102話 伊達政宗1
安土城が陥落し、この大乱に決着がついたのと同時期。
東北の地。
当然だが、安土城陥落の情報はまだ届いていない。
寺池城を囲む、伊達軍の本陣に大坂方優位を伝える情報が相次いで黒脛巾組からの報知として飛び込んでくる。
――織田信孝、小牧の戦いにて敗戦。
――岐阜城、徳川軍に占拠。
――羽柴秀次、名護屋城を奪還。
――遠征軍、朝鮮から帰還。
――長宗我部元親、敗走。
これらの報告を受け、伊達政宗は軍議を開いた。
片倉景綱、伊達成実、留守政景、石川昭光、葛西晴信らが現れる。
鬼庭綱元の姿はない。
内通疑惑により、米沢城に戻されたままだ。
「戦況をどう見る?」
政宗が訊ねた。
が、回答は聞くまでもなく分かっている。
これは、単なる確認作業なのである。
「大坂方が優位ですな。いえ十中八九、大坂方の勝ちでしょう」
景綱が答えた。
政景も同意する。
「そうですな。今頃は、安土城が落ちているかもしれません」
黒脛巾組といえども、上方から遠く離れたこの土地に即座に情報を持ち込めない。
彼らの持ち込んでくる情報は、いくらか遅れて届いているのだ。
当然、その間に戦局は変わっている。
が、この状況から安土方優位に状況が覆っているとは考えられない。
「となると、やはり大坂方に着いた儂の判断は間違っておらなんだという事だのう」
上機嫌そうに、と政宗は笑う。
「はい、さすがは殿」
景綱の言葉に政宗は頷く。
「だが、少しばかり時間をかけすぎたやもしれん。この城はもっと早くに落とすべきであったか」
政宗は無念そうに呟く。
「結末の時期を読み違えたのは、某の責。申し訳ありません」
「よい」
政宗は景綱の言葉に、鷹揚に返した。
「儂に献策するのが、お前の仕事ならばそれを採用するかを決めるのが儂の仕事じゃ。儂は、お前の策を受け入れた。故にお前が責任を感じる事はない」
「はっ……」
景綱はかしこまってうなずいた。
「それに大坂方が勝つ、という最も大切な読みは外さなんだ。それだけで十分だ。その為の仕込みもできたしのう」
「ありがたきお言葉」
「……殿」
「どうした」
政宗は、成実へと視線をずらす。
「それでは、寺池城を落とすのですか?」
「そうなるな」
政宗は、景綱との話を遮られた事にわずかに不快感を覚えつつも平静を装い、視線を葛西晴信へと動かした。
「葛西殿、それでは旧臣達に手筈通りの指示を出していただけませぬか? 今夜攻め入りますので」
「承知致しました」
晴信が頷いた。
「叔父上にも伝えるか。たった今、葛西殿の説得に応じたとな」
ふふ、と政宗は不適な笑みを浮かべた。
改めて、寺池城攻めが再開された。
既に、話は着いている。
葛西晴信の旧臣らが担当している部署の門が、内側から開けられる。
木村吉清は慌てたが、どうする事もできない。瞬く間に、本丸にまで迫られてしまった。
ここで、吉清は最上・伊達連合軍に降伏するべく使者を送る。
義光と政宗はこれを受け入れ、木村吉清は身柄を拘束されたものの生き延びる事ができた。
これにより、寺池城は陥落。
寺池城を制圧した勢いのまま、木村領へと最上・伊達連合軍は兵を進める。
何せ、当主の吉清が捕縛されているのだ。瞬く間に、各地の城が制圧された。
それと同時に、会津の蒲生氏郷も大坂方の旧木村領へと兵を出し始めた。
氏郷もまた、大坂方に組する事を決めたのだ。
木村領を完全に飲み干したのとほぼ同時期に、政宗は安土城の陥落、そして大坂方の勝利を知った。
「おめでとうございます」
その報告を受け取った際、片倉景綱がまず最初に発言したのがこの言葉である。
「おめでとうございます、か。確かにめでたいがの」
ふふ、と政宗は笑うがさして機嫌は良くなさそうだ。
「正直な事を言うとな。もう少し、織田信孝には粘って欲しかった。もっと安土城攻めが長引いていれば、何かと理由をつけてあの蒲生氏郷の領土を奪う事ができたかもしれんというのに」
「しかし、蒲生殿は今は明確に大坂方に組しておりますぞ」
「そんな事は知るか。つい最近まで、日和見を決め込んで負ったのだぞ。そんな男の領土を儂が切り取ったところで文句はあるまい」
「そうかもしれませんが」
「第一、はっきりと大坂方に着いた叔父上の領土に上杉は侵攻しておるではないか。それは良くて、儂が蒲生の領地を切り取るのはいかんというのか」
最上義光の大宝寺領への上杉の侵攻は、既に政宗の耳にも入っていた。
「第一」
と政宗は言葉を続ける。
「儂はあの男が好かん」
「蒲生殿がですか?」
「うむ。何ともいえんのだが、生理的に好かんのだ」
「それはまた……」
主君の物言いに、つい景綱も苦笑してしまう。
「殿と蒲生殿の相性はともかくとして、これからどうされるのですか?」
「ま、とりあえずは大坂に迎え。儂の名代としてだ」
「大坂に……」
「蒲生だけではなく、下野の宇都宮も大坂方についた。道中に危険はあるまい。護衛もわずかでよかろう」
景綱は頷く。
「承りました。 ……それにしても残念でしたな」
「む。何がだ」
「いえ、この大乱が長引いておればもっと版図を拡大する事ができたというのに」
「何、心配はいらん」
政宗は小さく笑った。
「安土城が落ち、安土方が滅んだとはいえ、天下安泰とはいえん。秀信は幼君だし、評判もあまり良くない。このまま秀信が暗愚と化すのであれば、秀吉も家康も仕え続ける義理はなかろう。よからぬ野心を抱くやもしれん」
「では、羽柴殿か徳川殿に?」
「うむ。だが、それでは終わらん。秀吉も家康も既に50前後。儂はまだ若い。秀吉なり、家康なりが天下を取っても次の機会はあろう」
平均寿命が短いこの時代では、秀吉も家康も既に老人と呼ばれる世代に片足を突っ込んでいた。
「そうですな、ではその時こそ」
「うむ。最後に笑うのは――この儂じゃ」
うっふっふ、と政宗は歓喜に満ちた笑い隻眼に浮かべていた。