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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第4部 天下を継ぐ者
108/251

107話 大坂謀議2

 天正19(1591)年。

 年が代わり、新年となった。


 この年の初め、大坂城には多くの有力大名や商人、それに公家などが集い、織田家の当主である織田秀信のところに一番に向かい、年頭の挨拶を行った。

 そしてそれは、羽柴秀吉と徳川家康も例外ではない。

 彼らは、秀信を見限り、新たな公儀体制を築こうとしていたが、それを公然と行うにはまだ時期が早すぎる事を悟っていたのだ。

 毛利輝元、上杉景勝、丹羽長重(父長秀の代理)ら他の大老達も相次いで訪れた。



 だが、そんな中でも羽柴・徳川両家による織田家の侵食は進んでいった。

 これまで、全国各地にある織田家の直轄地に自家と縁の深い者を代官として送り込んでいった。


 また、各地の諸大名も自領で起きた問題の解決には、秀信ではなく秀吉や家康を頼るようになっていった。


 そんな中大坂城に、ある訴えが届いた。

 訴えたのは、山形の大名・最上義光。

 訴えられたのは、越後の大名・上杉景勝である。


 内容は、


『上杉軍が、庄内地方を不当に占拠している。いち早く撤退していただきたい』


 というものである。

 庄内地方は、かつて出羽の大名である大宝寺家によって治められていた。が、本能寺の変を前後する時期には最上義光との戦に敗れ、大幅に弱体化していた。


 天正11年に行われた東北仕置の裁定の結果、大宝寺家は最上の与力扱いという形で所領を安堵されていた。


 しかし、天正18年に織田信孝が叛乱を起こし、安土方と大坂方に日本中の大名が割れた。

 この際、最上家は大坂方についたのだが、大宝寺は主家となったはずの最上家の意向を無視して安土方についた。

 これを、最上家が討伐したのであれば問題はなかった。

 単に、大坂方の最上家が安土方の大宝寺家を滅ぼしたというだけなのだから。


 ところが義光は、安土方についた木村吉清の対応に追われており、大宝寺討伐は後回しにせざるをえなくなった。


 その機を逃さずに動いたのが、上杉景勝だった。

 元より、庄内地方を欲していた景勝は前田・金森連合軍と対峙していた軍勢とは別動隊を庄内地方に派遣。

 瞬く間に、庄内地方を制圧して当主の大宝寺義興も討ち取られた。


 そして、信孝が安土城の戦いで敗れ、安土方が崩壊してからも庄内地方を統治し続けていた。

 今回の動乱劇では、大坂方として活動していた者の領土が安土方に奪われた場合は返却されるが当然だったにも関わらずにもだ。


 最上家の抗議は、ある意味当然だっと言える。

 だが、五大老の中で羽柴秀吉と徳川家康との間で意見が分かれた。

 秀吉は、上杉にそのまま旧大宝寺領統治するように。

 家康は、ただちに返却するように。


 他の五大老はというと、ある意味当然ではあるが、当事者の上杉景勝は庄内地方の統治を正当なものだと主張した。

 毛利輝元は友好関係にある羽柴秀吉の為、上杉の意見を支持した。


 もう一人の大老である丹羽長秀は、病が再び悪化して大坂城にも出仕できないような状況になっていた。


 いずれにせよ、五大老の間で意見は真っ二つに分れた。

 発足したばかりの五大老制で、いきなり割れかねない事態となったのである。


 これは、最上支持が家康の1、上杉支持が秀吉、輝元の2だ。

 当事者の景勝を除いても、上杉支持が優位かと思われた。


 が、意外なところから反論が出た。

 長秀の子である長重だ。

 長秀の代理として五大老会議にも参加していたのだが、最上支持の立場を鮮明にしたのだ。

 もっとも、最上を支持したというより、上杉の力を弱めたいという思いからの反対だった。

 若狭に加え、越前も領するようになった彼にとって、越後・越中を領国とする上杉は隣の大国だ。

 その脅威は、小さい方が良いと考えたのだ。


 長重の反対により、結論は出ないままこの問題は棚上げとなった。

 五大老制度の先行きに、不安を感じさせる事件となったのである。






 この半月後。

 五大老の一人である、丹羽長秀が没した。

 増えた領土の統治、それに五大老としての責務による過労が原因だろうとも囁かれた。


 没した以上、空いた大老職には子の長重が就くのだろう。

 中堅以下の大名達はそう考えていた。


 が、秀吉はそうしようとしなかった。

 丹羽長重の失脚と、大幅な領土の削減を目論んだのである。

 庄内問題で、最上家を擁護した丹羽長重にいい感情を持っておらず、して近いうちに討滅する事を目論んだのである。


 それだけではない。

 秀吉は今、早急に領土を欲していた。

 池田元助、真田信繁ら新たに召す事になった旧安土方の武将達に与える領土である。

 かといって、徳川家や徳川家と縁の深い大名の領土に手を出すと背後に控える家康が乗り出すかもしれない。

 いずれは家康と雌雄を決する気でいる秀吉だが、今はまだその時期ではないと考えていたのである。


 そんな中、丹羽家は絶好の獲物だった。

 やや徳川寄りという程度であり、親徳川というほどでもない。中立に近い勢力。100万石近い豊かな領土。まとまっていない家臣団。

 条件があまりにも揃いすぎていた。


 この丹羽家を滅ぼせば、その広大な版図を自陣営に組み込む事ができるのだ。

 そう考えた秀吉は、羽柴秀長、前野長泰、浅野長政、黒田孝高らを招集した。


「長秀殿には悪いが、子の長重に100万石もの大身としての器量はない。ここは、儂が長秀殿の遺領を統治してやるべきだと思うのだが」


 そう秀吉は切り出した。

 孝高も、丹羽領の切り取りを考えていたらしく、理解も早かった。


「さすがは殿。某も同じ考えです」


「しかし、兄者。それはあまりにも不義理というものでは」


 秀長が難色を示した。


「某も同意です。丹羽殿は、同じ釜の飯を食った朋友ではありませんか」


 長政だ。

 秀長に同意するような口ぶりである。


「長秀殿には、確かに恩がある。今の羽柴姓も、長秀殿から『羽』の字を拝領したぐらいだ。だが、倅の方には何の恩もない」


 秀吉の口調は冷たかった。

 長政は秀吉の正室・寧々の親族であり、織田家の末端の武将だった時代からの朋友だ。

 秀吉が順調に出世の道を歩いていく中も、その重臣として蜂須賀正勝に次いで信頼される股肱の臣だった。


 だが、近年は福島正則や石田三成といった若い武将達が育ってきた事もあり、やや不遇の身となっていた。

 秀吉に自分の意見が通りにくくなった事を、長政も感じているのだ。


「……」


 そんな長政をじっと、黒田孝高は見つめている。

 長政や故・蜂須賀正勝に代わり秀吉の側近としての地位を築きつつある孝高だ。


「浅野殿」


 その孝高も、秀吉に同意するように言った。


「丹羽殿に遠慮など不要です。ここは、丹羽領を切り取り殿の版図を拡大すべきかと」


「ですが殿」


 その孝高を無視するように、長政は秀吉に詰め寄る。


「儂が既に決めた事ぞ」


「……」


 秀吉の言葉には異議は許さない、という強い気迫が感じられた。

 こうなれば、これ以上の意見は不要だ。秀吉の気分を無駄に害するだけだろう。


 長政は不満そうに黙り込む。


「しかし」


 ここで長泰が懸念を示した。


「何を理由に丹羽領を切り取るというのだ。大義名分は何もないぞ」


「なければ、作ればよいではありませぬか」


 にやり、と孝高が口角を釣り上げる。

 秀吉も同意なのか、不敵な笑みを浮かべている。


「作る……?」


「天正大乱の時に安土方に内通したとか、家臣が領民に狼藉を行ったとでも、でっちあげる方法はいくらでもありましょう」


「うむ……」


 秀吉が、腕を組んで考え込む。


「越前の方は問題なく統治できておるようだが、四国の方の新領地は苦労しておるようであったな」


「はい。土佐は、かつて治めていた長宗我部色が強く丹羽殿も統治に戸惑っているようです」


 秀長が答えた。

 長重は、大乱終結後に若狭・越前・讃岐・土佐の四ヶ国を領する大大名になったとはいえ、生前の父が担っていた土佐や讃岐の国政は滞りがちだった。


「確か、長盛のところには長宗我部の倅がおったな」


 長宗我部元親の四男である千熊丸は、秀吉家臣の増田長盛の元に預かりの身となっていた。


「はい」


 孝高が答える。


「ならば、元服させておけ。何かと使い道がありそうだ」


 この時、千熊丸は16。元服してもおかしくない年齢だった。


「何をするつもりだ、兄者」


 秀長の質問に答えようと秀吉が口を開くのよりも先に、孝高が離し始めた。


「引っ掻き回しいただくのですよ。ああ、そういえば、彼は兄を丹羽家との戦でなくしておりましたな」


 孝高が不敵な笑みを浮かべる。

 ちなみに、孝高が言う兄は対馬海峡の戦いで織田信忠と共に死んだ長宗我部信親ではなく、四国安芸城の戦いで討ち死にした香川親和の事である。


「その辺りの事で煽れば、うまくいきそうですな」


「……」


 秀吉は一瞬、不快げな顔をするがすぐに打ち消した。

 孝高の意見に不満があったのではない。

 むしろ、秀吉も孝高と同意見だった。

 だが、勝手に主君の考えを先読みするような事を言った孝高に、秀吉は不満を覚えたのだ。


「ま、うまくやっておけ」


 だが、そんな不満を悟られぬように隠し、この話を打ち切った。

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