127話 豊臣一門
姫路城――。
かつて中国平定戦の際、当時羽柴秀吉と名乗っていた頃の秀吉が本拠として使っていた城で、その前は黒田孝高の城だった。
その姫路城にこの日、秀吉はいた。
大坂城にいる事も多い秀吉だが、この日はこの城に来ていた。
「久々じゃな、この城も」
「はい。なつかしいですな」
応じるのはこの城を提供した黒田孝高だ。
姫路城の廊下を二人は歩く。
傍らには、数人の小姓を連れているだけだ。
名目上はあくまで織田秀信の城である大坂城とは違い、この城で警戒すべき事などほとんどないといっていい。
やがて、ある一室に辿り着く。
その部屋の襖が開けられる。
「おお、父が来たぞ!」
そう笑みを浮かべて入った先にいるのは、いまだ4つか5つと思しき幼い子供と数人の侍女と思しき女性達だ。
「殿下。いつこちらに……?」
驚いたように女性達の代表と思しき美しい女性が答える。
「つい先ほどな。本当はすぐに戻る気でおったが、子の顔ぐらい見てから大坂に戻ろうと思っての」
そう言って秀吉は、子供――拾丸を抱き上げる。
ほとんど見ない父の顔を見て、拾丸は怪訝そうな顔をしている。
「すまんが、他の者は席を外してもらえるか。わずかとはいえ、親子だけの時間が欲しいのじゃ」
その言葉に、侍女達はそそくさと退室していく。
すぐに、この部屋は秀吉と拾丸に孝高。そして、一人の女性が残される。
唯一残された女性――淀が話そうとするよりも先に秀吉は声を張り上げて言った。
「おお、予はお前の父じゃ。覚えておるか。父上じゃっ」
「ちちうえ?」
たどたどしい口調で、拾丸は言われた言葉を真似るように言う。
「そうじゃ、父上じゃ」
くしゃくしゃと、まだ伸ばしたままになっている髪の毛をなでる。
拾丸は、きょとんとした様子でそんな父・秀吉を眺めている。
そんな様子でも、子の顔を見て満足したのか秀吉はすっと立ち上がる。
「予はこれから、大坂に戻る。 ……おお、そうだ」
「何でしょうか?」
自分に話しかけられた事に気づいた淀が聞き返した。
秀吉は、一度拾丸の方を見てから淀の方を向いて言う。
「元服した暁には、予の秀の字を与えて秀頼と名乗らせようと思っておるが、どうじゃ?」
「はあ……」
まだまだ先の事だと思っていた元服の話を急に持ち出され、淀はどう答えれば良いのか分からない様子だ。
そんな様子を見ても秀吉の様子は変わる事なく一人でうむうむ、と頷いた後、
「良い名であろう」
「はい」
秀吉の思惑は分からないままだが、こうなっては頷く他ない。
「家康めを倒した後は、秀次には東国の守りを任そうと思っての。秀長の倅はもう長くないかもしれんが、何、予には他に子がおる」
「他の子と仰りますと……?」
秀吉の子は、今この場にいる拾丸のみのはずだ。
「分からんか」
ふふ、と面白そうに秀吉は笑う。
「秀家と秀秋よ」
「ああ」
ここでようやく納得したように淀は頷いた。
宇喜多秀家と、小早川秀秋は今は宇喜多と小早川の当主として領国を統治しているが元は秀吉の養子だ。
「家康を倒せば、あの二人を大坂に呼び寄せて補佐させる。ま、一人邪魔な御曹司が一人おるが――大した問題ではあるまい。家康さえ倒せばもはや脅威はない」
邪魔な御曹司、とはおそらく織田秀信の事を言っているのだろう。
「それに、頼りになる家臣達もおる。 ……のう」
その言葉に傍らの孝高は黙って頷く。
「殿下は、どうされるのですか?」
「予か?」
淀の言葉に愉快そうに口元を釣り上げ、
「残念ながら、予は長らく生きられん。おそらく、後数年の命であろうな」
「そのような事は……」
「隠す事はない。予が死ねば、お前はこの子の生母として好きに振る舞う事ができるのだぞ」
「……」
淀の視線が秀吉から逸らされる。
その様子を見て秀吉は小さく笑い、
「何。咎める気はない。むしろ、そのような野心を予はこのましく思っておる。それでこそ、予の仕えた織田信長公の姪であり、浅井長政公とお市の方様の子よ。かつて、予と大坂城で会った時の事を覚えておるか。柴田勝家が大坂城を攻めた際、人質交換の時じゃよ」
「……はい」
「元々、お前の事は気に入っておった。何せ、あのお市様の子なのだからな。じゃがな、お前であれば必ず予の子を産んでくれると確信したのはその次に会った時じゃ」
す、と口元の髭を秀吉は愉快そうに触った。
「その時は北庄城が落ち、お市様は自害なさり、柴田勝家も予が討ち取っておった。お前の妹達は未来を悲観したように暗かったが、お前だけは違った」
「……」
「お前の瞳には、まだそれでも上を目指そうという野心の炎が宿っておった。予はそこを気に入ったのよ」
「……」
淀は、ただ無言で秀吉の言葉を聞いている。
だが反論したりはしない。
「その時に確信したのよ。お前なら、必ずや予の子を産んでくれるとな。自分の野心をかなえる為に」
そういって秀頼はしゃがみ、秀頼を慈しむように抱き上げる。
そこには、傘下の大名や武将達どころか、他の側室達にさえ見せないような慈しむような笑顔を浮かんでいた。
その笑顔のまま、視線は拾丸の方に向けたまま秀吉は唇を動かす。
「その期待に見事答えた。予はそれに十分に報いてやる気でおる。 ……故に、これ以上は何もする必要はない」
それだけを言うと、拾丸を下ろし、今度こそ部屋から立ち去った。
「……」
残されたのは淀と、
「ははうえ、ははうえっ」
無邪気な声でその淀にじゃれつく拾丸だけだった。




