140話 九州情勢
高まった東西決戦の気運は、九州の地にまで影響を与えた。
まず、龍造寺高房が徳川支持を表明し、挙兵。
同時に、大友義統もまた旧領の豊後にて挙兵した。
福島正則、黒田長政、鍋島直茂らはその対処に追われる事となる。
さらには、島津は未だ伊集院討伐に成功しておらず、出兵は見合わせたいと返事を送って来た。
だが、豊臣方としても大国である島津の動員できる兵数は魅力的だ。喉から手が出るほど欲しい。
出兵要請を出し続け、ついに島津側も折れた。だが、その数は3000ほどに過ぎなかった。その兵を率いる事になるのは、島津忠恒に代わって上方に残っていた島津義弘である。
また、秀吉の元養子であり、今は小早川家の家督を継いだ小早川秀秋も出兵。島津本家よりも少ない石高でありながらも、島津の三倍以上になる1万もの兵を引き連れての出陣である。
そんな中、肥後北部を領する小西行長は加藤清正の熊本城を訪れた。
「何故、兵を出さん」
単刀直入に小西行長が訊ねた。
詰問するようかのような口調だ。
それも、無理はない。
二人の間には、多くの因縁がある。確執がある。
そして、それは容易に和解できるようなものではない。
「……」
一方の、清正はというと、客人を迎えているというのに、頬杖をついたままじっと眺めているだけだ。
「貴殿が兵を出さんので、儂の家臣らも出兵を見合わせるべきではないかと言う声が出ているのだぞ」
「……」
「それも、貴殿を疑っているからだ。儂が出兵した途端、兵を儂の領土に向けてそれを奪うのではないかとな」
「そのようなつもりはない」
ここでようやく、清正は口を開いた。
不愉快極まりない、といった表情だ。
「儂がまだ兵を出さんのは、情勢を見極めているからだ」
「情勢を、な」
その言葉に、行長は皮肉げに唇の端を釣り上げた。
「そうやって情勢を見極めてから、徳川右府に味方するか」
「……何じゃと?」
「その通りであろう。この状態で様子見という事はそうとしか考えられん」
嘲るように、行長は薄く笑う。
「ふざけるな!」
その言葉に顔を赤く染め、清正は立ち上がる。
「儂が、太閤殿下と徳川右府を秤にかけているというのかっ」
「違うのか? そうとしか思えんがのう」
「決まっておろう!」
「ならば、兵を出せ。そうすれば、こんな疑いは消えてなくなる」
命ずるような口調に、清正の額に浮かんだ青筋が濃くなる。
だが、その怒りを必死に抑えるようにして話を続ける。
「……良いか、島津での内乱がどこまで飛び火するかわからん。大友や龍造寺のように儂の領内でも誰かが、兵を挙げる可能性もあるのだ。この状況で迂闊に兵を出せるはずがなかろう」
「では、どうしても兵を出さんというのか」
「兵は出す。だが、もう少し情勢を見極め、兵を出しても問題ないと判断できる状況になってからじゃ」
それだけを言うと、清正は行長との会談を強引に切り上げた。
行長は、不満を抱えつつもそのまま熊本城を去った。
そして、一旦自らの領土に戻った後、当初の予定よりも多めに守備兵を残し、2000ほどの兵を引き連れての本州へと出立することになったのである。
――同時期、豊前中津城。
この城で、この地の城主である黒田長政が福島正則と対面していた。
「即座に兵を出すよう、太閤殿下からではなく父上からも書状が届いておる」
普段冷静沈着であり、表情に変化の少ない長政だが、この日は珍しく顔に迷いの色が浮かんでいる。
「はたして、どうするべきなのか……」
「迷っておるのか」
一方、正則の顔に迷いはない。
いつも通り、落ち着いた表情の正則がそこにいた。
「迷っておる。父上は、兵を出すように言っておる。じゃが、下手に大兵を動かして、儂が本州にいる間に領地を大友の旧臣共に奪われかねん。だが、此度の大戦、遅参など持ってのほかじゃ」
「そうよな。誤った判断を下すことはできん」
「福島殿は決めておるのか」
「無論」
はっきりとした口調である。
「誠でござるか」
思わず、長政が聞き返した。
「誠じゃ。儂の結論は既に出ておる」
「して、その結論は……?」
「当面は、大友征伐に専念する」
長政からしても、意外な言葉だった。
てっきり、領地を空けてでも本戦に参加するとばかり思っていたのだ。
そんな様子が、正則にも伝わったのだろう。
「どうした? 儂の結論はそんなにも意外か?」
「それは……」
長政は言い淀んだ。
「隠すな。顔にそう書いてある」
「……そのような事は。だが、それで良いのか。そうなれば、本州での決戦に遅れる事になるぞ」
「何、その方がむしろ良いのよ」
「何故、そう思うのだ?」
「簡単な事よ。この大戦は長引く。それがわかりきっておるからよ」
ふふ、と正則は小さく笑う。
「殿下は10万を超える軍勢を動員している。一方、徳川右府も10万前後の兵を動員するであろう。それほどの規模の戦いとなれば、どう考えてもすぐに決着はつかん」
正則は、言葉を続ける。
「大陸出兵や、織田信孝の決起の時もそうであったように、10万を超えるような軍勢での戦いとなれば迂闊に兵は動かせん。戦は長引く。確実にな」
「それでは、福島殿の狙いは……」
「うむ。すぐに動員に応じたところで、美味しい場面があるとは思えん。ならば、ゆるりと兵を動かし、美味しいところを持っていかせてもらうとしよう」
「だが、遅参などすれば太閤殿下の怒りを買うのではないか?」
「何を言う。遅参などではない。事実、我らの領国で大友が決起しておるのだ。その対処をしてから向かったところで何の問題があるというのだ」
「なるほど……」
長政は感心したように頷いている。
「貴殿も無理に兵を出すことはない。どうせ、この戦いは長引く」
「承知した。じっくりと時間をかけて大友の残党共を討伐するとしよう」
こうして、正則も長政も即座に兵を出さない事に決まった。
大坂にいる、父の孝高から出兵要請があったものの、500ほどの兵を送るに留まった。
結局、九州の地から出立した豊臣軍は2万足らずとなってしまったのである。
だが、毛利一族の総帥であり五大老の一人にも任命されていた毛利輝元、秀吉の元養子でもある宇喜多秀家、かつての四国の覇者・長宗我部元親の子である長宗我部盛親、豊臣恩顧の大名である蜂須賀・山内・仙石・脇坂らは問題なく出兵しており、それらの軍勢は大坂城を制圧した豊臣軍へと既に合流している。これに、小早川秀秋、小西行長ら九州勢2万の軍勢が加わり、豊臣軍は10万を超える大軍勢へと膨れ上がったのである。




