121話 婚姻関係
仙台城。
伊達家の本拠として普請作業の終わったこの城に、伊達政宗はいた。
この日、徳川家から使者として本多正信が訪れていた。
「遠路はるばるご苦労であった。右府(家康)殿はいかがしておられる」
まずは、当たり障りのない雑談から始まった。
正信が切り出したのは、雑談が一区切りついてからだった。
「此度は、姫君を授かったそうで。誠にめでたきこと」
「おう、五郎八の事か」
この時、政宗は正室・愛姫は長女を出産していたばかりだったのである。
「生憎、女子であったがな」
政宗が苦笑気味に言う。
彼としても、後継者になりえる男子の方を望んでいたのだろう。
「何、むしろ姫君だからこそ良かったといえるでしょう」
「どういう事だ?」
政宗は怪訝そうに訊ねる。
「五郎八姫様と辰千代様との間で婚儀をと、某の主君はお考えでしてな」
「何だと?」
政宗の顔に驚きの表情が浮かんだ。
辰千代というのは、家康の六男。
この時、3歳だった。
「年齢的に申し分ないかと」
「年齢的には確かに関係はないが……」
この時代でも、生まれたばかりの赤子との間で婚姻を交わすというのは珍しい。
それだけに、政宗も正信の提案に驚いていた。
「……」
暫し考え込むように顎に手を当てた後、探るように言った。
「確かに、右府殿の子であれば、当家との釣り合いもとれる。何せ、当家は400年にも渡り、奥州国を治めてきた由緒正しき家柄ゆえな」
しかし、と政宗は続ける。
「疑問がある。辰千代殿は本当に、右府殿の血を引いておるのか?」
無礼とも言える発言である。
だが、正信は淡々とした様子で答えた。
「間違いありません。辰千代様は上様の血を引く御方であり、秀康様や秀忠様の弟君です」
「そうか。しかしのう……」
政宗の言う通り、辰千代は家康に疎まれているという噂が密かに流れていた。
次男・秀康同様に、そもそも自身の子だと認めていないという噂もあれば、長男・信康に顔が似ている為嫌われているとも。
「右府殿は捨てろとまで命じられたと聞くが」
「根も葉もない言いがかりですな」
正信は小さく笑った。
「何としてでも、上様と辰千代様との間を切り裂こうとする者がいる様子。そのような些末な噂に動じる者など、器が知れます」
「うむ……」
正信の言葉に、政宗は眼帯の近くを触る。
「――なるほど。確かに、些事であった。そのような御子であるなら、この奥羽の名家である伊達家に出すはずないしの」
ふふふ、と不敵な笑みを政宗は浮かべる。
「――分かった」
ぱん、と両手を叩いて政宗は続ける。
「縁談の件――承知した。さすがにすぐにとはいかんが、適正な年齢となれば右府殿のところに五郎八を送り出そう」
「それはいつ頃になりましょうか」
「適正な年齢は適正な年齢じゃ。確約はできんな」
「……左様でございますか」
正信は政宗の意図を察したのだ。
いつまで、徳川家が大勢力を維持できるかどうかまだ分からない。
豊臣家を倒し、天下を掌握してくれるのであれば、そちらの方が良いが、逆に豊臣家に滅ぼされる可能性もある。
そうなれば、その徳川家と婚姻関係があるのは何かとまずい。
徳川の天下に賭けた政宗だが、全ての財を賭ける事なく、最悪の場合は豊臣に取り入る事も選択肢に入れていたかったのだ。
「ま、そういった話はこの辺で良かろう。今宵はゆるりと寛がれよ。宿所はすぐにでも用意させる」
「いえ、某はこの足で戻る予定でおりますゆえ」
それだけを言うと、正信は仙台城から去っていった。
それを見届けた後、政宗は側近である片倉景綱を呼んだ。
「どう思う」
「誠にめでたき縁談かと」
景綱の最初の一声がこれである。
「めでたき縁談か」
口元の端をニヤリと政宗は釣り上げる。
「殿の野望の為にこれほどの良縁はありますまい」
「良縁か」
「はい。右府殿は、殿が織田秀信に代わって次代の天下人になられると見込んだ御方。辰千代様はその右府殿の血を引き継ぐ御方」
「本当にそうだか怪しいものだがな」
「そうでないとしても、右府殿は自身の子と認知しております。問題はないかと」
「それもそうか」
政宗はそう言って小さく笑った。
「しかし」
と続ける。
「露骨に婚姻をしてしまうと、関白の機嫌を損ねるかもしれんと思っての。一応、延期するように言っておいた」
「意外ですな」
政宗の言葉に景綱は本当に意外そうなものでも見たかのように、目を見開く。
「ま、そういうな。儂はこう見えても小心な面もあるのよ」
「確かに、関白と右府殿の中央での争いは関白優位と評判ですからな」
「うむ。黒脛巾組もそう報告してきておる」
「それでも殿は右府殿の勝利に賭けると」
「無論」
政宗はそう言って隻眼を光らせた。
「勝てる可能性の方に高い方に賭けたところで、得るものは小さい。今から関白に取り入って関白の天下が決まったとしても、おそらくは所領安堵程度で、良くても微増。下手をすれば、四国や九州辺りに飛ばされるかもしれん」
「四国や九州辺り、ですか?」
「うむ。関白め。天下を平定したら、日の本を再編成する気でおるらしい。しかも忌々しい事に、既に上杉が関白と昵懇の関係だ。関白は上杉に東国の盟主の座を任せる気でおるらしい」
「それはもう決まっておられるのですか?」
「いや」
政宗は首を横に振る。
「黒脛巾組が、それらしい話をつかんだというだけだ。上杉は先代の反動か、領土欲が旺盛ゆえな」
はっ、と吐き捨てた。
政宗は大の上杉嫌いなのだ。
「忌々しい事に、会津を狙っておるらしい。あの地の主には儂こそが相応しいというのに」
「会津もですか。上杉はてっきり、最上殿の領地に涎を垂らしていると思いましたが……」
「いや、叔父上の領地にもだ。上杉は、関白が天下を平定した暁に200万石以上の領土を得る約定になっておるらしい」
「200万石ですか。それはまた相当ですな」
「全くよ。儂ですら、右府殿が天下を平定した暁にはせいぜい100万石ほどで我慢しておこうと思っておるのに」
「それはまた、殿にしては慎ましい願いですな」
「一言余計じゃ」
ふふ、と政宗は笑う。
景綱とは、幼少期から親しい間柄であり多少の無礼は許していた。
「そういえば」
と景綱は話題を転じた。
「最上殿も、関白との繋がりを模索しているようですな」
「うむ。叔父上も、親徳川を公言しておきながらな。後継者候補の筆頭格である豊臣秀次に自分の娘を側室に、と申し出ておるらしい」
秀次や秀長もまた、この時既に豊臣姓を与えられていた。
「秀次殿ですか。関白は実子が生まれたばかりと聞きましたが」
「まだ赤子だ。本当に育つかどうか、分かったものではないわ」
医療もさほど発達していないこの時代、確実に成人するまで育つ保証はない。
歴史に名を刻む事なく、早世した子供も多いのだ。
「仮に育ったとしても、10年、いや15年は必要だ。関白の体は決して思わしくないらしい。そこまで生きられるとは限らん」
この時点で、秀吉もこの時代の平均寿命を既に過ぎていた。
「少なくとも、当面は繋ぎとして秀次が差配するじゃろ。そうなれば、実質的な天下人じゃ。取り入って損はないと考えたんじゃろ、叔父上も」
「それで子を――」
「うむ」
政宗は頷く。
「まあ、叔父上は関白とあまり相性が良くないと聞く。やはり、右府殿に天下を取って欲しいと考えているのじゃろう」
「それは殿も同じでしょう」
「まあな」
政宗は黙って立ち上がった。
いくらか、その動作は重い。
天正大乱終結後、戦らしい戦が減った事により、政宗が運動する機会はだいぶ減った。
しかも、彼は美食家でもあり食事の量が多く、腹の肉が重くなってきているのを感じていた。以前はそれ以上に運動量が多かったのだが、今はそうでもないのだ。
だが、今日はそんな腹の重みなど気にならなかった。
「いずれ儂の時代は来る」
「はい」
景綱もそんな主君・政宗にはっきりと向き合って頷く。
「五郎八と辰千代は、その為の布石じゃ。いずれ役立ってくれるぞ――必ずな」




