11話 安土評定
天正11(1583)年。
織田信忠は、安土城で新年を迎えていた。
新たなる本拠として、大坂城の築城は既に始まっているが、未だに織田家の中心はこの安土城である。
畿内のみならず、北陸や中国に散らばる織田家臣達や与力大名が相次いで年賀の挨拶に訪れていた。
さらには、同盟国の徳川家などのみならず遥か遠国の最上家や伊達家、大友家といった大名からも使者が訪れている。
さすがに当主自身が赴く事はなかったが、高価な贈り物をして織田へ誼を通じようとしていた。
それだけではない。
毛利家からは当主の毛利輝元。上杉家からも当主の上杉景勝自らが安土城を訪れていたのだ。
これは、明確に織田に下った事を意味するといってもいい。
羽柴秀吉や徳川家康を通じて、前年から書状や贈り物を送ったりはしていたが、今回の安土来訪ではっきりと織田に下った事を内外に知らしめていた。
これにより、織田家の北は越後まで、西は長門までを事実上支配下に置いた。
さらには、奥羽の伊達や最上、九州は大友などと誼を通じている。大国と呼べる存在で明確に敵対しているのは、関東の北条、四国の長宗我部、九州の島津らとなっていた。
そのうちの一つである、関東北条家を征伐するべく、信忠達は策を練っていた。
「佐竹や、宇都宮は我らに協力するといってきているのか」
関東の絵図を前に、信忠が言った。
「はい。彼らも北条討滅の好機ですゆえ、それを逃す気はないのでしょう」
側近の斎藤利治が答えた。
「となると、北関東にも北条は軍勢を送る必要がある故、小田原にはせいぜいが3万。多くても4万といったところか」
「それくらいでしょうな」
同意したのは、前田玄以である。
「上野方面には、柴田勝家らに向かわせるとして駿河からは徳川殿や信雄らと儂自らが出向く。無論、畿内の大名連中にも陣触れを出させる。上野からは5万、駿河からは徳川殿の援軍を含めた13万ほどを動かす」
細かい戦略に関する話は、年賀の挨拶に訪れた東海や北陸の大名達にもすでには伝えてあった。
今、利治や玄以達と話しているのは簡単な復習作業のようなものである。
「ま、概ねはこんなものでよかろう」
ふう、と軽く一息つくと信忠は軽く手を叩き、
「おい」
と軽く小姓に指示をする。
やがて、小姓が関東の絵図を片づけて変わりに地球儀を持ってきた。
かつて、南蛮の宣教師から信長に献上された品である。
「これは、地球儀ですか……」
利治が少し驚いたかのように目を見開いた。
「そうだ。かつて、父上に南蛮人が献上してきたものよ」
「ほう……」
「ところで」
信忠が言った。
「南蛮人がな、我が国の鉄砲の保有量は世界一だと言っておった」
「ほう、そうなのですか」
今度はそれほど驚いた様子がない。
実際に、海の外に出た事のない織田家の者たちにとって他国との鉄砲の保有量など聞かれたところで実感はあまりないのだ。
「しかし、だ。問題なのは硝石よ」
不快そうに信忠は地球儀を叩く。
鉄砲がどれだけあっても、硝石がなければ意味がない。
ただの鉄の棒となる。
「硝石は我が国では、ほとんど得る事ができんのだ……」
信忠の顔が苦々しい。
「だが、大陸ならば相当な量の硝石が手に入る。だが、その大陸の主が明では儂らが満足する量を得る事ができない」
日本列島において、硝石はほとんど得る事ができない。
その大半は海外からの交易に頼っていた。かつて、今川や武田も鉄砲の利便性に一早く気付いていた。だが、東国ではその硝石を得る事ができず、堺などを通じてわずかな量を手にするしかなかったのだ。
そのため、十分な鉄砲の数を揃える事ができなかった。
それとは対照的に、西国の大名の多くは交易によって莫大な利を得ていた。
その最もたる例がかつて、日明貿易によって栄えていた家が中国地方の大内家だった。
当時の大内家は、中国地方のみならず北九州にも勢力を拡張しており、地理的にも海外交易に優位な大名だった。
その大内家当主の大内義隆は決して戦上手といえる人物ではなかったが、明との交易や、朝廷との独自のコネクションを使い絶大な勢力を誇っていた。
内政にも長けた人物であり、戦国乱世とは思えない華やかな城下を築いていた。
だが、大寧寺の変により謀反を起した陶晴賢によって大内義隆は討ち死に。
その後、晴賢が実権を握った。
当初、晴賢は大内家の後釜として日明貿易を継続しようとしていたが、明は簒奪者である事を理由に陶家との交易を認めようとはしなかった。
その陶家もやがて滅び、現在は毛利家がその大内家の旧領を治めているが未だに明との交易は正式には復活していない。
密貿易という形で、わずかな量が輸入されるだけだ。
「父上も、その事に困っておった」
信忠が、信長の志した明征伐の夢を引き継ごうとしたのにはそのような背景もあったのだ。
明以外にも、イスパニア(スペイン)などからも輸入できていたがそのイスパニアにも信忠は不信感を持っていた。
イスパニアは領土欲が旺盛であり、日本には金と島でできた金銀島なるものがあるなどという事を信じているという話も聞いていた。
ありもしない金銀島を求め、よもや日本侵略を企てるのではないかという危惧もある。
事実、日本列島よりもはるかに広大な新大陸の帝国をわずか数百人で征服してその財を奪ったという話も聞いた。
万が一、イスパニアが日本に牙を向くような事態になった時を恐れたのである。
その為にも、大量の鉄砲を使用するための硝石が欲しかった。
「何とかならないのですか?」
「なる様子はない。誼を通じ始めた対馬の宗家などを通じて、働きかけておるが何ともならん」
信忠は不快そうに言った。
「交易で得るのが不可能であれば決まっておる。武力で得るしかあるまい。明征服が不可能であっても、明に攻め入るだけの武力がある事を見せつければ交渉の余地も生まれるじゃろ」
交渉の為に、武力を見せつけるというのは戦国大名として何一つ間違った考えではなかったのだ。
少なくとも、この時期の日本では。
「ま、その前に北条征伐よ」
信忠が地球儀を片付けさせた。
「まずは、儂の力をこの日の本の大名連中にしっかりと見せつける必要があるからのう。関東の覇者として君臨する北条であれば、力を見せつける相手として申し分があるまい」
「そうですな」
利治が頷いた。
この時期、信忠が後継者として織田家をまとめてはいたものの、信忠に果たして信長を継ぐだけの器量があるかは疑問視する声も少なからずあった。
北条家は、その実力を示すには申し分ない相手だ。
「北条征伐では天下人らしい戦いをして、力の差を明確に見せつける」
「天下人らしい戦い方……ですか?」
「決まっておる。兵を大量動員する事による人海戦術よ」
それは、故・織田信長の戦い方を踏襲したものだった。
信長は、奇抜の戦い方をする事はほとんどなかった。桶狭間のような例外を除けば、美濃攻め、上洛戦、伊勢長島攻め、朝倉攻め、長篠、紀伊攻め、本願寺攻め、武田攻めといったほとんどの戦は兵を大量動員する事によって勝利を収めてきた。
それを可能にするための、豊富な資金の力こそが信長の最大の武器だった。信長の覇道は、金と共に歩んだといってもいい。
武略やら戦術やらは二の次だった。
「四方から、小田原城を囲む。また、黄金をばらまいて東海や北陸から十分な兵糧を得る事によって兵を養う」
信忠もまた、武器だけでなく米も金の力さえあれば大量に集める事ができる事を信忠は知っていた。
「なるほど……」
利治も納得したように頷いた。
「それだけの金はあろう」
「はっ。何分、昨年は武田征伐以降は信忠様の新体制の立て直しのために大軍を動かしたことはありませんでしたゆえ、十分にあるかと」
玄以が報告書を確認しながら言う。
「いいか、これは単なる北条攻めと考えるな。東北や九州の地にいる他の小名達にも織田の力を見せつける戦いでもあるのだ。そう考えて心得よ」
その言葉にはっ、と利治達は平伏した。