14話 関東征伐3
ついに関東征伐を決断した織田信忠であったが、それに対して北条の戦略はどうだったかというと。
上方の軍勢に対し、北条家の取った戦略は韮山城と、韮山城と山中城を防衛線として駿河から侵攻してくる上方勢を迎え撃つ。
そして、その防衛線で防ぎつつ箱根で一戦する。
箱根の地の利を生かす事によって、上方軍を叩きのめす。そして、防衛線を維持しながら、大軍を動員している事によって生じる弊害。
すなわち、大量の兵糧を織田軍に浪費させる。
それに、かつての上杉軍――上杉軍というよりは反北条連合軍とでもいうべき実態ではあったが――がそうであったように長陣となれば信忠に不満を持つ者も出よう。
武器弾薬も不足してくる。
その上で、優位な条件で和議を結ぶ。
下る時期を失した以上、それ以外に手はなかった。
もちろん、最良の結果を言えば、野戦で信忠の軍勢を打ち破り、信忠を始めとする織田軍団の幹部達の首をあげる事ではあったが、さすがに桶狭間のような奇跡が簡単に起きると考えるような夢想家は北条軍首脳部にいなかった。
いずれにせよ、織田軍は東海道を東進し、駿府城で最終的な軍議が開かれた。
出席者は、織田信忠、織田信雄、織田信孝ら三兄弟。それに、同盟者の徳川家康をはじめとする徳川家の重臣達。
それに、蒲生氏郷、滝川一益、池田恒興、森長可、筒井順慶、細川忠興、そして金剛秀国らである。
「上様、それでは最終的な確認を」
信雄の言葉に信忠は応じた。
「うむ。北条は、4万ほどの軍勢を小田原に集めたそうですな。徳川殿」
同盟者という事もあり、信忠の家康への口調は丁重だった。
「はい。伊賀者からの報告によりますとそれぐらいかと。それ以外は他の戦線に分散させているようです」
「我らはその三倍。城攻めも可能な戦力差ですな」
信雄が言う。
「はい。それに、大半は小田原城に詰めておりますゆえ、山中城や韮山城に籠る兵はさらに少ないようです」
「うむ……」
信忠が顎に手をやって考える。
「それに、伊賀者から他に気になる報知が」
「ほう。なんですかな」
家康の言葉に、信忠は関心を示した。
「どうも、当主の氏直と重臣達が屏風山に登ったという情報が。もしや、屏風山を本陣にして箱根辺りで一戦する気なのでは……」
屏風山は、山中城と小田原城の中間からやや山中城寄りの位置にある。
箱根で迎え撃つのであれば、迎撃軍の本陣を置く地として適している。
軽く場がざわめいた。
「現状、屏風山に北条兵は?」
信忠が訊ねた。
「特には。少なくとも、大軍勢では陣取っていません」
「……」
信忠は再び考え込む。
が、すぐに答えを出した。
「ならば、早いうちに山中城を落とすとしよう。そうなれば、屏風山の戦略的な価値も下がる」
「では山中城攻めを?」
信雄が訊ねた。
「うむ。駿豆国境の小城を落とし、私が自ら指揮をとって山中城を攻略する。韮山城もそれと同時に攻める」
韮山城には、北条一門の北条氏規が籠っている。
「こちらは、信雄が総大将だ。軍勢は3万ほどでいいな」
「十分です、兄上」
信雄が自身満々に答える。
氏規は優秀な将ではあるが、韮山城には2000ほどしかいないのだ。
「韮山城攻めには、一益、氏郷、順慶、忠興達をつける」
「ははっ」
名前を呼ばれた諸将が頷く。
「徳川殿は、私と共に山中城攻めに加わっていただけますかな?」
「もちろん、喜んで」
家康は頷く。
「信孝、恒興、長可、秀国。お前達は私と共に山中城攻めだ」
「承知しました」
秀国達も頷く。
「あまり時間はかけられん。だが、兵力差ではこちらが圧倒的に優位なのだ。手っ取り早く攻略するとしよう」
かくして、山中城攻めがはじまった。
織田信忠を総大将に、徳川家康、酒井忠次、石川数正、本多忠勝、榊原康政といった徳川勢を中心とした軍勢によって包囲された。
この城を守るのは北条氏勝。
長年北条家を支え続けている北条家の重鎮・北条綱成の孫である。
まずは降伏を促す使者を送ったが、あえなく拒絶された。
「ならば力攻めか」
「それしかないでしょうな。悠長に時間をかけるわけにもいきませんし」
信忠たちはそう結論を出し、城攻めを開始した。
元々、織田軍は大軍。
北条軍は小勢。
はじまる前から勝負はついているも同然だった。
有力な織田軍の諸将の大半は韮山城攻めの方に回っており、この山中城攻めの中心となっているのは徳川勢だった。
三の丸、二の丸から瞬く間に北条軍の姿が消えて変わりに織田軍や徳川軍の兵士達に埋め尽くされる事になる。
こうなると、もう次は本丸だ。
本丸へと、織田軍が切り込んでいき、乱戦となる。
本多忠勝の部隊が、格の高そうな甲冑を身につけた男を見つける。
「ほう、あれは……」
興味を持ったように、忠勝がその男に近づいてくる。
それに、相手も気がついたようだ。
忠勝の風貌をじっ、と見つめる。
鹿の角を思わせる特徴的な兜。
大きくて長い、これまた特徴的な槍。
どちらも、忠勝愛用の武具である鹿角脇立兜と蜻蛉切である。
「本多忠勝、か……」
それらの武具から、本多忠勝である事を察したらしい。
「いかにも。そういう貴殿は? 名のある武者とお見受けするが……」
「某は松田康長だ」
「ほう……」
忠勝の方も感心したように目を細める。
松田康長といえば、北条家重臣であり小田原城に籠る松田憲秀の従兄弟だ。
「松田殿。今のこの城の現状は分かっておりますな。もはや、山中城は陥落したも同然。これ以上の抵抗は無意味。おとなしく降伏してくだされ」
忠勝の言葉に、康長は黙って首を振る。
「その恩情はありがたい。しかし、某はここで恥をさらしてまで生き延びる気はない。最期は潔くあろう、と決めているのでござるよ」
「……左様ですか。それでは」
忠勝は槍を構えなおす。
「最期の相手が、本多忠勝ならば相手にとって不足なし」
康長もじっと、忠勝を見据える。
「いざっ!」
康長との勝負は一瞬でついた。
忠勝の俊敏な一撃で、康長はあっさりと絶命してしまったのだ。
「松田康長、討ち取ったりっ!」
忠勝の宣言が山中城に響き渡った。
その康長の死が与えた衝撃は大きかった。
城を守る兵も、1000を割り込み逃亡兵も出始める。
こうなってくると、もはや数万の軍勢を抑え込むのは不可能といってもいい。
城を守る北条氏勝も決断した。
「こうなってはここまで、腹を切ってみせる」
それを、周りの家臣が必死に止めた。
「おやめくされっ! ここで腹を切るよりも、小田原に逃れて再起を図るべきかと」
「ここで死んでも犬死でござるぞ!」
そこに、秀国が割って入った。
「お待ちくだされっ!」
「織田の将か?」
乱入者に驚きながらも、氏勝がたずねる。
周りの氏勝の家臣達も臨戦態勢をとる。
「某は金剛秀国。北条氏勝殿とお見受けするが?」
「いかにも。某は、北条氏勝で間違いはない」
氏勝も堂々と返す。
北条一族として実に見事な態度だった。
「この氏勝の命を所望か?」
「いえ、ここで織田に下ってくだされ」
「何?」
秀国はその言葉に目を見開く。
「北条家はもう終わりです。ですが、北条に仕える者全てが終わるわけではありませぬ。北条家の家臣達はもちろん、北条一族の方々も同様です。氏勝殿とて、北条が滅んでも生きる場所はあるはずです」
「それは織田の犬として、か?」
「そのようなつもりは。ですが、ここで下る事をお勧めします。織田が嫌ならば徳川殿のところに仕えてもいい」
そう言って秀国は続ける。
「それに、これは北条に仕える者たちのためでもあります。各地に籠る、北条一族やその家臣達を説得して回るためにも氏勝殿の力が必要です。氏勝様の協力があれば、無駄な血が流れることがなくなりましょう」
「一方的に攻め込んでおいて勝手な言い分よな」
忌々しげに言って氏勝が黙り込む。
だが、十数秒ほどたった後、さらに忌々しげにこう言った。
「……しかし、ここで抵抗しても犬死か。ならば下るほかないか」
こうして、氏勝は織田軍に下った。
腹を切ろうとするのを止めていた家臣達も、反対はしなかった。
氏勝は、そのまま織田軍の本陣へと連れて行かれる事になる。
その道中で、秀国は考える。
秀国は善意で氏勝の命を助けたわけではないのだ。
(北条氏勝は、北条綱成の孫だし北条家の重鎮だ。ここで生かして捕まえた方が後々益が大きかろう。となれば、その氏勝を捕縛した私の手柄も大きくなる)
そう考えて内心でほくそ笑んでいた。
氏勝の方が、それに気づいていなかったかといえばそうでもない。
「だが、勘違いするな。織田のためでもなければ貴様の出世のためでもない。これは、この先流れるかもしれない、北条家の血が流れるのを減らすためだ」
「それで結構です」
秀国も満足して、頷いた。