115話 丹羽征伐3
丹羽長重の所領は、土佐・讃岐にもある。
そちらにも、羽柴秀吉は別働隊を送り込んでいた。
総大将には、宇喜多秀家を任じた。
宇喜多秀家は、織田家と毛利家が争っていた時期から、当時の当初である宇喜多直家から人質として秀吉の元へ送られた経緯がある。
秀吉は、宇喜多領を緩やかに併呑すべく少年だった秀家を懐柔した。
その結果、秀家は秀吉に懐き潜在的な親羽柴大名である宇喜多家が誕生した。
宇喜多家は、名目上は織田信秀を頂点とする織田傘下の大名でありながら事実上の秀吉の与力大名と化していたのである。
この丹羽征伐が終わり次第、丹羽家を五大老の席から外し、代わりにこの宇喜多秀家を新たな大老に推そうと秀吉は目論んでいた。
今回の丹羽征伐軍の総大将への任命は、その布石のつもりでもあった。
宇喜多秀家の元に、弟の羽柴秀長からも兵を出させた。
秀長自身は、領国の紀伊に残り国政を担っていたが、家臣の藤堂高虎と桑山重晴を派兵。
さらには、淡路の仙石秀久、脇坂安治、加藤嘉明、山内一豊といった者達をつけた。
この軍勢が、阿波に集結する。
無論、阿波の国主である蜂須賀家政も兵を出す事になっていた。
軍勢は、合計3万ほど。この軍勢を持って讃岐の各支城を落とし始めた。
だが、抵抗らしい抵抗はほとんどない。
一か月もしないうちに讃岐の城のほとんどは陥落してしまったのである。
讃岐――引田城。
讃岐の国政の中心だったこの城に、宇喜多秀家らは集まり今後の方針を巡って軍議を開いた。
「それでは、絵図の用意を」
秀家の言葉を元に、阿波に讃岐、土佐や伊予といった四国の絵図が用意される。
「敵勢はの様子は――?」
秀家がまずはこの辺りの情勢に詳しい家政に訊ねた。
「四国の領国の国政は父である長秀殿が行っておりましたゆえ、未だに混乱状態にあるようです。讃岐中の支城が攻略されたというのに未だに動く様子はありません」
「となると、北陸方面よりは簡単にいくかもしれんな」
秀久が言った。
「ま、楽観はできんでしょうが。土佐には、讃岐から逃げ出した兵も含めて1万ほどの兵がいるようですし」
安治も続く。
「そちらは、小早川殿や加藤殿に任そう。我らは讃岐の制圧を優先せねば」
秀家が言った。
伊予方面からも、小早川隆景を総大将とする軍勢が進軍を始めていた。
そちらには、毛利一族や九州の大名からの兵が中心だった。
「とすれば、残っている中である程度の抵抗がまだ予想されるのは丸亀城ですな」
「うむ」
高虎の言葉に、秀家も頷く。
丸亀城には、まだ2000ほどの兵が籠っていた。
一度、攻め寄せては見たものの、他の城のように簡単には落ちなかった。
「讃岐の制圧を目指す以上、避けて通るわけにはいかん。改めて丸亀城を――」
「――宇喜多殿、ここは某に任せてくだされ」
秀家が言い終わるのよりも先に口を挟んだのは、仙石秀久だった。
「某ならば、必ずや丸亀城を攻略してみせましょうぞ」
「うーむ……」
秀家は考え込む。
秀久は、石高で言えばはるかに格下だったが、踏んできた場数では秀家と雲泥の違いがあった。
彼は、秀家が生まれてすらいない頃から、若武者として織田家と美濃斎藤家の戦いに参戦しており、秀吉に仕えて以降も彼の元で多くの合戦に従軍した。
極めて経験豊富であり、有能な武将だった。
秀家もそれは理解している。
ゆえに、
「分かった。丸亀城の攻略は仙石殿に任せ――」
と言いかけた次の瞬間、
「お待ちください」
ここで異議を唱えたのは、岡利勝だった。
「その役目、仙石殿ではなく某に任せてはいただけないでしょうか」
彼は、秀家の家臣。
今回の戦い、宇喜多秀家の大老就任を賭けた戦いでもある、という思いがある。その為には、宇喜多家の家臣団で武功をあげなければ、という気持ちが強かった。
「某も同意です。その役目、ぜひとも某と岡殿に」
利勝に続いたのは、戸川達安だった。
彼もまた、宇喜多家の家臣。
思いは利勝と同じだった。
「お二方、殿の決める事ですぞ。それに異を唱えると申されるか」
二人を窘めるように言ったのは、秀家側近の中村次郎兵衛だった。
が、その中村次郎兵衛を岡利勝と戸川達安がギロリと睨む。
この男と、岡・戸川両家臣との間には確執があった。
そもそも、中村次郎兵衛は宇喜多家譜代の家臣ではない。
元は、前田家に仕えていた。
しかし、天正大乱の際に前田家は「キリシタンの保護」を大義名分に掲げた安土方に着いた。
そしてこれは、当主・利家が安土方の重鎮・柴田勝家と親しい関係だったというのも大きいが、家臣団の中にも安土方に着く事に賛同していたという事もあった。
キリスト教に深い関心を示していた中村次郎兵衛もまた、安土方に着く事を推挙した一人だったのだ。
だが、天正大乱は安土方の敗北、大坂方の勝利に終わった。
幸い、前田家は軽い処分ですまされたものの、安土方への参戦を勧めた家臣達は前田家に居づらくなった。
そんな折、前田利家の娘である豪姫と宇喜多秀家との間で婚姻が交わされる事になった。
これは、親羽柴家の大名同士の絆を深めさせ、派閥を強化しようという秀吉の目論みもあった。
そんな思惑はどうあれ、中村次郎兵衛にとってこの婚姻は渡りに船だった。
居場所を失った前田家から去り、豪姫の付き人という形で宇喜多家へと移った。
新たな主家となった宇喜多家の為に熱心に働き、主君・秀家からも好感を得ていた。
その為、側近として傍にも置かれるようになった。
しかし、それが古くから宇喜多家に仕える家臣団との軋轢を生んでいた。
そんな彼らの確執に、秀家は気づいていなかった。
朝鮮の地で死線を潜り抜け、精神的に大きく成長していたとはいえ、こういった家臣達の空気を察するには致命的なまでに経験が足りなかった。
「――うむ、そなたの申す通りだ」
その為、中村次郎兵衛の意見に秀家はあっさりと頷いた。
「利勝、達安、下がっておれ」
「……は」
「……失礼致しました」
明らかに不満そうな表情を二人は浮かべたが、主君の言葉とあっては従わざるをえない。
露骨なまでの態度の違いだったが、秀家にも悪気があったわけではない。
宇喜多家譜代の家臣である岡利勝と戸川達安に対し、豪姫の付き人という形で来た中村次郎兵衛に対しては遠慮のようなものがあった。
それに、両名ならば言わずとも察してくれるだろうという一種の信頼もあった。
「……」
「……」
しかし、表面上、異議は取り下げたものの両名の内心では強い不満が渦巻いていた。
その事に気づく事なく、秀家は次の議題へと入ってしまっていた。




