143話 西軍集結
――大坂城。
宇喜多秀家と小早川秀秋に伏見城の接収を命じた後、豊臣秀吉本人はこの地に留まっていた。
無論、この地で無為に過ごしたわけではない。
東国大名の切り崩すべく、書状を送り続けていた。
無論、内容は敵対すれば容赦なく取り潰し、味方するなら思う存分の加増といった内容だ。
脅迫と懐柔。その二つをうまく織り交ぜたような内容をそれぞれの大名毎に書き、送り届けていたのである。
東軍につくか西軍につくか――東国大名を中心とする、徳川方を東軍。西国大名中心とする、豊臣方を西軍。いつしか、両陣営はそのように呼ばれるようになっていた――各大名達も選択を迫られていた。
そんな中、ある一人の武将が大坂城を訪れた。
鬼武蔵こと森長可である。
「某は太閤殿下に加勢するべく、参陣いたしました」
謁見して早々、長可は言った。
さっそく、秀吉の切り崩しの効果が出たかと思われたがそうではなかったらしい。
「それは、森家が我らに組するという事か?」
「いえ、家督は弟に譲ってきました」
「……」
その言葉に、秀吉は驚いたように目を見開く。
「弟に……?」
「はい。よって、森家の当主は忠政となります。忠政が殿下の御旗に集うか、右府殿につくかは分かりかねます」
「……」
秀吉の顔に、わずかに不満そうな色が浮かぶ。
確かに、長可ほどの男の参陣はありがたいが正直に言えば、森家そのものに西軍に組して欲しかったという思いが強い。
東濃の森家が、西軍に着けば東軍は信州方面から軍勢を進める事が難しくなる。
が、それを口にする事はなかった。
「何故、予に従う」
そう聞かれて忠義の為、といった言葉を口にするような長可ではない。
鬼武蔵は齢を重ねても鬼武蔵だった。
「伊達政宗と戦う為です」
と抜け抜けと言ってのけた。
「あの田舎大名には、朝鮮での戦いの折に借りがあります。不幸にも、これまでその機会には恵まれませんでした。ですが、此度の乱であの者が昵懇の右府殿につく事は間違いなく、太閤殿下の御旗の元であればその機会は訪れると信じ、参じた次第です」
「すると、其方は政宗と戦う為に――?」
「はい」
即答である。
さすがの秀吉も言葉に詰まった。
だが、これで怒り出すような器量の小さな男でもなかった。
「承知した。だが、其方ほどの男を領地なしというわけにはいくまい。当面の手当として、予の直轄から領土と兵を与える。さらには家康討伐後の暁に、駿河でも甲斐でも望みの国を一国与えよう」
「ありがたき幸せ」
長可は平伏した。
だが、長可が平伏しても、不思議と敬意を感じない。
あくまで彼が敬意を払っていた主は故・織田信長のみなのだろう。
内心、秀吉は複雑な思いもしたが、この際気にしない事にした。
……まあ、味方するというのなら、せいぜい役に立ってもらうか。
理由はどうあれ、鬼武蔵と恐れられた男を取り込む事ができたのだ。
それでよしとするべきだろう。
秀吉は、そう考えた。
こうして、長可は豊臣側に組する事になった。
そんな中、前田利家・利長親子、丹羽長重、大谷吉継、村上頼勝といった北陸に所領を持つ大名達も続々と集って来た。
「おお、よくぞ来てくれた。槍の又左の力は10万の兵よりも頼もしいぞ」
織田時代から親しい間柄にある利家の参戦に、秀吉も喜色を浮かべて出迎え、かつての異名で呼んだ。
「はい。これが最期の奉公になると思いまして」
そう言う利家の顔色はよくない。
彼もまた、秀吉同様に寿命が近い事を悟っている。家督そのものも、既に利長に譲っていた。
「そのような寂しい事を言うな。予にとって――いや、豊臣の世にまだそちの力は必要じゃ」
「そのような事は。これからは、利長が前田の名と共に殿下を支える事になりましょう」
「そうか……」
「利長の件、くれぐれもお願い致しますぞ」
丁重に頭を下げる利家だが、遠まわしに、
――利長の代になっても前田を潰すような真似はしないで欲しい。
そう言われた気がした。
ふと、秀吉の視線が丹羽長重へと移る。
彼は秀吉に理不尽とも言える難癖をつけられ、大老職を取り上げられた挙句に、領土を大量に削減された。
父である長秀に散々、世話になっておきながらの仕打ちに思う事があるだろうが、この場では恭しく頭を下げている。
……丹羽家の二の舞にするな、とでも言いたいのか。どれだけ先代が偉大な人物であろうが、二代目にその素質がなければ相応の扱いをするべきではないか。
秀吉は内心でそう呟く。
それが、自分の子にも当てはまってしまう事である事に気づいていなかった。
「ところで」
この微妙な空気を振り払うように、吉継が口を開いた。
彼もまた、病を患いかけているらしいが――少なくとも今は――顔色が少し悪い程度だ。
「拾丸様は元服されたそうですな」
「うむ」
秀吉が、先ほどまでの不機嫌な様子などなかったかのように破顔する。
「此度の戦はあまりにも大規模。下手をすれば、年単位でかかる。その前にすませておこうと思っての」
秀吉も、正則同様に今回の戦いが長期間になると読んでいた。
そして、下手をすれば、自分の寿命が先に尽きるであろう事も。
拾丸改め豊臣秀頼の元服はその後の、豊臣政権安泰の為――そして、息子の元服姿を見ておきたいという親心からでもあった。
「正式な儀は、この大乱が終結してからじっくり行おうと思っておる。秀頼が名実共に天下人の子となったその時にな」
秀吉は笑みを浮かべ、場の雰囲気も和やかなものとなった。
「まあ、しばらくはゆるりと休むが良い。今、秀家と秀秋に畿内の平定に命じておる。それが完了してから、予も動く事とする」
そう言って、この日の謁見は終わった。
暫し、秀吉は大坂城に滞在しつつ、各大名への手紙攻勢を続ける。
そして、遂に伏見城陥落の報が届き、秀吉は動いた。
大坂城には、かつて豊臣秀長と浅野長政の計画に深く関与したと思われる大名達――蜂須賀家政、仙石秀久、藤堂高虎ら――を留守居として残し、残りの軍勢は出立する。
そして、畿内の制圧を担当していた宇喜多秀家と小早川秀秋の軍勢と合流。近江へと入った。
そこには既に関白・秀次配下と、北陸勢の一部がおり、いつでも動かせる状態にあった。
それらの軍勢と合流を果たし、10万を超える大軍勢となった西軍は、美濃へと攻め入ったのである。




