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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第4部 天下を継ぐ者
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119話 細川忠興

 世の中は動いている。


 未だに織田宗家を頂点とした公儀体制を表向き維持しつつも、実質的な政治の権限は関白・豊臣秀吉に集まりつつあった。

 右大臣・徳川家康も負けてはいない。

 何とか巻き返しを図ろうと、東国の大名をまとめていた。

 秀吉側も、西国の大名との繋がりを濃くし、畿内より以西の基盤を盤石のものにしようとしていた。

 もはや、旧織田大名は豊臣家、あるいは徳川家への事実上の従属を余儀なくされているといってもよかった。


 それでも、豊臣家とも徳川家ともある程度の距離を保ちつつもそれなりの力を保持していた旧織田系列大名がいた。


 細川忠興である。

 父・幽斎は足利義昭、織田信長に仕えて来た人物であり、本能寺の変以降はそれまで親しかった明智光秀と袂を分かち、織田宗家への忠誠を示した。

 北条征伐、東北、紀伊平定。そして四国、九州征伐。

 大陸出兵でも、それなりの数を連れて参戦して武功を示した。

 天正大乱では、朝鮮半島残留組であった為、大した見せ場はなかったものの、これまでの功績から戦後は三中老にも任ぜられた。

 石高も40万石を超え、大大名の仲間入りを果たしたといっても良かった。


 だが、そんな彼にも弱味があった。

 それが正室である珠姫だった。

 後世、細川ガラシャの名で知られ、国外でも有名になる女性である。


 彼女の父親は明智光秀。

 父・幽斎が光秀と親しい間柄だったという事もあり、両家の絆を深める為にこの縁談は結ばれた。


 が、そこで発生したのが本能寺の変である。

 明智光秀が謀反を起こし、織田信長を屠った事により、彼女の立場は「織田家重臣の娘」から「謀反人の娘」に変化した。


 ここで、もし父・幽斎が光秀と心中する道を選んでいたのであれば、彼女の立場はまた違ったものになったかもしれない。

 が、彼も細川家の当主。

 冷静に当時の状況を分析し、秀吉・織田信孝らの明智討伐軍の有利を悟り、光秀との離別を決断。

 家督を忠興に譲り、隠居。

 そして、珠を軟禁し、光秀との決別を天下に強く宣言した。


 明智軍が破れてからも、彼女は命こそ奪われなかったものの、行動には大きく制限がつけられた。


 それでも、忠興は彼女への愛情を失っていなかった。

 機を見て、彼女の赦免を願おうと思っていたが、事態は思わぬ方向へと転び始め

る。


 珠が、忠興から引き離されて以降、彼女は南蛮の宗教に傾倒するようになったのだ。


 これは、よくない方向に左右する。

 当時、信忠政権によるキリシタン禁教令が発令した時期であり、九州征伐が完了し、一旦は一息ついたこの時期に珠の赦免をと考えていた忠興の考えは脆くも粉砕される事になる。


 そんな中、大陸出兵が始まった。

 大陸の先で功績を示し、今度こそ、と勢いこんでいた最中。

 今度は、生存していた明智光秀による名護屋城の奪取。長宗我部水軍により、信忠の討ち死にといった凶報に接する。


 世間から薄れかけていた明智光秀の名が再び世に出てしまい、さらには謀反軍となった安土方が「キリシタンの保護」を挙兵の理由に掲げていたのだ。

 これらの悪条件が幾つも重なった事により、いかに忠興といえども公に関係に戻す事はできなかったのである。


 そんな中、数年が経過。

 今度こそ、良い時期だろうと忠興は考えていた。


 だが、それには切っ掛けがいる。

 そこで、時の権力者へとなった秀吉の執り成しを欲していた。

 天下人・秀吉が珠を許すと公に認めれば、もはや誰にも憚る必要がなくなるのだ。


 堂々と珠姫を復縁させる事ができる。



 この日、珠姫の赦免の懇願の為、忠興は大坂城の一室で秀吉にあっていた。

 秀吉に貸しを作り、事実上の豊臣系大名への道を歩む事になっても、この願いは押し通したいと強い思いが忠興にあった。



「……成程、そなたの言い分は分かった」


 おおよその事情を説明し終わると、秀吉が言った。


「……ふむ」


 秀吉が顎に手を当て、もったいぶるように考えこむ。


 ……随分と、変わられたな。この御仁も。


 秀吉に頭を下げつつ、忠興は頭の中では冷静に目の前の男を観察していた。


 今の秀吉の恰好はというと、公家装束を纏い、歯は鉄漿とまるで公家のようだった。

 いや、公家のようにではない。

 関白になる以前から、公家以上に公家らしい言動を秀吉は志すようにしていたらしく、今では恰好のみならずその行動一つ一つが雅なものであり、生まれながらにしての公家のようだった。


 ……卑しい生まれと聞くが、とてもそうは見えん。


 もし、秀吉の事を何も知らない人物が今の秀吉が見たら、おそらく、ほとんどの者が公家として生まれ、公家として育った男だと勘違いするだろう。


 それほどまで、彼の言動は自然なものだった。


「うむ」


 そんな風に観察を続ける忠興に、秀吉が言った。


「そなたの言い分、最もである」


「――はっ」


 寛容な態度を示すようにゆるりと立ち上がると、秀吉は続ける。


「そなたの願いを受け入れよう。予の――関白としての決定じゃ」


「で、では――」


 がばり、と忠興は身を乗り出す。

 だが、無礼にならないよう気を使いつつ秀吉に訊ねた。


「珠を許していただけるので――」


「うむ――」


 忠興の顔が輝いた。

 が、ここで秀吉はしかし、と続ける。


「禁教令の方は未だに解かれたわけではない。むしろ、もっと厳しく取り締まるべきだという意見も出ているぐらいじゃ」


 その言葉に忠興の顔が再び曇る。


「故に、教えを捨てろとは言わん。が、堂々と祈りを捧げるような真似をされては困る」


 これは、今回の件に限らず、多くのキリシタン大名や武将、その正室や側室達に言える事だった。

 未だになお、キリシタン禁教令はそこまで強い強制力はない。

 信仰を捨てていない、と噂されているものは多く存在していたが、彼らに対して秀吉も家康も特に処罰を下してはいなかった。


「ははっ――」


 こうして、珠姫は名実ともに忠興の元に戻った。

 だが、本能寺の変からここに至るまでに10年以上。

 あまりにも、時間が経ち過ぎていた。


 既に二人の間には、大きな溝が生まれていた事を忠興は気づいていなかった。

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