142話 江戸評定
上杉征伐を開始するべく、徳川本隊を上野にまで動かした徳川家康だが、秀吉決起の報を受け、江戸城にまで撤退する事になった。
そして、江戸城にて改めて軍議を開く事にした。
同時に、主だった家臣達を招集した。
大広間に、徳川軍を支える幹部武将が相次いで姿を見せる。
しかし、そんな徳川家の者ばかりが集まるこの場に、明らかに場違いともいえる人間がいた。
奥羽の大名である伊達政宗だ。
「何故、こちらに?」
その問いに対し、政宗はぬけぬけと言い放った。
「何、右府様の一大事と思い、勝手ながら参じさせていただきました」
「しかし、伊達殿は最上殿の支援という役目があったはずですが」
本多正純が辛辣な口調で聞き返した。
彼は本来、奥羽の大名達と共に別方面から上杉領に攻め入る手筈となっていたのだ。
にも関わらず、なぜか徳川本隊に合流してきていた。
「そちらは留守政景と鈴木元信に1万ほどの兵を与え、指揮を任せております。某自身の力は、右府様のところにあってこそ生かせると思いまして」
そう言って片倉景綱、伊達成実らと共に5000ほどの兵で江戸に駆けつけてきたのだ。
「何、上杉如きそれで充分。それよりも敵は太閤・秀吉であり、その子飼いの将達でしょう」
「しかし――」
「良いのだ、正純」
政宗の言葉に正純は反論の言葉を出しかけたが、それを主君・家康に遮られた。
「伊達殿の心意気、感謝致す」
「ははっ」
政宗は報酬で釣っているとはいえ、直属の家臣ではない。
それだけに、気を遣う必要があった。
「――さて」
軽く咳払いをしてから、軍議に戻る。
「秀吉は我らの討伐すると息巻いており、兵を西へと向けた。その数は、伊賀者に探らせておるが、10万を優に超え、下手をすれば15万に届くやもしれんとの事だ」
場が小さくざわめく。
「静まれっ」
一喝するように言ったのは、榊原康政である。
「敵が15万であれ、20万であれ恐れるに足りん。率いるのはあの貧弱な禿鼠ぞ! 我らの敵ではないっ」
秀吉嫌いの康政らしい発言だった。
そして、意外にもそれに追随したのが政宗だった。
「いかにも。所詮は秀吉の軍勢など精強と謳われる、徳川軍団の敵ではありませんぞ」
思わぬ発言の主に、康政も一瞬鼻白んだ。
「そうでありましょう、榊原殿」
「う、うむ……」
「――ともかく」
場の空気を元に戻すように、家康は続ける。
「秀吉の軍勢は最低でも10万を超える。今頃は、親吉の篭る伏見城に攻めよせておるやもしれん」
「平岩殿は、大丈夫でしょうかな」
平岩親吉同様に、古参である本多忠勝が呟くように言った。
「城が落ちそうになれば、即座に脱出するように言ってある。無謀な事はすまい」
「そうですか……」
家康の言葉に、忠勝は不安そうに呟いた。
この時点で、宇喜多秀家による伏見城攻めが始まっていた事も、平岩親吉が意地を見せるべく、勝ち目のない籠城戦を開始した事も家康も家臣達もまだ知らなかった。
「問題は」
本多正信が口を挟む。
「伏見城をはじめとして、上方にある我らの城を落とした秀吉がその軍勢を次にどこに向けるかですな」
「織田内府様の動向は今のところ不明――。もし、内府様が太閤側に付く事があれば、一気に三河にまで攻め入ってくる可能性もありますな」
井伊直政が不安そうに言った。
「確かに」
それに家康は頷いた後、
「だが、伊賀者からの報知でも織田内府殿が秀吉側に組したという報告はない。かといって、我らに組する様子もないが、今のところ中立と考えてよかろう」
「内府様は中立ですか。 ……そうなると」
「うむ。おそらくは、最初の狙いは美濃だな。あの地には、親徳川大名が点在しておるゆえ」
家康が答える。
「念の為、岐阜城には鳥居元忠を残してきた。それに、大垣城の金剛秀国も我らの味方じゃ。さらには、真田信之、池田輝政、森忠政ら美濃や信濃の大名に岐阜城を支援するよう指示を出してある」
「ですが、いずれも――」
「うむ、元忠を除けば徳川家の直臣というわけではないし、数もさして多くない。10万を超える豊臣の軍勢が攻め寄せてくれば、そう長くはもたんな」
つまり、と家康は続ける。
「その前に、我らが西上し、秀吉と一戦する必要がある。美濃の大垣城や岐阜城が落ちれば、我らに友好的な親徳川大名達も一斉に太閤に寝返り、内府殿も太閤側に着くかもしれん」
その前に――。
「秀吉と決着をつける。その為、儂と共に西へ向かうのは――」
本多忠勝、榊原康政、井伊直政といった有力武将らの名前が挙げられていく。
伊達政宗、佐竹義宣といった徳川家にとって外様にあたる大名達もだ。
徳川秀忠をはじめとして秀康、忠吉ら家康の子供達の名前も告げられる。
「そして――信吉」
家康は五男の信吉に視線を移す。
「この江戸城の留守居は任せる」
「はっ」
信吉が頷いた。
秀康、秀忠、忠吉らが西上組となる以上、家康の子供達の中で最年長となるのは彼だ。
だが、それでもこの時15歳。
まだ周りの補佐を必要とする年齢だ。
にも関わらず、彼をこの地に任せたのは関東に大戦になる気配はないと読んだからだ。
上杉の興味は――少なくとも今のところ――最上領に向いておりこちらから攻め寄せるならともかく、向こうから関東に侵攻をかける事はない。
そういう読みだった。
「いよいよ決戦ですか。腕が鳴るわい」
忠勝が顔に満面の笑みを浮かべている。
長らく戦から遠ざかっており、しかも忠勝も既に高齢。それだけに、今回の戦にかける思いは特別なものがあるのだろう。
「秀忠、忠吉」
「はい」
「はっ」
家康が、同腹の兄弟二人に視線を動かす。
「お前達が、先陣だ。兵を率いて尾張へと迎え」
「承知致しました」
二人が頷く。
「織田内府殿の動きは未だに分からんが、尾張の地は此度の戦で重要な拠点となる。こちらと交戦の意思があるようなら、構わん。叩きのめせ」
「父上っ」
ここで、割り込むように秀康が声をあげた。
「秀忠は、前回の大乱の際はまともに采配を振るっておらず、忠吉も似たようなもの。実質的には此度の戦が初陣となります。そんな二人には荷が重すぎます! その役目、是非とも某にっ」
「……兄上」
「……」
その秀康に、むっとした様子で忠吉が腰を浮かしかける。
その忠吉を、秀忠は無言で手で制した。
「秀康よ。儂は徳川家の当主として決断を下したのだ。それに異を唱えると?」
「……」
家康の言葉に、気圧されるように一瞬、秀康は視線を逸らす。
その秀康に、叩きつけるように家康は続けた。
「それに、伊賀者の情報によれば、尾張の城にはほとんど兵が残っておらんらしい。仮に戦闘になったとしても、数万の大軍がいればまず間違いなく捻り潰す事ができよう」
伊賀者の調査では、尾張の織田信雄領にほとんど兵は残っていない。
有力な武将も尾張には残っておらず、本拠である清州城に信雄の子である秀雄が残っているぐらいだ。
「……何、お前の見せ場もちゃんと用意できる。故に、そうまで先陣に拘らずともよい」
家康の言葉に秀康も「はい……」と引き下がったが、明らかに不満の色が瞳には浮かんでいた。
「他の者も、異論はないな?」
家康の言葉に、首を振る者はいない。
「うむ」と満足そうに頷いてから、家康は続ける。
「では決まりじゃ。軍勢を西に向ける」
「応!」「応!」「応!」とこの大広間にいる者達が返す。
こうして、徳川軍の西上――そして、豊臣軍との激突の日が近づこうとしていた。




