100話 安土決戦5
「どうやら、今日中にでも攻め落とせそうですな」
安土城を攻める、大坂織田軍の本陣。
名目上とはいえ、総大将を務めるのは織田信雄だ。
傍らに、羽柴秀吉と徳川家康がいる。
「……うむ」
不仲でしかも腹違いとはいえ、実の弟が最期を迎えようとしている現状に信雄は複雑そうな色を顔に浮かべている。
「今からでも、使者を送り込んで開城を促しますか?」
暗に、秀吉は信孝の助命を進言した。
だが黙って信雄は首を横に振った。
「いや、あ奴もこれほどの大乱を起こした安土方の首魁じゃ。あちらから頭を下げてくるというのであれば別じゃが、こちらから降伏を認める気はない」
「そうですな」
秀吉も頷いた。
「ですが、おそらく今が最後の機会かと思いまして」
「やはり、安土城は落ちるか」
「まず間違いなく。仮に、今日落ちなかったとしても明日には」
「だが、どこからか援軍が駆けつけてくるような事はないのであろうな」
「信孝の味方は、各地に完全に封じ込められております」
そんな信雄に安心させるように秀吉は続ける。
「九州の佐々成政と島津歳久の軍勢は、毛利輝元殿によって封じられておりますし、四国の長宗我部は丹羽殿と蜂須賀正勝によって打ち破られております」
既に、蜂須賀正勝が没したという報告は届いている。
一瞬だけ、秀吉は悲痛そうな表情を浮かべるがすぐに話を続ける。
「大和の筒井定次は我らに下りましたし、北陸勢も同様です。そうですな、徳川殿」
筒井定次は、秀吉が安土城を囲んでから参陣を申し出てきた。
安土方に組した罪に関しては、「働き次第」とのみ信雄は返していた。それだけに、彼もまた前線に立ち必死に戦っていた。
「その通りですな」
家康が言った。
「元々、我らの味方だった上杉殿は勿論、前田殿や金森殿も加わっております。関東でも、北条再興軍は利根川で痛手を受けて以降は積極的な攻勢には出ていないようですし、最上殿と伊達殿が寺池城を陥落させたようです。蒲生や佐竹も既に大坂方に組する事を表明しています」
これまで中立を保っていた蒲生氏郷、佐竹義宣、宇都宮国綱、里見義康らが相次いで大坂方への参戦を表明。
さらに、最上・伊達の連合軍が寺池城を陥落させる前に木村吉清は抗えないと判断して降伏した。
他の支城も、相次いで最上・伊達連合軍の前に相次いで下って行った。
これにより、東国は大坂方によってほぼ完全に掌握された事になる。
「……ならば、問題はなさそうじゃな」
ふー、と信雄が小さく息をつく。
「じゃが、朝廷はどうじゃ? 信孝が何か働きかけているという事はないか?」
かつて、故・織田信長は窮地に陥る度に朝廷の力を借りて停戦に持ち込んだ事が何度もあった。
それと同様の事を信孝はするのではないかと信雄は疑った。
「いえ、既に朝廷は安土方を見限ったようです。安土方に着く気はないと言っておりましたから」
ここに来る前、京の都に立ち寄った秀吉は朝廷から既に安土方につかないという確約を貰ってきていた。
ちなみに、将軍・足利義昭も同様だった。
かつては、信孝を養子にという話の出ていた義昭だが、今では完全に安土方との決別を宣言していた。
「では、心配ないか」
「はい。安心して、安土城を攻められるというわけか」
こうして、安土城攻めはなおも続けられる事になった。
さらに、城攻め用に大陸の先にまで持ち込んでいた大砲も大坂城へと戻ってきていた。
それが、この安土城攻めの本陣にも届いた。
さっそく、この城攻めに使われる事になった。
その大量の大砲による一撃が、安土城の壮大な天守に直撃した。
明確に天守を狙ったわけではない。
だが、威力は絶大だった。
石垣や、城門の一部は、既に大量の大筒を用いたに攻撃により壊れている。
それでもなお、安土城の天守は圧倒的な威圧感を持っていた。
それも、安土城の誇る壮観な天守があっての事だった。
その象徴ともいえる天守を打ち砕いたのだ。
安土方に与えた精神的な衝撃は相当なものだろう。
それを機と見て、安土城攻めの本陣から総攻撃を決断。
さらに、苛烈な攻撃を仕掛けた。
搦手道からは攻め寄せた、上杉、前田、金森、丹羽ら北陸勢。
大手道からは、徳川、大坂織田軍。
百々橋からは、羽柴軍。
さらにも、湖上からは堅田衆らが攻撃を支援する。
そして、遂に百々橋口を羽柴軍が落とした。
主に、この戦いで大坂城での不本意な籠城戦を余儀なくされていた、黒田孝高、福島正則、仙石秀久、浅野長政らの軍勢の手柄だった。
特に、正則の軍勢の活躍には凄まじいものがあり、秀吉自らが本陣に呼び寄せて絶賛した。
それに負けじと、徳川軍も南の大手口を落とす。
こちらで、最も凄まじい活躍をしたのは井伊直政だった。
もっと早くにこの安土城を落としていれば、この城攻めは主君・家康が中心となれたのに、という思いがある。
それができなかった事に、直政らは強い責任を感じていた。
搦手道の東口も落ちた。
ここでの武功第一は、前田利家だった。
彼は、安土方からの離反組だ。戦後、その責任を追及されるのは必定。それだけに、ここで少しでも多くの手柄が必要があった。
逆に、上杉景勝ら上杉軍は静かだった。
もう勝負の先が見え、越中と庄内の確保する目途が見えた以上、この城攻めでは無駄な犠牲を出したくないのだろう。
いずれにせよ、もはや安土城。そして安土方の命運は風前の灯だった。
「…………」
城内は、当然の事ながら騒然たる騒ぎになっていた。
そんな中、信孝は腕を組んで黙考していた。
起死回生の策を考えるが、当然この状況でそんなものが浮かんでくるはずがない。
「………………」
近習達も、そんな信孝にどう声をかけたらいいのか分からない様子だった。
敵勢は、勢いにのり三の丸も二の丸も占拠された。
その間の戦闘で、さらなる凶報が相次いで舞い込んでくる。
「滝川一益殿、討ち死に!」
「中川清秀殿、討ち死に!」
「毛受勝照殿、討ち死に!」
もはや、完全に信孝の命運は尽きようとしている。
彼をこれまで支えてきた、安土方の有力諸将はほぼ全員が討ち死にするか、敵に下るか、行方不明になるかの三つの道を歩んでいた。
長らく信孝に仕えた岡本良勝も、柴田勝家も、そして滝川一益も今やいない。
茫然としていた信孝が、ようやく口を開いた。
「退き口はないのか?」
「全て、敵勢が……。もはや、逃れる術はないかと」
近習の言葉に、信孝は言葉を失う。
……一体、どこで間違ってしまったのか。
安土城を包囲された段階か。
柴田勝家が、羽柴秀吉に敗れた段階か。
自分が、徳川家康に小牧で敗れた段階か。
それとも、織田信忠に反旗を翻した事そのものが間違いだったのか。
今となっては、知りようがない。
確かなのは、もはや信孝に逃れる術がないという事実のみだった。
……ここまでか。
ついに、信孝は観念した。
「ここで腹を切る。介錯せい」
「よろしいのでございますか?」
「……」
もはや、逃れれぬ事を悟った信孝は、この安土城を終焉の地と決めたようだった。
「雑兵共にこの首をくれてやるわけには、いかん」
……大坂の織田秀信などに頭を下げる気にもなれんしの。
ここを生き延び、屈辱にまみれた後世を送る気など、信孝にはさらさらなかった。安土織田軍の盟主として、華麗に散ってやる気でいた。
腹をさらけ出し、どかりと腰を下ろした。
「かつて、父上もこういったそうだな。是非も、なしと」
信孝も覚悟を決めたようだ。
「用意を」
「……」
「早くせいっ」
信孝の叱声に慌てて近習達が、腹を切る為の用意をする。
「では逝くか。お前達は、以後好きにせい。儂の首を土産に下っても怨みはせん」
そう言ってから、信孝はふう、と小さく息をつく。
そして。
「――っ!」
信孝の腹に、短刀が突き刺さる。
……ぐぅ。
腹部に激痛が走る。
これまで、戦地で何度か傷を負った事はあるがこれほどの痛みではなかった。
その苦しみから解放されるため、叫ぶ。
「とっとと、首を刎ねいっ!」
「はっ!」
近習の言葉と共に、信孝の首は切り落とされた。
近習達も、その直後に自害して信孝の後を追った。
燃える、燃える、燃えていく。
かつて、織田信長が築いた天下の覇城であり、この地の全てを睥睨できる神の如き視点を持てる城が燃える。
それは、まさに安土織田軍の崩壊を見ているかのようだった。
あれほど華麗に輝いていた天守が、見るも無残に燃えていく。
平時ではなく、戦中であり当然、攻め手である大坂織田軍は消火活動などしない。さらなる戦果を求めて兵達は安土城を蹂躙するばかりだけだった。
また、安土城は夜でも天下の中心として輝けるように大量の灯りを用いていた。その灯りとなるはずの火が、今は安土城を滅ぼす悪魔の炎となり、安土城をひたすらに燃やし尽くしている。
まさに安土織田軍の天下の喪失である。
ここにおいて、安土織田軍の天下は終わった事を安土織田軍も、大坂織田軍も完全に理解した。
秀吉も、家康も、そして信雄も。
その燃えていく安土城を見て、静かに黙祷した。
ここにおいて、安土城と共に安土織田軍は滅び、一連の騒動。信忠の朝鮮への出兵から始まる、後に天正大乱と呼ばれるようになるこの騒乱はついに幕を下ろしたのである。
今回で、100話目。
だいぶ長く続ける事ができましたが、まだ話は続きます。
これからも、お楽しみいただければ幸いです。