136話 上杉決起
豊臣と徳川との決戦の気運が高まる中、ある事件が発生した
上方にいた島津忠恒が、元より不仲だった重臣の伊集院忠棟を斬殺するという行為に及んだのだ。
忠棟の子である、伊集院忠真は忠恒の暴挙に激怒。
領国にて挙兵する。
こうなると、忠恒も放任するわけにはいかない。
忠恒は、伏見城の徳川家康にこの事を報告した後、大坂城には寄らずに帰国してしまった。
伊集院討伐の為、忠恒は軍勢を動かした。
だが、伊集院の反乱の規模は、忠恒の予想以上に大きく容易に倒せなかった。
なかなか成果を出せないまま、事態は島津領全体を巻き込む大騒動へと発展したのである。
「この大事な時期に何という事だ……」
「しかし、これを利用しない手はありませんぞ」
伏見城の一室。
この日、久しぶりにこの城に戻ってきていた本多正信は家康に進言する。
この場には、本多正純、榊原康政、鳥居元忠の姿もある。
「この内乱を長引かせましょう。そうなれば、島津は九州に足止めされますし、隣国の加藤・小西辺りも動けなくなるかもしれません」
「うむ」
家康も頷く。
「密かに支援すべき、と」
「はい。それと同時に、彼らにも働いてもらうべきかと」
にやり、と正信は唇の端を釣り上げる。
「そうじゃな。火種をばらまくとしよう」
「火種、ですか?」
鳥居元忠が疑問符を浮かべた。
「うむ。九州で燻っている火種をな。島津だけでなく、福島や黒田、それに小早川らも九州に留まらせる事ができるかもしれん」
「そのような事ができるのですか?」
「大友と龍造寺を動かす」
大友も龍造寺も、かつては島津と並んでいた九州三傑だ。
だが、今なお大大名として勢力を保っている島津とは対照的に、この両家の名は歴史から消え去ろうとしていた。
大友義統は、織田信孝の反乱の際に安土方に加担した為、改易された。
最初は毛利家預かりの身となっていたが、現在は徳川家が保護していた。
現在、龍造寺家は鍋島直茂が実質的に差配しており、龍造寺とは名だけの存在になりつつあった。
既に、当主の地位に拘りを見せていなかった当主・政家だったが、子の高房は違った。彼はまだ13歳であり、若さも野心もある。
「その大友義統と龍造寺高房を使う」
家康は彼らに資金を与え、九州で挙兵させる気でいた。
「なるほど……」
康政や元忠もうむうむと頷いている。
そんな時、
「――上様」
不意に襖の向こうから、声がかけられる。
「何用じゃ。今は儂らは大事な話をしておるのだぞっ」
康政が不快そうに怒鳴った。
その康政を、家康が窘める。
「構わん、伊賀者じゃ」
「申し訳ありません。ですが、早急に伝えねばならぬ事が」
襖が開き、伊賀者の男が現れる。
「……こちらを」
伊賀者が、懐から書状を取り出す。
家康は、黙ってそれを読み進める。
一通り読み終えた後、それを畳んで置いた。
「江戸の秀忠からじゃ」
「書状には何と……?」
「上杉が遂に兵を動かしたそうじゃ」
「上杉が……?」
「うむ。先手を打ってきたようじゃ。 ……読んでみよ」
家康の言葉に従うように、正信、正純親子、康政、元忠も書状に目を通す。
「……」
やがて、全員が読み終えた。
「上杉の矛先は最上領ですか」
「うむ。最上殿からも、救援要請が来ておるらしい」
挙兵した上杉軍は、まずは最上義光の領国へと侵攻するべく大軍を最上領との国境に終結させる。
それを察知した義光は、まずは江戸の徳川秀忠に救援要請を出した。
そんな中、景勝家臣の藤田信吉が逃げ込んできた。
穏便派であり、徳川家との取次も担当していた信吉は家康との内通を疑われ、刺客までよこされたのだ。
慌てた信吉は、越後を脱出し、関東の徳川領へと逃げ込み徳川家に庇護を求めた。
信吉の証言も手に入れ、秀忠は上杉の決起に確信を深める。だが父の指示なく、迂闊に大軍は動かせない。
まずは伏見にいる家康に指示を仰ぎつつ、関東中に動員令を発し、いつでも兵を動かせる状態にした。
「伊達に南部、秋田、戸沢らにも、最上を救援するよう指示を出す」
家康が東国の大名達の名前を挙げて言った。
「彼らは、上様に誼を通じておりますからな。間違いなく、上様の側に立つでしょうな」
正純の言葉に家康も頷く。
「うむ。じゃが、それだけでは足りん。秀忠や秀康、信吉らにも出陣命令を出す。蒲生や佐竹にもじゃ」
「蒲生はともかく、佐竹もですか……」
康政が不安そうな声を出した。
「佐竹は動かないとでも?」
「いえ、そのような事はないかと……」
康政は口を濁す。
「確かに、佐竹は我らを恨んでいるかもしれんな」
その康政に同意するように家康は言った。
「一時は、常陸の大半を領する大大名だったのに、今では10万石程度の一大名に成り下がってしまったからの。儂の裁定でな」
「……」
「だが、心配はいらん」
ふふ、と家康は笑う。
「佐竹領の周りは、徳川領、あるいは親徳川大名の領土じゃ。そんな中で佐竹も迂闊に決起はできんよ」
「しかし、上杉と連携されれば厄介な事になるやもしれませんぞ」
正信が珍しく、不仲の康政を擁護するような発言をした。
「何、その時は佐竹も上杉とまとめて叩き潰すまでじゃ」
「さすがは上様」
家康の言葉に、元忠が追随するように言った。
ともかく、と家康が話を戻す。
「関東中の徳川領、及び親徳川大名に動員命令を出す」
「そうすると、動員する兵力は10万を優に超えますな。上杉は精々が5万。それも、かなり無理をしての動員のようですので、指揮系統にも問題があるかもしれません。そうなれば、実際の差はもっと大きくなりますぞ」
「うむ」
康政の言葉に、家康は頷く。
「しかし、太閤が大人しくしているとは思えん」
「そうですな。上杉は、東国の大大名では唯一ともいえる親豊臣。我らが、上杉征伐に動けば必ずや動くでしょう」
「望むところではないか」
正信の言葉に、康政が答える。
「その時こそ、あの禿鼠の最期になろう」
「そう簡単に行きますかな」
「我らが禿鼠に負けるというのか?」
ギロリと康政は正信を睨みつける。
「そうは言っておりません。ですが、太閤も10万を超える兵を動員できます。容易に勝てる相手ではないかと」
「儂も侮っておるわけではない」
二人の不仲は相変わらずであり、不穏な空気が流れる。
正純と元忠も二人に口を挟もうとはしない。余計な口を挟もうものなら、事態がさらに悪化してしまう可能性が高い事を知っているのだ。
「――とにかく」
そんな場を仕切り直すように家康は咳払いをしてから、
「秀吉がどう動くにせよ、上杉をこのまま放任するわけにはいかん。放置すれば、上杉がどこまで暴れまわるか分からん。最上領で済まず、関東にまで進軍してくるかもしれん。そうなってからでは遅い」
「上様、すると――」
「うむ。上杉征伐を実行する」
遂に、徳川家康は上杉征伐を決断。
関東のみならず、東海の領国から兵を大量動員する事となった。もちろん、親徳川大名にも出兵させる予定だ。
家康の指示を受け、関東・東海の諸城に早馬が出立する。
事態は、大きく動こうとしていた。




