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乖離戦国伝  作者: 藍上男
第1部 天下人の誕生
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9話 播磨姫路

 播磨姫路城。

 この日、羽柴秀吉は瀬戸内海でとれた新鮮な鯛を肴に酒を飲んでいた。


 同席するのは、羽柴秀長、蜂須賀正勝、黒田孝高らである。


「うむ。やはり、この鯛は絶品じゃのう。美濃では味わえん味じゃわい」


 秀吉の機嫌は良かった。


「はい。美濃にいた頃では、とても味わう事ができませなんだな」


 蜂須賀正勝も、同意するように鯛の肉を挟んだ箸を口に運ぶ。


「孝高殿が羨ましい。このようなものを幼い頃から、口にできるとは」


「いえいえ、そのような事は。某の方こそ、尾張や美濃の出身である殿や皆様がたが羨ましく思いまする。何せ、尾張や美濃は米が存分にとれる豊かな土地ですゆえ」


「言うのう、孝高」


 秀吉はそう言って笑った。


「まあ、そのような思いをするのはお互い様、というわけか」


 そう言って秀吉は笑った。


「他人の物の方が、何でもない品であっても珍しく貴重な物に見えるからのう」


「そうかもしれませんな」


 そう言って孝高も小さく笑う。

 和やかな雰囲気の中、正勝が切り出した。


「ところで」


「何じゃ?」


「最近、頻繁に遠国からの使者が行き来しておりますな」


「うむ。毛利が事実上、上様に下って以降は大友宗麟をはじめとする九州の大名からも頻繁に送るようになっての」


 そう言って秀吉は杯を口元に運ぶ。


「九州中の大名が、儂を通じて上様と誼を結ぼうとしておるからの」


「毛利が織田に下ろうとしている今、当然ですな」


 孝高がさも同意する。


「九州は色々な意味で、魅力的な地。上様も欲しておられる」


 九州は、元々南蛮人が渡来した地。

 そもそも鉄砲が渡来したのも、九州の種子島だ。

 また、大友宗麟を経由して南蛮製の大筒も織田家は手に入れている。


「そういえば珍しいところからも来ておったぞ。対馬の宗家じゃ」


「対馬ですか――」


 対馬は、本州から離れた場所にぽつん、とある日本列島と朝鮮半島の中継地点ともいうべき位置にある。

 れっきとした日本の守護大名だが独立性が強く、李氏朝鮮と独自の外交ルートを持っていた。


「特に丁重に持て成すように上様から指示があった」


「上様からですか――」


「うむ。上様は、亡き信長公の夢を追うつもりらしい」


「信長公の夢、というともしや――」


「明征伐、じゃよ」


 今は亡き織田信長は、宣教師であるルイス・フロイスにも語っていた。


 ――毛利を滅ぼし、いずれ日本六十六か国を統治したあかつきには一大艦隊を率いて明に攻め込む。


 それが信長の野望だった。

 だが、それは本能寺の変による信長の横死で挫折する事になる。


「上様は、本気でございますか?」


「本気よ、本気」


 ぐい、と秀吉は酒を呷る。


「しかし、明は広大でござるぞ。はたして、可能かどうか……」


「それを言ったら、尾張一国すら治めておらなかった織田家の天下布武などの方がよっぽど不可能に近い難事よ。上様はそれをやってのけたではないか」


 どうも、秀吉は亡き信長や信忠の考える明征伐に賛同しているようだった。

 先ほどからの会話を聞いている限り、孝高はそう思える。


 ……まあ、ならばそれならばそれにあった策を考えるのが私の役目か。


 孝高は、高い軍事的才能を持つものの、野心は乏しかった。

 自身の力を活かせる主君であるのであれば、どのような夢を持とうとそれに応えるだけの策を考えるまでの話だ。


 ……明を本気で攻める気ならば、橋頭堡となる地が必要。


 となると。


「なるほど、その為の対馬ですか」


「察しが良いの」


 秀吉がそう言って笑う。


 朝鮮半島を支配する李氏朝鮮は、明の冊封体制下にあり実質的な従属国だった。もし明を攻めるとするのであれば朝鮮半島はどう転んでも重要拠点となる。


 そして、対馬は朝鮮半島との関係が深い。

 一時、途絶えていた時期もあったものの現当主である宗義智の祖父の代に和解している。


 さらに、嘉吉条約と呼ばれる貿易協定が結ばれており、毎年50隻の歳遣船を朝鮮に派遣するのと引き換えに200石の歳賜米が支給されていた。

 これは明と朝鮮の間で結ばれていた一種の冊封体制に近いものであり、朝鮮に名目上はいえ従属したとられかねないものだった。

 が、これもある意味では仕方のない事ともいえた。

 当時の中央は、まさに戦国時代の真っただ中にあり荒れ果てていた。とても九州に手を伸ばせるほどの力は、当時の日本政権ともいえる室町幕府にはなかった。

 しかし、これ以降も依然として日本の守護大名を名乗り続けていたし宗義智もそのつもりでいた。

 それゆえに、中央で事実上の最高権力者となりつつある信忠と誼を通じようとしていた。宗氏の書状には、場合によっては信忠のところに出向いて臣下の礼をとってもいいといった趣旨の事まで書かれてあった。


「明へと攻め込むのであれば、朝鮮半島はどうしても無視できん。滅ぼすにせよ、従わせるにせよ地理的な問題だけでなく李氏朝鮮の内情に詳しい宗氏と関係を深めるのは悪くあるまい」


「ですが、明を攻めるのであれば、琉球方面から海路でという手段もあるのではありませんか?」


 秀長が訊ねた。


「南蛮の船ならいざしれず、我が国の渡航技術では無理よ」


 当時の日本では、鉄砲の性能などに関しては南蛮に引けをとらないどころか勝っている部分も多々あった。

 だが、造船技術や渡航技術という点ではイスパニアをはじめとする南蛮の国と比べる事すらできないほどの差があったのだ。


 対馬から朝鮮への距離と、九州から明への距離では比べものにならない。それほどの距離を動かすだけの船を大量に用意するのは相当な難事だ。


「となると、大陸に陸路続きの朝鮮半島を橋頭堡として陸路沿いに攻める方が、はるかに現実味があるのよ」


「さようでございますか」


 なるほど、秀長は納得したように頷いた。


「そういえば、琉球といえば」


 と正勝が言いかけた時、



「――殿」



 いつの間にか、入ってきた小姓が近寄る。

 そして、秀吉に駆け寄り、耳打ちする。


「……む?」


「いかながさいましたか?」


 孝高が訊ねた。


「客じゃ」


 その言葉の後、襖が開く。

 現れたのは、亀井茲矩だった。

 茲矩は、かつて中国地方に覇を唱えた尼子家の旧臣。

 数年前、織田信長は尼子家の再興を大義名分に中国筋に秀吉を大将とした軍勢を送り込んでいた。

 結局、尼子再興軍は毛利家に滅ぼされたものの茲矩はそのまま秀吉に仕えていた。


「おお、茲矩か。どうした?」


「お話したい事がありましたゆえ」


「うむ、ならばこのまま聞くとするか。茲矩の膳も用意せよ」


 小姓に命じ、やがて茲矩の膳が用意される。

 それに手をつけるよりも早く、茲矩が口を開いた。


「殿、九州に出兵すると聞きましたが」


「気が早いの。いきなりか」


 その言葉に思わず秀吉が苦笑する。


「むろんです。九州ととれば、いよいよ私の悲願が叶う時が来るのですからな」


 そう言って少年のようにきらきらと目を輝かせる。


(うむ、あのような約束はするべきではなかったか……)


 と秀吉は少し後悔するように思い出す。

 茲矩の官位は、琉球守。

 ただし、自称という文字が頭につく。


 この時点で琉球はれっきとした独立国であるし、織田の勢力下にはない。

 だが、毛利攻めの恩賞としてこの官位をせがまれてつい与えてしまった。それ以降、茲矩はこれを気に入り、ずっと名乗り続けている。


「悪いが、当面は無理じゃ」


 秀吉は首を左右に振る。


「上様は、当面は東国に専念する気のようだし毛利とてまだ安心できん。しばらくは待ってもらうほかない」


「さようでございますか……」


 軽い失意の色を茲矩は浮かべる。


「――ところで」


 孝高が話柄を転じた。


「上様は大坂の地に城を建てるそうでございますな」


「うむ」


 秀吉は鯛を食し終わったらしく、膳を小姓に下げさせてから秀吉が言った。


「元より、あの地は上様が欲していた地。堺に近く、京から遠すぎず天下の中心にはふさわしい土地よ」


 酒も終わったらしく、それも下げさせる。


「その普請奉行を担当するのは、丹羽殿だそうだ」


 新しく酒を持ってこさせた秀吉は、それを杯に注いだ。


「丹羽殿といえば、かつて安土城の普請奉行を任されたほどのお方――適任ですな」


「大坂城が完成すれば、大坂の守りは完璧になる。長宗我部が畿内に攻め込んでくる恐れもなくなりますしな」


 正勝が言った。


「うむ。まあ、四国征伐や九州征伐はそれからで良い。茲矩よ、それまでの辛抱じゃぞ」


「はっ」


 黙って秀吉たちのやり取りを聞いていた茲矩が軽く一礼した。

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