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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第4部 天下を継ぐ者
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129話 分裂危機

 近江――八幡山城。

 雪解けが始まり、琵琶湖周辺も暖かい日が多くなってきた時期の事である。


 この日、この地を治める豊臣秀次は石田三成から報告を受け取っていた。


「……できたのか?」


「はい。長らく中断しておりましたが、ようやく完成にこぎつけました」


「……そうか」


 秀次が言っているのは、領内の国友で鋳造している大砲の事だ。


 かつて、大陸遠征の際、鉄砲の性能差では織田軍は明や朝鮮の軍勢を圧倒した。しかし、大筒の性能では明側の方が優れており、大砲を用いた戦いでは苦戦を強いられた。

 その際、明の大砲を鹵獲し、三成はそれを元にしたものを国友で作らせていたのである。

 本来、これは明や朝鮮での戦いで大砲の威力の凄まじさを聞いた信忠が命じた事であった。

 しかし、信忠が対馬海峡に沈み、近江一帯は信孝ら安土方によって制圧され、最終的には、大坂方によりこの辺りは奪還され安土城にこもった信孝も自害した。その後、近江は豊臣秀吉が自身への恩賞として受け取り、それを秀次に与えると同時に、大陸遠征こそ頓挫したもののこの大砲はいずれ来るであろう徳川との決戦に必須と考え、製造を続行させた。


 しかし、当時の職人の一部は戦乱に巻き込まれたり、安土方に加担したりで亡くなった者が多く、人材の補充にも苦労した。

 さらには、新領国の整備やら丹羽征伐にも時間をとられ、なかなか大砲の製作に時間を割く事ができなかった。


 結局、10年近い年月が過ぎた今になってようやくようやく完成にこぎつけたというわけだった。


「職人達からの話によると実戦で使うには、もう少し調整が必要だと思われますが徳川右府との決戦には間にあうかと」


 三成の報告を聞きながら、手元の報告書を見つめる。


「その時には必ずや、役に立つでしょう」


「……」


「何か?」


「いや、下がってよい」


 秀次がそういうとはっ、と軽く頷いて三成は退室していく。


 やがて、気分を落ち着かせるように秀次は嘆息した。


「……ふう」


「どうかされましたか?」


 不安そうに問いかけるのは、秀次お気に入りの小姓である不破万作だ。


「いや、やはり戦は避けられぬのかと思ってな」


「……少なくとも殿下はそれをお望みかと」


 その時、小姓の一人が部屋に駆け込んできた。


「秀次様。浅野長政様が城門前に」


「何?」


 浅野長政といえば、秀吉が織田家の末端だった時代からの重鎮だ。

 その長政が急に来訪したと聞いて、秀次は驚く。


「今日は、そんな予定はないぞ。何の用なのだ?」


「それが、秀次様にのみ話すと……どうされますか?」


「……」


 しばらく考えた後、秀次は答えた。


「会おう」



 やがて、広間に長政が通された。


 ここ数年、子の幸長が事実上浅野家を差配していると聞いていた秀次だが、目の前の長政から衰えらしいものは感じられなかった。

 若いころと変わらない、精力的な姿がそこにあった。


 簡単な挨拶が交わされた後、長政が切り出した。


「秀次様。以前、某にできる事なら徳川との戦を避けたいと仰っておりましたな」


「……ああ」


 そういえば、確か長政相手にその事を話した気がする。

 もちろん、秀吉批判にならぬよう、できる限り気を使ってだが。


「そのお気持ちは今でも変わってはおりませんか?」


 何の目的で長政が来訪したのか分からないが、最近長政は秀吉と疎遠になっていると聞いていた。


 ……だからまあ、多少本音を話したところで問題あるまい。


「……うむ。確かに戦をせずにすむのであれば、それに越した事はない」


 そう思いながら、長政に答える。

 その言葉に、しばらく探るような視線を秀次に向けていたが、


「申し訳ありません、ここは人払いを。二人だけで」


「二人だけだと?」


 秀次は怪訝そうな顔をする。

 万作をはじめとして、秀次側付きの者達も顔を見合わせる。


 いかに相手が、古くからの重鎮である長政とはいえ二人きりにさせてもいいものかと迷っている様子だ。


「……儂は構わん」


 秀次の言葉に、まだ躊躇していた様子だったがやがて一人、また一人と退室していった。



 やがて、秀次と長政の二人のみが残された。


「これで二人きりとなったが――何かあったのか」


「はい。ぜひとも二人きりで相談を、と思いましてな」


「人払いさせてまで、何の相談じゃ?」


「ではまず、これを見ていただけますか?」


 長政だ大事そうに抱えていた巻物を前に差し出す。


「それは?」


「……」


 秀次の言葉に長政はすぐに答えない。

 答えないまま、巻物の紐が解かれる。


 そこには、数名の名前が書かれている。

 まず目に飛び込んできたのは、現在は従二位権大納言にまで昇格していた豊臣秀長の名だ。秀長だけではない。

 目の前の、浅野長政を始めとして子の浅野幸長、蜂須賀家政、仙石秀久、脇坂安治、加藤嘉明、増田長盛らの名がある。

 長宗我部盛親、吉川広家、島津義弘、堀秀治、宇都宮国綱、南部信直といった有力大名の名もある。

 秀長の有力家臣である藤堂高虎、それに今は隠居している桑山重晴の名もあった。


 豊家関連だけではない。

 現在は、加増され60万石の有力大名になった松平秀康の名もある。

 石川数正、それに子の石川康長の名前がある。

 平岩親吉、酒井家次、渡辺守綱、水野忠重といった有力武将の名まで記入されている。


 そして、その全てに署名がされてある。


「……何かの連判状か?」


 わけがわからぬまま、それだけを秀次が口にした。


「はい」


 長政は頷く。


「書きようによっては、強力な武器になりえるものです」


 長政の目は真剣だ。

 じっと、秀次をとらえている。


 それを何とかそらさないように長政を見つめ、唇を震わせたまま答える。


「わ、わしに何をしろというのじゃ……」


「先ほど言っていたではありませんか。徳川との和睦を」


 長政は静かに続ける。


「秀次様単独で立ったところで、恐れながら関白殿下にはかないませぬ。おそらく、即座に討伐の軍を差し向けられるか、あるいは秀次様付の家臣達が従わず、下手をすれば反逆にすらならずに不発に終わるかと」


「……」


 秀次の口元が不快そうに揺れる。

 自分自身が事実と認識している事であっても、他人から指摘されるのとでは違うのだ。


 その秀次にですが、と長政は続ける。


「これだけの後ろ盾があれば話は変わってきます」


 見渡すように、連判状に書かれた名前を見渡す。

 確かに、ここに書かれてある者達の石高を合計すれば300万石を超える。


 それだけではない、豊臣秀長や松平秀康の名は大きい。

 この二人が造反すれば、豊臣・徳川両家は間違いなく揺れる。


 冗談を抜きに日の本が揺らぎかねないのだ。


 だが、それも全て事実ならばの話だ。


「そもそもこの署名、本物なのか?」


 秀次が訊ねた。


「本物です」


 即答である。


「某は長らく、各大名との取次を任されておりました。その時にできた縁を頼りまして」


 ふふ、と長政は笑う。


「秀長様もまた、徳川との激突する事態を憂慮されておいでです。その為に必要なものだと説得しました」


「騙したわけではないと?」


「はい」


 長政は頷く。


「では、松平秀康殿や石川数正殿の署名まであるのだ」


「徳川家との取り次ぎも某に任されておりましたゆえ」


「そうではない。どうやって、こんな署名をする気にさせたのだ」


「本格的なぶつかりあいを望まない声は、徳川家にもあるのです。最悪の場合は、秀康公を徳川の家督にと」


「徳川は納得するのか?」


「徳川右府殿、その右府殿の今は亡き長男の信康殿と気性が近いといわれる秀康殿に後継者に、という声は決して小さくはありません。不可能ではないかと」


「……」


 秀次は黙り込んだ。


「……秀次様」


 その秀次に語り掛けるように長政は続ける。


「某は決して私欲の為に、このようなものを作ったわけでもありませんし、使う気はありません。ただ、これ以上無益な争いをする必要がないと考えたからです」


「無益な争い、か」


「はい」


「豊臣と徳川の天下分け目の戦いとなれば、未曾有の血が流れます。それを避ける為にはここに秀次様の名前を」


「第二の信孝になれというのかっ」


「信孝とは違います。戦をせず、御家を乗っ取るのです。そのための手筈も既に整っております。秀次様さえご了承いただけば、この乗っ取りは可能かと」


「……」


 しばらくの沈黙の後、秀次は呟くように言った。


「なぜ、このような事をする」


「なぜ、とは?」


「なぜそこまでして、徳川との戦を避けたがるのだ」


「……そうですな。某が歳をとったからかもしれませぬ」


「……」


「若いころから某は、関白殿下に仕えておりました。当初、殿下の地位も織田家も安泰とはいいがたいものでした」


 秀次にとって、あまり当時の事は覚えていない。


 まだ幼いころ、秀次は宮部継潤の元に養子として送られていた。

 今でこそ、秀吉に重宝されている継潤だが、当時はそれまで仕えていた浅井長政から寝返ったばかりであり、秀次はその人質という意味合いもあった。


 その事を知っているだけに、当時の秀吉は安定していなかったという事は分かる。


「苦労に苦労を重ねました。ですが、それも気になりませんでした。殿下が、そして某が苦労すればするほど、それに見合うだけ出世する事ができましたゆえ」


 ですが、と長政は続ける。


「信長公が本能寺で討たれ、信忠公が天下を平定し、一時的ですが平穏が訪れました。その時に知ってしまいました。戦のない平穏な時間の幸福を」


 ですが、と秀次は続ける。


「それに、大陸への遠征でそれも終わりました」


「朝鮮への出兵か」


「某も朝鮮に渡海しました。幸い、織田信孝が決起した際には姫路におりました故、朝鮮に取り残される事はありませんでしたが、子の幸長や家臣達は朝鮮の地に取り残され、当時の苦労話を嫌というほど聞かされております」


「だから、これ以上大戦を起こさずにすませたいと?」


「はい」


 その言葉に――少なくとも秀次には――嘘は感じられない。

 ただ、様々な感情が入り乱れているであろう冷静な瞳が秀次をじっと眺めていた。


「徳川との大戦が一日二日で終わるのであれば、良いでしょう。ですが、そんな事は奇跡といってもいい。明や朝鮮との戦のように大軍と大軍のぶつかり合いとなれば、間違いなく長引きます。そうなれば、どれほどの犠牲が出る事でしょうか。これ以上の苦労など幸長や家臣達にさせたくはありませぬ――」


 ここで唇を噛みしめるように長政は続ける。


「断じて、これは信孝達のような私怨による決起ではありませぬ。そして、秀次様の協力なくして豊家の乗っ取りは不可能です」


「……」


 その言葉に、秀次は押し黙った。

 何と答えればよいかわからなくなったのだ。


「……とても即答できる問題ではない」


「分かりました。それでは、待ちましょう。しかし、いつまでも時間はありませぬぞ。関白殿下は、来年か再来年辺りに大軍を動かす気ですからな」


 それでは、とだけ言って長政は退室していった。

 見送る者はいない。


 ただ、一人だけになった秀次のみがぽつりと残された。

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