108話 八幡山城
近江――八幡山城。
新たに近江を治める事になった、羽柴秀次の本拠として築かれている城である。
安土合戦の後、安土城は見るも無残な姿に破壊された。
また、旧安土方の象徴ともいえる安土城を修復する気にもならず、別の城を築く事になった。
それが、この八幡山城である。
安土城に使われていた石垣なども使用され、築城は順調に進んだ。
そんな中、八幡山城が一望できる位置にある丘の上で秀次はいた。彼は団子の刺さった串を片手に、休憩中だった。
無論、周りには秀次の護衛が付き従っている。
その秀次の元に、数人の武士達が近づいていく。
最初、警戒した秀次の護衛達だが、相手が誰だかを悟り警戒を解いた。
「秀次様。こちらでしたか」
佐和山城に配されている、石田三成である。
といっても、彼は奉行として大坂や姫路で行動する事が多いのだが。
「おお、三成か。久しいの」
秀次にとって、久々に見る三成の顔だったのだ。
そんな秀次をじっと、三成は見つめる。
「これか。見回りをしておったら民共が、差し入れてくれての。ありがたくいただいておるというわけじゃ」
そう言って、団子の入った包みを三成に差し出して、
「お主も食うか?」
「……」
だが、三成の表情に変化はない。
その視線に察したのか、秀次はばつが悪そうに、
「毒見なら既にしてある。儂もそこまで迂闊ではないぞ」
「左様でございますか」
三成の言葉はどこか冷たかった。
しかし、それに気にする事なく秀次は串に刺さった団子を頬張っている。
「うむ。うまい」
上機嫌そうに団子を咀嚼する。
「……」
だが、三成の表情に変化はない。
そんな秀次に、黙って団子を押し返した。
食べる気はない、という事だろう。
「む……」
好意を無碍にされた秀次だが、さして気にする様子もなく押し返された団子を受けとった。
「秀次様」
そんな秀次に、三成は告げるようにして言う。
「八幡山城の普請も終わらぬうちに申し訳ないのですが、もうすぐ新たな戦となりますゆえ、武器や兵糧の買い付けをはじめていただきたいのですが」
「戦? どことどこがするのじゃ?」
戦、と聞きどこか嫌そうな表情を秀次は浮かべる。
名護屋城での、手痛い失策の事を思い出しているのだろう。
「無論、丹羽と」
「……丹羽? 長重殿の丹羽か?」
「はい」
三成は短く答える。
「な、何故丹羽と戦う必要がある。長重殿が何かしたというのか?」
秀次は慌てたよう様子で、三成に詰め寄った。
しかし、三成の表情は変わらない。
「別段何も。しかし、殿の命令ですゆえ」
「叔父上が? 何故じゃ」
「御分かりになりませぬか」
どこか馬鹿にしたような口調である。
少なくとも、秀次にはそう聞こえた。
本人にどこまで自覚があるのかはともかく、こうした態度が他の武将達との間に溝を作りつつあったのだが。
「分からぬ……」
秀次は本気で分からないと言った様子で答える。
「長重殿とは新たな領国も近いし、うまくいっておると思っておったのじゃが……」
「まず100万石の太守としての器量が足りておりません」
三成がばっさりと言ってのけた。
さらに続ける。
「それに、立ち位置をはっきりとさせない大名は今後の為にも潰すべきでしょう」
「立ち位置?」
「はい。丹羽殿の立ち居振る舞いは、中途半端すぎます。時勢も読めず、未だに殿と同格とでも思っているのか、殿にも徳川にも近づかず、織田家の重臣気取りの態度。このような御方を、いつまでも好きにさせておくわけにはいきませぬ」
「ゆえに、攻めるというのか。長重殿は何もしておらぬというのに……」
「丹羽家の立場を考えれば、何もしていないという事そのものが罪なのです」
三成の言葉に、秀次は黙り込む。
何とか反論の言葉を出そうとするが、うまく言葉としてまとまってくれない。
「……秀次様」
どこか呆れたように、三成は嘆息しながら続けた。
「これは秀次様にとって、好機でもあるのですぞ」
「好機?」
「現在、羽柴家中のみならず織田家中には、秀次様を軽んじて……いえ、怨んでいる者が少なからずおります」
「怨む? 儂が何をしたというのだ」
「名護屋城での事です」
それを言われ、秀次の表情が変わる。
「名護屋城で、数万の大軍を擁しながらもわずか2、3000程度の明智軍に手こずり、時間を無駄に浪費した挙句に大陸遠征軍は苦境に立たされました」
「それは……」
「無論、これは秀次様だけの責ではなく支えていた我らの責でもあります」
三成は続ける。
「ですが、将というものは手柄を自分のものにできる変わりに、軍が失態を起こした際に責任も追及されるべき立場。それゆえに、彼らの怒りも仕方がない事かと」
彼ら、とは名護屋城で三成に大して怒りを爆発させていた、加藤清正や蜂須賀家政らの事だろう。
彼らは羽柴秀吉の甥という立場でなければ、三成ではなく秀次に怒りをぶつけていた可能性は十分にある。
「……問題は彼らだけでなく、他家もです」
「他家?」
「左様。徳川や上杉といった大名達も、名護屋城で失態を犯した秀次様の武将としての器量を疑問視する声もあがっております」
「……む」
秀次の顔が、不機嫌そうに歪んだ。
自身で器量がないと自覚するのと、他者から指摘されるのではわけが違った。
そんな秀次に畳み掛けるように三成は続ける。
「しかし、丹羽征伐で比類なき武功を示せばそのような声は自然に消えます。秀次様の器量を認める事でしょう」
「……」
「秀次様は、殿の甥。子のいない殿にとって後継者候補の筆頭。その秀次様に武功を、というのは殿の親心でもあります。どうか御理解を」
「……どうあっても、儂に丹羽殿を攻めさせるつもりか」
「秀次様だけではありません。東からも、前田様や上杉様にも丹羽領へと侵攻していただく事になりますし、四国にある丹羽領も毛利様や宇喜多様が攻め寄せる手筈となっております。無論、四国に所領を持つ仙石殿や脇坂殿にも軍役が課せられます」
三成はすらすらと述べていく。
秀次は、自分が考えている以上に事態は進んでいるらしい事を悟った。
「避けられんか」
「避けられませぬ」
三成の答えははっきりとしていた。
数秒ほど間があってから、秀次は絞り出すように声を出した。
「……分かった。いつ出陣命令が来てもいいように、軍備を整えておく。叔父上にも伝えてくれ」
秀次の言葉に頷くと、三成はこの場を去って行った。
秀次と、その護衛のみがこの場に残された。
気づけば、既に太陽が落ちかけている。
八幡山城の方を見ると、これまで石垣を運んだり木材を担いでいた人夫たちの姿が少しずつ減ってきている。どうやら、今日の普請作業はこれで終わりのようだ。
秀次も、城に戻ろうとするがその表情はどこか暗鬱なままだった。
……丹羽殿、すまぬな。
秀次は心の中で丹羽長重に謝り、城へと戻り始めた。




