠吉から詰め寄った当初の勢いは削がれてしまった。

 すっ、と力なく座り込む。


「私に……できるでしょうか」


「やるほかない。そうなった場合、徳川の家督を継ぐ資格があるのはお前だけなのだからのう」


 その父の言葉に暫くの沈黙の後、忠吉はゆっくりと頷いた。


「……わかり、ました」


「うむ、しかと任せたぞ」


 家康は破顔し、言葉を続ける。


「占領したとはいえ、尾張は儂の領国というわけではない。内府殿の子である秀雄殿もここに残しておく」


「織田内府殿が我らに槍を向けた時に備えて――というわけですか」


 経験こそ不足しているものの、忠吉も頭の回転は速い。

 家康の言葉をすぐに理解して見せた。


「そのような局面がない事を祈るがな。丁重に扱え」


「分かっております」


 忠吉は頷く。


「それでは父上――お気をつけて」


「うむ」


 それ以上に言葉はいらなかった。

 家康は、この会話を最後に兵をまとめると、清州城を発った。


 向かう先は岐阜城――そして、家康の後詰めを待つ松尾山城である。

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