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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第4部 天下を継ぐ者
112/251

111話 暗殺未遂

 大坂城。

 この日、大坂城内で政務を終わらせた徳川家康は自身の屋敷に戻ろうとしていた。

 無論、多くの護衛を伴っての事である。


「上様、輿を用意させましょうか?」


 傍らを歩く小姓が訊ねた。


「大した距離ではなかろう」


「御屋形様はお疲れしているようでしたので」


 小姓の言葉に、家康はつい苦笑した。

 確かに、家康は疲労していた。


 天正大乱終結後、戦場を駆け廻る事なく大坂城内で織田公儀としての政務を執り行っていた。

 その間に、激しい派閥争いを繰り広げる羽柴秀吉を水面下で牽制しつつ離れた領国の運営も執り行っていた。

 関東は徳川秀忠がうまいこと統治しているものの、東海にまではいまいち手が回らずにいた。

 無論、徳川家には優秀な奉行衆がいる。

 それでも、400万石ほどにまで膨れ上がった膨大な領国を管理するのは相当な難事であり、それらの作業も並行して行い、家康は忙殺されていたのである。


 が、この日は珍しく早めに切り上げる事ができ、城下の屋敷に戻る途中だったのである。



 家康を乗せた輿は、さして時間をかける事なく屋敷へとたどり着いた。


 ゆっくりと、家康は輿から足を下ろした。

 ふと、空を見上げる。


 喉かな夕焼けだ。

 今夜は綺麗な月が出そうだ、などと家康が考えていた時、



 ――ダァン!



 場違いともいえる銃声が響いた。


「うっ」


 命中。

 家康が膝を折る。


「御屋形様!?」


 あまりにも急な事態に、小姓が慌てる。


「何事だ!」


「盾だ! 盾になれっ」


 家康の護衛達も、異常事態をすぐに察する。

 どこからか分からない狙撃に対して、身を盾にして庇わんと小姓や護衛達が家康を囲むようにする。



 ――ダァン!



 二発目の銃声。

 今度は家康にも護衛にもあたらない。

 輿へと命中した。


「あそこからだっ」


「絶対に逃がすなっ」


 銃声の方向が確かめられると、護衛の一部は銃撃のした方へと駆けて行った。


 護衛達が駆けて行くと、狙撃主と思しき影は姿を消した。

 護衛達も後を追うが、家康のところに戻った護衛達はそれどころではなかった。


「何という事だ……」


 護衛達は、茫然と血を流す家康を見る。

 護衛からすれば、とんでもない失態である。

 どう詫びるべきだろう、と護衛達が青ざめていると、



「大丈夫だ、御屋形様は生きておられるっ!」



 血を流して倒れた家康を見ていた小姓が叫んだ。

 安堵が、この場に広がる。


「だが、このままではまずいぞ」


「急いで屋敷に! 医師を呼べっ」


「待て! 下手に動かすなっ」


「何の騒ぎだ一体!」


「御屋形様が重態なのだ!」


 小姓や護衛達のただ事ではない様子に、屋敷を警護していた兵達も慌てて駆け寄ってくる。


 徳川家お抱えの医師が、大急ぎで現れるまでこの騒ぎは収まらなかった。




 徳川家の屋敷は、騒然たる騒ぎに陥っていた。

 当主・家康が重態を負って運ばれてきたのだ。


 この騒ぎは、当然といえよう。 


 徳川家お抱えの医師達が集まり、治療が開始される。


 襖に仕切られた部屋を前に、本多正信・正純親子。

 それに、榊原康政、以心崇伝といった家康の側近らが話し合っていた。


「まさか、御屋形様が狙撃されるとは……」


「やったのは秀吉か?」


 正信の言葉に、康政が答えた。

 その顔には、強い憤怒の色が浮かんでいる。


「まだ決まったわけではありませぬ」


 崇伝の言葉に、康政は首を横に振った。


「いや、あの禿鼠に決まっておるっ」


 康政は、徳川家中でも有名な秀吉嫌いだった。

 その為、今回の下手人不明の暗殺未遂でも黒幕は秀吉だと信じ切っていた。


 荒れ狂う康政を前に、正信が子の正純に訊ねた。


「下手人の方はどうなっておるのだ?」


「伊賀者に調べさせておりますが、未だに」


「見つからんのか」


 正信の表情がさらに暗くなる。


「ただ」


「ただ、何じゃ?」


「今回の狙撃、そこからの撤退。あまりにも手際が良すぎるかと」


 正純の言葉に正信も頷く。


「そうじゃな」


「これではまるで」


「手引きしたものがいるかのようじゃの」


「はい」


 ここは、常時戦場だった朝鮮の地ではない。

 安全なはずの大坂城内で、今回の暗殺未遂は行われたのだ。


 誰かが手引きしたとした思えない。

 大坂城内の事情に詳しい誰かが。


「やはり禿鼠ではないかっ」


 康政が怒鳴るように言った。


「榊原殿、ですからまだ決まったわけでは」


「その通り。決めつけはよくありませんぞ」


 正純の言葉に、崇伝も続いた。


「よもや、すぐに秀吉を叩き斬るなど言いだすのではないでしょうな」


「……何?」


 正信の言葉に、吐き捨てるように康政は言った。


「そういうお主は、よく落ち着いておれるな。御屋形様がこのような目にあわされて、何も思う事はないというのかっ」


「そうは言っておりませぬ。某も腸が煮えくりかえっております。ですが、このような状況だからこそ短慮は慎むべきかと」


「腸だと? 腐ったお主の腸がどう煮えくりかえるというのじゃ」


 侮蔑するような口調だ。

 だが、それでも正信は表情を崩さない。

 そんな正信が気に食わず、康政の眉間に刻まれた皺がこくなる。


 険悪な雰囲気だ。


 そんな時、ゆっくりと襖が開かれた。

 部屋から、医師が出てくる。


「御屋形様の容態は?」


 正信が訊ねた。


「命に別状はありません」


 医師の言葉に、改めてほっとした雰囲気がこの場に流れる。


「本当に大丈夫なのか?」


 正信が訊ねた。


「弾は貫通しておられます。即座に止血する事ができた為、出血もそれほどではありません」


 医師が答えた。


「そうか……」


「おおっ、御屋形様……」


 正信、正純親子に加え、康政、崇伝らに安堵した空気が漂う。


「しかし」


 と医師は続ける。


「当分は安静にすべきかと。屋敷で静養する事をお勧め致します」


「……それは」


 正信の表情が曇る。


 それはつまり。


「秀吉の好きにさせるというのか……」


「禿鼠め!」


 正信の言葉に、再び康政が叫んだ。



「――正信、康政」



 不意に襖の先からした声に、正信達は驚く。


「御屋形様っ」


 感涙のあまり、康政は瞳から涙を流す。


「よくぞご無事でっ」


 その声の様子から、思いのほか傷は浅かったようだと、正信も内心で安堵する。


「御屋形様。まだ動かれては……」


 そんな側近達の横から、医師が心配そうに口を挟んだ。


「すぐすむ」


 と医師に言ってから、


「正信よ」


「はい」


「今回、屋敷の前でこれほど派手に起きたのだ。儂の狙撃は、隠し通す事はできまい」


「……申し訳ありませぬ」


「良い。お前の責ではない」


 家康の鷹揚な声が聞こえてくる。


「それよりも」


 と家康は続ける。


「とりあえずは、儂の無事を諸大名に知らせる必要がある。紙と筆を早急に持ってまいれ」


「はっ」


 正信は頷くが、医師は慌てた様子で反対した。


「危険でございますっ。御屋形様はまだ動かれては……」


「何、ほんの数通だけじゃ。主だった大名連中にだけ知らせる事ができれば良い」


「それだけでも危険ですっ」


「では、祐筆に書かせてはよろしいのでは」


 なおも反対する医師に、崇伝が折衷案とも言うべき意見を出した。


「いや、儂の直筆でなければ、秀吉当たりが儂が死んだと噂をばらまくかもしれん。そんな噂を消す為にも、儂自ら書いた書状を早急に出す必要があるのじゃ」


 なおも医師は反対したが、最終的には主君の命令という事もあって折れざるを得なかった。


「が、儂が重態であるという事は変わらん。しばらく、五大老としての政務には出れんじゃろうし、その間に秀吉の好きにやらかすかもしれん」


 となると、と正純は続ける。


「おそらく秀吉は丹羽征伐を……」


「儂が倒れたのをいいことに、強行するであろうな。そしてそれは阻止できまい」


 家康の声は淡々としていた。


「何とか阻止はできませぬか」


 正純の言葉に、父・正信は首を横に振った。


「難しいであろうな」


「くそ! 禿鼠めっ」


 康政は憤った様子で吐き捨てるように言った。


「まあ、丹羽殿とはさして深い誼を結んでいるわけにはありませんし。良いのではありませんかな」


 崇伝の言葉に、康政は目を剥いた。


「では、あの禿鼠に言いようにさせると?」


「はい。将棋で例えるのであれば、丹羽殿は盤上から離れた位置にある桂馬のようなもの。無理に守って痛手を被るよりは、ここは王将の守りを優先すべきかと」


 崇伝の言葉に、正純も頷いた。


「そうですな。丹羽殿には諦めていただくほかありませんな」


「くそっ」


 康政は憤ったように、畳を叩いた。


「そう荒れるな、康政よ」


 苦笑交じりの声が、襖の向こうから聞こえてくる。


「今回のような事は、確かに不覚であった。だが、此度の件を教訓とし、もしまた同じような事があっても対処できるように備えをする必要がある。それが学べただけでも良しとしよう」


 失敗からでも、いや失敗からの方が学べる事は多い。

 そしてその失敗を糧に前に進み続けてきたらからこそ、今の徳川家康という男があるのである。


 正信達もその事はよく分かっている。


「ははっ」


「よいか、儂は、いや徳川家はあの禿鼠との戦いで一歩後退する事にはなるが――最終的に勝つのは儂らじゃ」


 そう強く宣言するように側近達に告げた。

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