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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第1部 天下人の誕生
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12話 関東征伐1

「そうか。越後一国のみ安堵か……」


 春日山城。

 上杉家の本拠である、この地に織田家の使者が訪れていた。

 だが、景勝の表情は暗い。


「はい。信濃や越中にある領土は全て織田家や徳川家が接収する事になります」


 織田家からの使者は、淡々と告げる。


「……」


 景勝は無言で、織田家からの決定を聞いている。

 やがて、無言で使者を下がらせた。


 後には、上杉家の幹部達が残される。


「まあ、やむをえないでしょうな」


 開口一番に兼続が言った。


 家康を通じ、景勝は正式に織田に下った。

 年始には、年賀の挨拶をするべく安土に赴き高価な贈り物もした。

 だが、織田の下した裁定は越後のみの安堵だった。


 最も、それも仕方のない事かもしれない。

 越中の大半はすでに、柴田勝家ら北陸方面軍によって制圧されている状態だったし、信濃にしても信長横死後のどさくさに紛れてかすめ取ったようなものだ。


「……それでよいと、兼続は申すか」


 だが、景勝の声には不満の色がにじみ出ている。

 口数は少ないが、人一倍野心の大きいこの男にとってこの決定に不満でしかないのだ。


「はい。現状ではこれが限度でしょう。それに、織田は佐渡への不可侵も約束しております。どうやら、あの地の価値には未だに気づいておらぬ様子ですし」


 佐渡国は、この時期、有力な主はおらず、荒れた状態だった。その佐渡に目をつけ、領国化しようと上杉家は目論んでいた。


「今はそれで満足するほかないか」


 景勝は、不満そうだが納得した様子だった。


 現在、景虎との家督争いに加え、度重なる織田軍の侵攻で上杉軍はぼろぼろだ。

 本能寺の変が起きた際、起死回生の策として行った信濃侵攻も失敗に終わった。

 織田どころか、徳川や北条単独でも勝つのが難しい状態だ。

 当面は立て直しに専念するほかないだろう。


「ですが、その前には北条です。おそらく、近いうちに北条征伐を織田ははじめるでしょう。我ら上杉もそれなりに実績を示す必要があります」


「北条にか……」


 景勝が複雑そうな顔を浮かべる。


「まあ、北条には気の毒な事をしましたな」


 兼続がぬけぬけと言ってのけた。

 彼の発案により、上杉は北条と手切れ。結果として北条は窮地に陥ったにも関わらず、どこ吹く風といった様子である。まだ、20代の前半と若年ながらもその神経は図太かった。


「まあ、やむをえまい。北条には我が上杉の為の贄となってもらうほかあるまい」


 景勝も同意する。

 彼とて戦国大名。

 必要以上に他家に感情移入する気はなかった。


「北条とぶつかれば、間違いなく織田が勝つな」


「当然でしょうな。北条は5万以上の軍勢を動員できますが、織田はそれ以上です。我らや徳川にも兵を出させれば、15万を超える兵が動員できます。しかも、経済都市の堺や政の中心である京の都を抑えています。様々な面で、織田が圧倒的に優位でしょう」


 兼続が答える。


「そもそも、我ら上杉と共同戦線を張っても勝てないと考えたからこそ我らは織田に下る道を選んだわけですし」


 その言葉に景勝も苦笑する。


「そうであったな」


「おそらく、容易に一蹴されるでしょう」


「容易にか」


「はっ」


 兼続は主の言葉を首肯してから、こう続けた。


「それにしても、先代・謙信公の時代からの宿敵である北条家がこのような末路になるとは、いささか哀れなですな」






 一方の、小田原城。

 関東八ヶ国に権勢をふるう、北条一族の本拠だ。

 かつて、上杉謙信に10万の大軍で包囲されても落ちなかったこの城は、謙信襲来時からもさらなる拡張が行われており、防衛機能はより強固になっている。

 城下ごとすっぽりと覆う巨大な城郭を持ち、自給自足も可能であり、数万の兵が籠る事のできる金城湯池の城だ。


 まさに、関東の覇者に相応しい難攻不落の堅城といえよう。

 だが、今この小田原城は暗鬱な空気に満ちていた。


 小田原城の広間に、北条家当主氏直をはじめとする中軸を担う一族や幹部達が集っていた。

 だが、皆の雰囲気は暗くて重い。

 陽気な顔をしている者は一人もいない。

 それぞれが鬱屈な表情を浮かべたままの軍議である。


「やはり上杉など信頼できなんだか……」


 この日、開口一番に北条氏政が吐き捨てるように言った。

 既に、北条家の家督自体はすでに氏直に譲ってはいたが、実権は今なおこの男が握っている。

 事実上の当主は未だに、氏政だといってもいい。


「織田に下ったそうですな、上杉は」


 不快そうな表情で言ったのは氏政の弟である北条氏照だ。

 数々の戦場を駆け抜けた歴戦の将だ。


「うむ。我らに盟約を持ちかけたのは上杉だというのに勝手な事よ」


 それに頷いたのは当主の北条氏直だ。

 普段は大人しい氏直だが、上杉のあまりにも勝手な盟約破棄に彼も憤っているのだろう。

 顔は紅潮しており、興奮していた。


「しかし、これで当家は関東に孤立してしまった。駿河の徳川は織田の同盟国だし、北関東の小大名どもも織田に逆らってまで当家に手を貸そうとはすまい」


 暗鬱な表情で言ったのは、松田憲秀だ。

 松田家は、初代早雲以来の北条の要ともいえる譜代。

 国府台合戦や神流川の戦いなど、北条家の主だった戦の数々で武功をあげている。


「何せ、今や織田は上杉や毛利を事実上下し、しかも徳川家と同盟しています。駿河より以西の本州全てを支配下に置いたも同然ですからな」


 憲秀の言葉に、北条氏邦も続いた。


「抱える軍勢は、今や20万ともいいますからな。当家との間では差がありすぎます」


「勝ち目はないと申すか」


 氏直の言葉に、氏邦は黙って頷いた。


「では、お前らは降伏するというのか? 神流川で滝川一益を叩きのめし、織田を追い出した我らを信忠は許すまい。第一、織田は北条など関東の一大名としか思っておらん。だからこそ、本能寺で信長が死んだ時に我らは織田と袂を分かつ事にしたのではないかっ!」


 氏政はそう言い、立ち上がった。

 興奮しているためか、顔は赤く染まっており息も荒い。


「御隠居、ここはなにとぞ冷静に」


 北条氏規が、遠慮気味に言った。


「兄者たちの意見も最も。御当主の意見もです。下手に織田に下ったところで間違いなく冷遇されましょう」


「では、叔父上は織田と一戦交えるべきだと?」


 氏直が問うた。


「無茶な。当家との力の差は明らかだ」


 氏邦の言葉に、氏規は黙って首を横に振った。


「いえ、私も下ることに異論はありません。ですが、仲介を頼むべきかと」


「仲介? 誰にだ」


「徳川殿です」


 氏規は、伊豆の韮山城を居城としており駿河を領する徳川との親交があった。

 単に、北条家重臣と徳川家当主との間の親交ではない。


 かつて、家康が今川家に人質として駿府にいた際、氏規も今川家にいたのだ。その際から家康とは個人的に親交があり、関係は良好だった。


「しかし、家康が信頼できるのか? 駿府城に本拠を移したのは我らを討伐するためだと聞くぞ?」


 この時期、家康は浜松城から駿府城へと本拠をうつしていた。

 遠江の浜松城よりも駿河の駿府城の方が北条領には近く、北条征伐に備えてという噂が駿豆の国境周辺で飛び交った。

 それを北条が警戒するのは無理もなかった。


「それに、徳川とは甲信を巡って刃を交えてしまっておる」


 氏照も疑問符を浮かべる。

 彼もまた、徳川に取り成しを頼んだところでうまくいかない可能性が高いと考えているのだ。

 というより、甲信での経緯以前に徳川家は織田家の同盟国である。

 それも、現在の力関係からいえば主従関係に近い。


 その織田家が、北条征伐を決めたのだ。

 もし、徳川と縁の深い大名家ならばともかく甲信でぶつかった北条家のために取り成しをしてもらうのは難しいだろう。


「では、他に誰がおります? 上杉だけでなく、宇都宮も、佐竹も、里見も織田に組する事をすでに表明しているのですぞ」


 関東一円をぐるりと囲むように、周りの大名は既に反北条を表明している。


「……分かっておる。だが、やってみるほかないであろう」


 そんな中、氏規はわずかな望みを家康に託すほかなかった。



 やがて、家康からの使者としてこの城を訪れていた者がこの席に招かれた。


 使者の名は、朝比奈泰勝。

 現在、家康に元にいるかつての駿河国主・今川氏真の家臣であり、長篠の戦いでは主である氏真と共に参戦し、武田四天王の一人である内藤昌豊を討ち取った者でもある。

 今川家滅亡後も、氏真に着き従っていた者であり氏規とも面識はあった。


「朝比奈殿。以上の事を徳川殿に伝えてもらえないであろうか」


 北条側の要望をまとめ、改めて泰勝に伝えた。


「伝えはしますが……」


 泰勝の歯切れは悪かった。


「無理だというのか?」


「はっ、信忠様は既に関東征伐の為に領国中の大名に動員令をかけております。今さらそれを取り消すような事はないかと」


 泰勝の発言に、北条一族の顔が曇る。


「そこを何とかできんのか」


「我が主は、氏規殿は旧知の間柄ゆえ何とかしたいと仰せでしたが信忠様の関東への出兵は避けられないかと」


「……」


 その言葉に、改めて絶望したかのように氏規は目を震わせる。

 そこに、慌てて付け加えるように泰勝が言った。


「しかし、氏規殿には是非とも生きていただきたいと考えております。氏直様も同様です。関東征伐が行われても、信忠様に助命するように働きかけるとも」


「お気持ちはありがたいが……」


 氏規が言いよどむ。


「――もう良い」


 氏政が、口を挟んだ。


「朝比奈殿。こうなってしまってはやむをえない。徳川殿や織田殿には弓矢を持って相手をすると伝えてくれ」


「兄上っ!」


 氏規が驚いたような声をあげる。

 氏政がそれを制すように、話し始める。


「致し方あるまい。かつて儂は、関東一円を支配して畿内から独立した北条の国を作る事さえできれば、上方がどうなろうとよいと考えておった。だから、織田が武田を滅ぼしても関東の統治を北条に委ねるというのであればそれでいいと考えておった。信長が天下人になろうともな」


 氏政は、武田征伐が行われた際、信長に高価な品を送り続け、織田政権への忠誠を誓った。

 だが、信長は関東の覇者などというものを認める気はなかった。

 信長にとって、武田や上杉以上の大国である北条の存続など許せるはずがなかったのである。

 武田征伐終了後、北条にはほとんど恩賞を渡さずに滝川一益の組下のような扱いを強いた。


 それに腹を立て、本能寺の変で信長が横死した後に反旗を翻した。

 信忠の生存を知り、織田家の力が未だに衰えていない事を知ってからは上杉と結び、対抗しようとした。

 だが、その上杉も北条を見限ったのだ。


「結局のところ、真の独立などは北条単独でないとありえないということよ。信忠には儂らの力を存分に見せつけ、関東の支配者は誰なのかを教えてくれる」

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