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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第4部 天下を継ぐ者
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123話 豊臣一族

 大坂城――。

 関白となって以降、京で政務を執る事の多かった豊臣秀吉だが、この日は大坂城にいた。

 大坂城にて、使者からの報告を聞いている。

 使者の主は、対馬大名である宗義智だ。


「うむ。では、朝鮮との間での和睦交渉は順調なのだな」


「はっ」


 使者は平伏して答える。


「あれから数年。お主らにあまり力を入れてみてやる事ができずに、色々と苦労をかけたの」


「いえ、もったいないきお言葉……」


 織田信孝が決起し、日の本を二分する大乱となって以降、朝鮮半島の地から織田軍は撤退した。

 それ以降、戦後の朝鮮との交渉を宗氏に任せた後、秀吉は本州で信孝の軍勢と戦い、家康と派閥争いを繰り広げており、使者からの報告をただ聞くだけだったのだ。


 その秀吉が、一通の書状の写しを見て言った。


「だがな。この朝鮮王への使節に渡すという文書――少し問題がある」


「は? どの辺りでしょうか」


「そうよな。日本国の主という部分の名が織田秀信公になっておる。ここは予の名前に変えておいてくれ」


「で、殿下。ですが……」


 その言葉に、使者は狼狽える。

 事実上の天下人の座は秀信ではなく、秀吉に移行しつつある。

 だが、公の文書でそれを記すかどうかではまるで意味が違うのだ。


「言いたい事は分かる。だが、信忠公は大陸侵攻の発案者であり、秀信公はその子。その秀信公の名で出すよりも、予の名前で出した方が良かろう。何、あくまでも名目上じゃ」


 そう言って秀吉は小さく笑う。


「は、はい……」


 使者としても、時の権力者である秀吉に逆らえるはずがない。


 特に、宗氏は今、秀吉――というよりは、織田公儀に見捨てられてはこの先が絶望的になる。現状、朝鮮との交易が止まった事による出た損失を、支援という形で九州の大名から補填してもらっているのだ。その九州の大名達は親豊臣色が強く、これを止められると、宗氏はどうしようもなくなる。


 ただ、従う他なかったのである。


「うむ」


 そんな事情を理解しているのかいないのか、秀吉は黙ってうなずく。


「では、その線で進めてくれ」


 それだけを伝えると、使者を下がらせた。


 この時、秀吉は大陸への興味はかなり薄れていたのだ。

 そもそも、この大陸出兵を当初発案した織田信長も、実行に移した子の信忠も既に死んでいる。

 秀吉自身も、大陸出兵には肯定的だったが今は後継者ができた事もあって畿内での基盤を盤石にする事に重点を置いていた。


「よろしいのですか?」


 傍らの黒田孝高が訊ねた。


「何がじゃ?」


「大陸出兵です。殿下の口ぶりからすると、これで手打ちにされたいご様子ですが」


「ほう、お主は続けたかったのか?」


「いえ、そのようなつもりは」


 孝高は首を横に振る。


「まあ、亡き上様の懸念していた問題が一つ。既になくなっていた事が分かったからの」


「南蛮国の我が国への出兵計画ですか」


 信忠の大陸征服の理由の一つは、南蛮国の脅威への対抗だった。

 大航海時代に入り、ヨーロッパの国々はアジアにまでその手を伸ばしてきており、日本もそれと無関係ではいられなくなった。

 日本へと軍勢を派遣し、自らの版図に加えんと目論む国も存在していたのだ。


 その最大の脅威とみなされていたのはスペインだった。

 領土欲が旺盛であり、アジアにまで出兵するだけの力があった。

 事実、日本からさして離れていない距離にあるフィリピンを武力で制圧されてしまっていた。


「うむ。だが、エゲレスの水軍に散々に叩きのめされてそれどころではないそうだしの」


 織田信忠が大陸出兵を始めたのと同年――日の本や朝鮮半島からはるか離れた先。ヨーロッパの地でも歴史に刻まれる戦いがあった。


 スペインの艦隊をイギリスが英仏海峡で迎え撃ったいわゆる、アルマダの海戦である。

 当初、この戦いはスペインの圧倒的優位と言われた。

 しかし、結果的にはフランシス・ドレーク率いるイギリス艦隊が、当時世界最強とまで謳われた無敵艦隊――後世に揶揄も込めてつけられた名称だが――率いるスペイン艦隊を撃破。


 スペイン側の被害は甚大だった。

 艦隊を失っただけでなく、スペインは世界最強国としての威厳を粉々に粉砕されたのだ。

 これを契機に、スペインは徐々に国力を落としつつあり、アジアでの影響力も失いつつあった。


「ま、対馬の件はもう良かろう。他はどうなっておる」


 はっ、と孝高は続ける。


「福島殿や加藤殿、小西殿ら新領国の統治もうまくいっている様子。豊前に関しても某の子の長政が統治しており、問題は今のところ発生しておりません。こちらに関しは問題ないとして問題は」


「龍造寺か」


 はい、と孝高は頷いた。


「お察しの通り、龍造寺家では現状、政家・高房親子ではなく鍋島直茂が事実上龍造寺をまとめております」


 龍造寺政家は元々病弱な人物だったのだが、朝鮮から帰国後それが悪化。

 家督も子の高房に譲った。

 だが、この高房もまだ7歳と幼い。このような年齢で、家をまとめられるはずもなく、実権は鍋島直茂が掌握していた。


「まあ鍋島であろうが、龍造寺であろうがうまくまとめてくれるのであればそれで構わん。もちろん、予に従う事が前提じゃがの」


 そう言って秀吉は小さく笑った。

 ははっ、と孝高も頷く。


「ところで」


 ここで改まったように表情を変えた。


「殿下は今、ある噂が流れている事はご存じで?」


「噂。 ……ああ、秀次の件か」


「それに秀長様や浅野殿もです」


 孝高が付け足した。


「あ奴らが手を組んで予に反旗を翻すという噂、な。馬鹿げておる。あまりにも」


 吐き捨てるような口調だ。

 そんな噂を流した相手に対してだけでなく、それを信じようとする者達に対しても秀吉は腹を立てていた。


「確かに若君の誕生により、秀次様の立場が悪くなってしまったのも事実。何らかの形で手を打ちませんと、危険ではないかと」


 その言葉に秀吉は一瞬、表情を消したように静かになった後、


「分かっておる。何とか手は打つ。 ……そのうちな」


 とだけ言った。






 近江――八幡山城。

 関白・豊臣秀吉の甥であり、これまで後継者候補の筆頭と見られていた豊臣秀次の本拠である。

 この日、彼はちびちびと酒を飲んでいた。

 酒の相手をしているのは、彼の小姓である不破万作だ。

 天下の三大美少年とも言われ、秀次のお気に入りでもあるが、そんな彼を前にしても秀次の表情は晴れないままだった。


「秀保様のご様子は……?」


 その万作が不安げに尋ねる。

 彼はこの日、実弟であり現在は豊臣秀長の養子となっていた弟の秀保の見舞いに行った帰りだったのである。


「よくない。すっかり寝込んでしまっておる」


 不機嫌そうに秀次は返す。

 だが、一気に盃を呷る事なくすするように酒を飲むだけだ。


「下手をすれば、長くないかもしれん」


「そのような事を……」


 万作は窘めようとするが、秀次は聞こうとしない。


「病ならばまだ良いが、もしや関白殿下に何かされたのではないか? 豊臣に連なるものとして、将来、子の障害になるとして……」


 すでに、盃の中の酒は空になっている。

 だが、それに気づく様子もなく秀次は空の盃を口元の近くに浮かべたままだ。


「御親族ともなれば、将来は拾様をお支えする大事な力となるはず。そのような、大事な方々を消すような真似を聡明な殿下がするとは思いません」


「だといいがな」


 そう言われても、秀次の不安は消える様子はない。

 ここで、ようやく盃が空になっていることに気付いたようだ。

 それを見て、万作が新たに酒を注ぐ。


「どうぞ」


「うむ」


 ばつが悪そうに盃を突き出す。

 新たに注がれた酒を一口飲み、


「今のわしにこの酒はあわんな」


「では、新しい酒を」


「構わん。今のわしでは、何を飲んでも同じ味にしかならんわ」


 唇から一筋の雫が垂れるが、それを拭おうともしない。

 それを拭こうとした万作も手で制した。


「……」


 そして、黙り込んだ。

 気まずい沈黙が流れる。


「実はな」


 新たに注がれた盃が空になってから、ようやく秀次が口を開いた。


「良くない噂がある」


「良くない噂……?」


「うむ。わしが殿下に槍を向けて豊臣家を掌握するという噂だ」


「それは何とも……」


 万作は驚いたように目を瞬かせた。


「根も葉もない噂よ。荒唐無稽もいいところじゃっ」


 不快そうに秀次は空になった盃を蹴った。


「くそっ、儂にそのような気はないというのに何故、そんな噂が流れる!」


「殿……」


「第一、吉政も三成も元はといえば殿下がわしにつけた家臣共じゃ。仮にわしが殿下に背いたとしてもあ奴らが従わなければ意味がなかろうにっ」


 激昂したように秀次は、先ほど蹴った盃を踏みつける。


「くそっ」


 さらに執拗に蹴り続けていたが、やがて蹴り疲れたのか崩れるように座り込んだ。


「殿……」


「心配はいらん」


 不安そうに駆け寄る万作を制し、秀次はどんよりとした目で回りを見渡す。


「いっその事、本気で反旗を翻してくれようか……」


「殿っ」


 諫めるように万作は声を荒げる。


「冗談だ」


 秀次は苦笑して立ち上がる。


「わしにそんな度胸はない。それに、さっきも言ったように吉政や三成はわしの臣下ではなく殿下の臣下……従う者がいなければ、わしも立ち上がる意味があるまい」


 一度嘆息してからそれに、と続ける。


「清正や行長もわしの事を嫌っておる。名護屋城でわしが苦戦したから、あいつらは朝鮮の地で長らく暮らす羽目になったのだからな。仮にわしが殿下を放逐したとしても、あ奴らが従うことはあるまい」


 秀次は力なく歩き出した。


「と、殿!?」


「もうわしは寝る」


 それだけを言うと、襖の向こう側へと秀次は消えた。

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