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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第1部 天下人の誕生
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13話 関東征伐2

 ついに、北条征伐を行うべく織田信忠が領国中に大動員をかけた。

 特に、北条領と隣接する徳川家や上杉家などは他家よりも多くの兵を動員する事になった。

 もちろん、東海や北陸だけでなく畿内からも多くの兵が動員される。


 織田領国からだけではない。

 織田の武威を恐れた下野の宇都宮や常陸の佐竹、安房の里見といった関東の大名達も反北条色を鮮明にする。


 また、陸奥や奥羽でも時勢を読むのに長けた最上や伊達といった大名達も、織田に加勢する用意があると言ってきていた。

 直接的な支援にはならないが、彼らの織田への合力の表明は北条に大きな重圧を与える事ができる。


 駿河から小田原へと侵攻するのは、織田信忠を総大将に織田信雄、織田信孝、徳川家康、筒井順慶、蒲生氏郷、滝川一益、細川忠興、池田恒興、森長可、羽柴秀吉、毛利輝元、小早川隆景ら。

 総勢は10万を優に超えている。

 この軍勢が、東海道を東へと進む。


 上野から侵攻する、北陸勢は、柴田勝家を総大将に、前田利家、金森長近、佐々成政、佐久間盛政、上杉景勝らの面々だ。

 総勢は5万。 


 織田への共闘を約束した、下野の宇都宮、常陸の佐竹、安房の里見といった軍勢も合計すれば、その合計は20万近い大軍勢となる。


 かつて、伊勢長島や紀伊雑賀衆の征伐の為に信長は10万の軍勢を動員した事があったが、今回の動員はそれ以上である。

 まさに、信忠体制の力を見せつけるにふさわしい大戦といえた。




 そんな中、秀吉ら西国勢は最も遅くの出陣となった。

 多大な負担を強いられた東国勢とは違い、西国勢は軍役も軽い。


 畿内より西国の大名は半役。

 1万石につき50人ほどの計算になる。


 姫路を発し、安土、岐阜と織田家ゆかりの城に宿泊を重ねながら順調に軍勢を進め、尾張清州城に入った。


「この城もなつかしいの」


 清州城の一室で、秀吉は言った。


「どうじゃ、市松もそう思うであろう」


 秀吉が幼名で呼んだ相手は、福島正則だ。

 彼は、秀吉子飼いの将。

 かつては桶屋の息子であり桶職人を目指していたともいわれる少年時代に、喧嘩で大人を殺害するなど豪の者としての片鱗を見せる。

 この時点では、22歳とまだ若い。


 彼は秀吉と同じく尾張出身ではあり、秀吉の母親と親族である母親の伝手を使って秀吉に仕えた。

 それゆえの秀吉の発言だったのだが、正則は黙って首を振った。


「いえ、某にとってこの地は馴染がありませぬゆえ……」


 正則にとっては、人格が形成される時期を過ごした近江横山や長浜の地の方が馴染が深く感じられていたのだ。


「そうか。じゃが、気がむいたら城下などに赴いてもよいのだぞ。多少は自由な時間も与える事ができよう」


「では、その時間は鍛錬にでも当てるとしましょう」


 生真面目な正則の発言に秀吉は思わず苦笑した。


「ま、よい。今回はお前の働きにも期待しておるぞ」


 そう言ってから、秀吉は立ち上がり城の外を見る。


「こうして見ると壮観じゃのう」


 ここからでも、城の外のざわめきが聞こえてくるようだった。

 何せ、今この清州城にいる軍勢だけでも1万を超えているのだ。

 その10倍以上もの軍勢ともなると想像もできない数字となろう。


「見てみよ、市松。ここにいるだけで1万、最終的には20万近い兵が小田原城を攻撃する事になるのじゃぞ」


「しかし、20万もの兵を養うとなるとその兵站の維持にも苦労する事になるのではないでしょうか」


 正則が言った。


「うむ。なかなかよいところに目をつけるの」


「恐縮です」


 正則の言葉に秀吉は満足するように頷くと笑みを浮かべる。

 正則は、力量を高く評価する子飼いの者なのだ。


「確かに、20万ともなれば食わせるだけの兵糧でも膨大な量になる。じゃが、何でも丹羽殿の家臣の一人にそういった算術に長けた男がおってな。うまくいっておるようじゃ」


「ほう、そのような者が……」


 傍らから、黒田孝高が感心したように言った。


「うむ。確か、長束正家といったかの。機があれば、引き抜いてみたいわ」


「殿。そのような事をすれば、丹羽殿が怒りますぞ」


「そういうな。機があればの話じゃわい」


 そう言って秀吉がはは、と軽く笑った。


「ところで」


 秀吉が話柄を転じた。


「毛利殿も、今回の小田原攻めには加わるそうじゃな」


「はい。毛利家も、正式に織田に従う意向を示したゆえ、今回の北条征伐の軍役は毛利にも課せられております。極めて軽い軍役ですが」


「当主の毛利輝元殿と小早川隆景殿が、5000ほどの兵を率いて来るそうですな」


 毛利家の最大動員可能兵力を考えれば、5000は決して大きな数字ではない。

 しかし、


「兵の数はともかく隆景殿ほどの知恵者が加わってくれるとあれば、儂らも助かるのう」


 と秀吉は上機嫌そうに笑った。


「本来は、大友殿にも兵を出してもらいたかったのじゃが、あちらはあちらで大変じゃからの」


 この時期、九州では九州三国志ともいうべき状況にあり、大友家、龍造寺家、島津家の三家の間で激しく争っている。

 いや、争っていたというべきだろう。


 すでに、大友家は全盛期の勢いを失いつつあった。

 大友家は、南蛮の影響の強い九州の大名でも特に南蛮文化を取り入れ、それを力として勢力を拡大していく。

 龍造寺は肥前の一勢力に過ぎず、島津も守護大名とはいえ弱小勢力に過ぎなかった時期には九州随一の大大名にまで成り上がった。

 豊前を訪れていた宣教師たちにも、「豊前王」と呼ばれ、九州どころか本州と比べても最も豊かで強い国を作り出していた。


 だが、その全盛期にも陰りが見えてくる。

 この時から、5年前に行われた耳川の戦いにおいて島津に大敗し、「大友弱し」の印象を他大名に与えてしまう。

 そうなると、もはや広大な版図を築いた大友領ももはやただの草刈り場だ。

 龍造寺や、島津らの侵攻を招いてしまう。


 天正10年の、武田征伐の行われた時期において、もはや龍造寺や島津とは比べるべくもない弱小勢力にまで落ちぶれてしまっていた。


 そこで、縋ったのが中央の力である。

 この場合の中央の力というのは、事実上消滅していた室町幕府ではない。当時の最高権力者である織田信長だ。

 信長も、弱体化したとはいえ南蛮文化を多く取り入れ南蛮の商人達とも強いコネクションを持つ大友の力を欲した。

 また、対毛利の戦略的にも毛利領の背後をつける大友の存在は貴重であった。

 ために、信長は島津との和睦を斡旋。

 一時的に窮地を脱したかのように思えた。


 だが、信長の死によってそれも立ち消えた。

 信忠の名のもとに、改めて停戦命令が出されたが島津はそれを無視して大友領を犯し続けていた。

 信長は恐れても信忠は恐れないのか、あるいは信長の命令であっても最初から聞く気はなかったのか。

 いずれにせよ、大友は島津の侵攻を受けて関東に兵を出す余裕などなかったのである。


「まあ、弱体化しているとはいえ大友家もかつては九州に覇を唱えた大国。島津が大友領を全て飲み込むなどまだまだ未来の話でしょう」


 孝高が言った。


「であるな。ならば、その前に関東を片付けてしまおうという算段なのじゃろ、上様は」


 秀吉も頷く。


「まあ、我らが今回連れてきた兵は少ない。此度の戦では脇役に徹するとするか」


「ですが、殿」


 正則が口を挟む。


「その少ない兵で手柄を立ててこそ、その武功が輝くのではないですか」


「言うのう」


 そう言って、頼もしい子飼いの将の発言に秀吉は朗らかに笑った。

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