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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第1部 天下人の誕生
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10話 武田旧臣

 甲斐府中城。

 北条軍を追い払って以降、浜松城に戻って政務を行っていた徳川家康だがこの日は甲斐にいた。


「お待ちしておりました」


 府中城で出迎えたのは、大久保忠世・忠隣親子、井伊直政、岡部正綱といった面々だった。

 家康は、彼らに甲信の統治を任せていたのだ。


「武田の旧臣の取り込みの方はうまくいっておるのか?」


「はっ、もうすぐ井伊の赤備えを御屋形様にお披露目できる事でしょう」


「赤備え、か」


 直政の言葉にふふ、と家康が笑う。


 赤備えはかつて武田の猛将・飯富虎昌が編成した部隊であり、赤に統一された装備をその身に纏っており、強兵・武田の代名詞ともいえる部隊だった。

 義信事件で虎昌が失脚した後、弟の山県昌景がそれを引き継いだ。

 そして、その昌景も長篠の戦いで散った。


 だが、昌景が死んでも、その赤備えの山県隊を率いていた武田の旧臣はまだ多くが健在だった。

 直政はその旧臣達を中心として井伊の赤備えを編成しようと考えていたのだ。

 武具、甲冑、指物などを赤に染め上げた部隊だ。


「近いうち、北条征伐が行われる」


 唐突に家康が言った。


「承知しております」


「我が徳川家は北条家の隣国。信忠殿はまず間違いなく、我らにも出兵を求めてくるであろう」


 そして、と家康は続ける。


「この甲斐も北条領と隣接しておるんだ。駿河や三河だけでなく、甲斐からも兵を出す必要がある」


「はい」


「……それまでにその赤備えは間にあうか?」


 家康が訊ねた。


「北条征伐は、早ければ今年中。遅くても来年の新春頃には行われる」


「それだけあれば、十分です。井伊の赤備えの力を存分に御屋形様にお見せすることができる事でしょう。もちろん、織田家にもです」


「そうか。楽しみにしておるぞ」


 家康がそう言って快活に笑った。

 直政は、家康の寵臣だ。

 当時としては珍しく、男色に興味を持たなかったという家康ですら魅了したといわれる美丈夫という事もあるが、それ以上に直政は武人としても優れていた。

 その直政が、かつて家康を苦戦させた甲斐武田軍団を従えるのだ。実に頼もしく感じた。


「ところで」


 と家康が話柄を転じた。


「以前の男はどうした?」


「以前の男といいますと――」


「甲斐征伐の折、儂が登用した男の事じゃ」


 かつて、甲斐征伐の際に家康の起居する仮館を建設した男がいた。

 その仮館を家康は気にいり、その男と目通りした。

 中国大陸から来た唐人とも言われるその男は、武田の旧臣であり徳川への仕官を求めていた。

 家康もその男を気にいり、登用を決める。

 そして、この大久保忠隣の与力として預けていた。


「ああ、彼でしたら今は某の与力として大久保姓を与え、大久保長安と名乗らせております。それにしても、彼ほどの男を登用できたのは幸いでしたな。武芸に長けた者は数多くおれど、奉行として腕を振るえる者は当家に多くありませんからな」


「ほう、それほどか」


「はい。何せ、荒れ果てた道路の整備、田畑の整理、金山の開発――やるべき事はいくらでもありますからな。 ……まあ、本来の甲斐奉行である本多殿が多忙な身という事もありますが」


 ちらりと忠隣が正信の方を見る。

 この二人の関係は良くない。

 かつて、三河一向一揆の後に徳川家を出奔した正信の帰参の手助けをしたのは親の忠世だったが子の忠隣の方はそれを快く思っていなかったのだ。


 その視線に気づいた正信が少し不快げに眉をひそめるが主君の前という事もあって、特に何も言わなかった。


「信濃の方もおおむね平穏ですな。特に問題は起こっておりません。順調に統治が進んでおります」


 そんな雰囲気を察したのか、忠世が話題を変えた。


「そちらも、北条征伐には間にあいそうか?」


「何とか間に合うかと」


 忠世が答える。


「そういえば、信濃といえば織田殿の方で何やらもめているようですな」


「森殿や、滝川殿か……」


 家康の顔に苦々しいものが浮かぶ。

 本能寺の変の後、森長可や滝川一益は武田の旧領である信濃の地を放棄して逃げ出した。

 が、この地が徳川領になった今になってから返還を求めるよう主君である信忠に働きかけているようだった。


「自分達では、守りきれなかったというのに勝手なものよ」


 直政が吐き捨てるように言った。


「ま、そういうな。人はな。一度自分の物になったものが他人の手に渡ってしまう事には満足できん生き物なのじゃよ。森殿達の気持ちも十分に理解できる事じゃ。お主もそのうち分かるようになる」


 家康が宥めるように言った。


「それに、北条征伐が行われれば織田の家臣共は肥沃な関東の地に大幅な加増がされるはずじゃ。そうなれば、森殿や滝川殿も満足するじゃろ」


「だといいのですが……」


「ところで」


 正信が今度は口を挟んだ。


「信忠殿と北条攻めに関しては話し合ったのですか?」


 うむ、と頷いて家康は続ける。


「以前に清州城で甲信を拝領した礼を言いにいったついでにな。信忠殿は、儂ら徳川軍も含めた本隊を東海道から駿河を通って攻め込ませて小田原城を囲ませる。それとは別に上野方面からも別働隊を送り込む気らしい」


 北条征伐の子細はまだ決まっていない。

 だが、軍勢を二方面から攻め込むという大まかな部分のみは決まっていた。さらには、宇都宮や佐竹といった反北条勢力に手を伸ばしての共闘を呼び掛けてもいた。


「おそらく、柴田殿や前田殿、金森殿らも上野方面でしょうな」


「下ったばかりの上杉も、ですな」


 忠世も言う。

 あの後、上杉家は家康の仲介を得て正式に織田に従属していた。


「まあ、北条攻めの戦略に関しては次の機会でいいじゃろう。今は、甲斐の様子を実際にこの目で確かめてみたい」


「承知しました。それでは」


 この後、忠世達の案内により新領国となった甲斐の統治具合を家康は確認していく。

 予想以上に順調な統治が進む甲斐を見て、家康は満足して浜松城へと戻っていった。

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