(下)
『この物語はすでに書かれています。既成作品との最大一致率:99.9% 類似作品数:1』
「えっ」
薄暗い部屋に自分の声だけが響いた。わたしはキーボードの上に手を置いたまま、微動だにできずにいた。 どういうことだろう。
わたしはすぐに「類似作品名と作者の検索」を行った。しかし、返ってきた答えは「現在、この作品は閲覧できません」というものだった。
狐につままれた気分とはこういうことを言うのだろうか。
まあ、一度ネット小説などにアップされた文章が、なんらかの理由で削除されたりした場合などは、こんなふうになると聞いたことがある。ふと時計をみると、もうすぐ朝の四時である。気にならないといえば嘘になったが、完全徹夜明けで朝から夕方までの立ち仕事ができるとも思えなかったわたしは、布団に体を預けることにした。
このことは、明日帰宅してからマイクにでもたずねてみようと思った。
結局、二時間弱しか眠らなかったわたしは、頭がふらついて胸のあたりがぞわぞわするような、典型的な寝不足の症状に襲われながら一日を職場で過ごした。幸運にもたいしたアクシデントはなく、平穏に一日が終わった。
帰宅して、母が用意してくれた夕食を食べて、部屋に戻ったわたしは、うっかり横になってしまい眠り込んでしまった。
気が付いたときには、二十四時を回っていた。
一度目がさめたら逆に眠れなくなった。わたしは、深夜には動かさないようにしていたマイクの電源を入れた。音声ボリュームは最低に設定し、わたし自身の声は小さくても拾えるようにヘッドセットを装着した。
「おはよう、夜だけど。どうしたこんな時間に」
フクロウは夜行性だろうに変な台詞だ。わたしはマイクに、昨日のアカシア検索画面をもう一度表示してみせた。やはり結果は変わらず、わたしの人生の物語と99.9%おなじ物語がもう一つ存在することを示していた。
「この検索結果ってどう思う?」
「どうもこうも、誰かが既に書いたってことだろう」
「わたしの人生よ? 他に誰が書いたの? しかも、最後は事故死したことになってるのに」
興奮で声が大きくならないように抑えるのに、わたしは精いっぱいだった。マイクは困ったようなあきれたような様子だ。
「うーん。よりによってまた、縁起の悪いことを付け足したもんだな」
「主人公が死ねば、いちおう区切りがつくと思ったんだもの。この検索、未完成の物語だとうまく認識してくれないじゃないの」
「じゃあ、事故死した部分だけ削除して、そうだな――白馬に乗った王子様が迎えに来て結婚して幸せに暮らしました、とかに書き換えて検索してみろよ」
なんだか現実味がまったくないが、わたしはその通りにやってみた。
『やや似た物語が書かれています。既成作品との最大一致率:95.0% 類似作品数:1』
「数値が下がったわ」
「ということは、結末は事故死なのか」
わたしとマイクは、うーんと唸ってしばし考え込んだ。マイクはディスプレイを覗きこみながら首を傾けている。人間だったら眉間にしわを寄せているといったところか。
「誰が書いたんだろ?」
「あれだ、実は生き別れになった双子の姉妹がいるとか」
「そんなのいないわよ。戸籍謄本みたことあるもの」
わたしと同じ人生を歩んだ人物がいる? わたしは自分の出生地も生年月日も入力したのに、そんなことってあるのだろうか。その人は死んでしまったということなのか。
いやな感じがする。ざわざわと鳥肌が立った。
「――マイク、この『わたしの人生』より先に書かれた『わたしの人生もどき』が、どこの誰の作品だったのか調べられないのかな?」
「確かそういう過去のデータベースもある。普通じゃ検索できないが、多分おれなら……。ちょっと待ってろ、見てくるから」
言い終わると、マイクは羽毛をふわりと膨らませて、眠ってしまった。
いまマイクは、文字通り光の速さでインターネットの世界を駆け抜け、必要な情報を探し回っているのだ。それはわたしたち人間が束になっても到底かなわないほど高速であることは間違いがない。五分とかからず彼は戻ってきた。それでもマイクにしてはかなり遅い方だった。
「見つけた、んだが……しかし」
「しかし?」
「しかし読めなかった。――あっちの『わたしの人生もどき』は、この世界にはない」
マイク自身も困惑して、言葉を選んでいるのがわかる。こんなことは今までになかった。
「どういうことなの?」
「あっちの在処を示すアドレスが、地球上の誰も知らない文字で書いてあって、おれでもたどり着けん。そもそも、三次元宇宙に存在しないんだ。唯一読めた番地が、Akashic Recordsだ」
「アカシック・レコードですって?」
わたしはあやうく大声を出しそうになった。
馬鹿な。
アカシック・レコードといえば、この世の全ての霊魂の記憶を収めているといわれる、いわば超時空記憶媒体だ。和風に解釈すると、閻魔帳のデータベースにあたる。当然だがそんな代物は物質世界に存在しない。
「ありえないわ。インターネットとアカシック・レコードが、たとえ存在したとしても繋がるなんてことは」
「じゃあ逆に聞くけど、あんたはインターネットで検索した情報が、本当は一体どこにあるものなのかなんて、ちゃんと考えてみたことがあるか? どこの誰が書いたのか分からない知識。世界のどこに存在するのか分からないサーバー。そんなものをあんたたちは、よく調べもせず鵜呑みにして、いままで散々利用してきただろうに」
すんなり納得はできないが、マイクも冗談を言っているわけではなさそうだ。
「ああもう、わかったわ。じゃあ騙されたと思って、アカシック・レコードの記録だってことにしましょう。だとしたら、それはわたし自身がたどる運命ってことなのかしら」
本当にそうだとすると、困ったことになる。わたしは同窓会の日に事故死することになっているからだ。その不安をマイクは瞬時に解決した。
「そんなの簡単だろ、同窓会に行かなきゃいいんだ」
「そう……かな?」
「誰もあんたを、す巻きにして引きずってまでは連れてきゃしないって」
八木沢結衣がいきなりわたしの前に現れ、わたしはぐるぐる巻きに縛られて、市中引き回しのごとく無理やり連行される様子を想像した。まずありえない。
うん。なるほど。行かなければいいのだ――。
これといった反論材料もないし、わたしは自分にそう言い聞かせた。何かが心に引っかかったが、マイクがやたら楽天的なこともあり、それにまた眠気が襲ってきたので、わたしはおとなしく寝床に入ることにした。
布団のなかでまどろみながらわたしは考えた。
アカシック・レコードのことは漠然としか知らない。そんなものは、あの世と同じくらい、あるのかないのか怪しげなものだったし、どちらにしろ自分には関係のないことだったから。
わたしが同窓会に行かないなんてことが、自分の意志だけで可能なのだろうか。
アカシック・レコードに逆らったら一体どうなるのか。未来の記録は書き換えられるのだろうか? もしも書き換え可能だとしたら、未来の記録を格納する意味が果たしてあるのか。いっそのこと、すべての記録は事後に収集し格納すればよいのではないのか。
そんなことを考えているうちに眠ってしまった。羊を数えるよりもよほど効果があった。
つぎの月曜、八木沢結衣から電話があった。
『同窓会の日にち決まったから、教えようと思って』
わたしは何か理由をつけて断ろうと思っていたのに、不意打ちだったこともあり、つい曖昧な返事をしてしまった。
「わかった。でも、ちょっとまだ行けるか分からないんだ」
『もし用事があるなら、途中参加とかでもいいよ。他にも結構、飲み会の予定がかぶってる人がいるんだ。会計は適当に融通効かせるからね。――ああ、そうそう』
こういうのは断りきれずに先延ばしにすればするほど、断りづらくなる。
それはわかっているのに毎度わたしはやってしまうのだ。まあ、いざとなったら仮病って手もある。大丈夫だ、たぶん。そんなことを考えながら、わたしは結衣の話をなかば上の空で聞いていた。
『そういえばさ、みんなに連絡してるうちに、当時誰が誰を好きだったとかって話になってさ。瑞穂、ジュリー覚えてるよね? 西村樹里。彼、瑞穂のこと好きだったらしいよ』
「ええっ」
西村樹里君。覚えているもなにも、わたしの初恋の人でもあり仇である。
『ジュリー、瑞穂に悪いことした、って後悔してたよ。瑞穂に会ったら謝りたいって言ってたから、彼女来れるかどうかわからないよって言ったら、きっとおれたちのせいで来たくないのかもしれない、どうしよう、ってさ、本当に落ち込んでた。男子って馬鹿よね。好きな子をいじめて、それで気を引いているつもりだったなんて』
好き? 樹里君がわたしのことを? そんなの信じられない。だってわたしは、クラスでも地味で目立たなくて、それに引き換え樹里君は、学級委員とかに選ばれてて、リーダー的な存在だったのに。
樹里君は、小学四年生のとき田舎から転校してきたわたしのことを気にかけてくれて、いろいろと親切にしてくれた。子供なりに好きになってしまって、でも恥ずかしいから誰にも言えなかった。
六年生にあがったころ、わたしは一時期、数名の男子グループにからかわれたり、黒板に悪口を書かれたりしていて、学校に行けなくなっていた。心配した親が学校にかけあってくれて、嫌がらせはぴたりとおさまった。
後日、男子グループがわたしの前に横一列に並んで「瑞穂さんごめんなさい」と頭を下げた。そのグループの中に、樹里君がいた。彼は言った。黒板にきみの名前を書いて侮辱したのは僕でした、と。
きっと樹里君だけは違う、違っていてほしいと思っていたのに。わたしは淡い初恋が終わったのを感じた。その夜は一人で布団の中で泣いた。
いまから思えば、そういういじめに大した意味はなかったのかもしれない。子供の頃は、注目を集めるためなら善悪考えずに何でもやってしまうものだ。ただし、それを大人になってから頭で理解したところで、心に負った傷というのは消えないものだ。それが厄介なのだ。
ちなみに、ファンタジー小説の裏切った黒幕の男、ジュリアスの名前の由来は樹里君である。
わたしは同窓会に行かなくてはならない。
行けばアカシック・レコードの記録の通り、死ぬかもしれない。しかし、本当に死ぬのだろうか? アカシック・レコードの正体とは一体何か。異次元に存在するとはいえ、記録媒体には違いない。そこにきっと鍵がある。わたしは究明しなければならない。
以後わたしは、執筆作業の合間を縫って、アカシック・レコードについての記述をかたっぱしから調べ始めた。やがて、解釈は人によって微妙に異なるものの、大きく分けて二つの説に行きつくことがわかった。
一)アカシック・レコードは全ての魂の記録を格納する。未来の記録も存在するが、それらは因果律に基づき過去から計算して得られた解である。
二)アカシック・レコードは全ての魂の記録を格納する。その時間の概念は現実世界とは異なり、過去はもちろん未来の正確な記録も存在する。
わたしは、自分に何が起こっているのかを考え続けた。気が済むまで考えた末に、本当に危ないと思ったら、最終手段として、同窓会には行かない。そう決心していた。
かろうじて矛盾なく説明する方法が見つかったのは、まさに同窓会の当日だった。
わたしは、新調したワンピースとカーディガンをクローゼットから取り出した。ブランドロゴの入った小さなハンドバッグは、化粧ポーチと携帯電話、それに財布を入れたらもう満杯だった。髪はめずらしくしっかりブローして、いちおう見苦しくない程度にセットした。これで、あとは着替えて外に出るだけだ。
出かける前に、マイクに最後の報告をしよう。わたしは、パソコンの電源を入れた。
マイクの目覚めのストレッチが終わらないうちにわたしは言った。
「わたし、きょうの同窓会に行くわ」
「ええー? なんで? 事故って死んじゃうって」
「たぶん死なないわ。マイク、ちょっと考えてみて。仮にわたしが今日事故死するとしましょう。わたしはどうして、この運命を正確に記述できたと思う?」
「偶然――にしては出来すぎてるな。計算もしたくないよ。適当に書いて一致する可能性は、どうせ天文学的な低確率だ」
「でしょ? それを踏まえた上で、これをちょっと見ていてね」
わたしは執筆用の文章エディタを開き、再びキーボードを叩き始めた。
「わたしの人生」の文章の最後の、事故死する部分を削除し、代わりに「わたしはある日、頭に隕石が直撃して死んでしまいました」と付け加えた。そしてアカシア検索にかけた。
『この物語はすでに書かれています。既成作品との最大一致率:99.9% 類似作品数:1』
「あれ? なんでだ? 交通事故で死ぬんじゃないのか?」
「まあ待って。もう一回やるわよ」
今度は最後を「わたしは宝くじを買って一等を当て、一生不自由なく暮らしました」に変更してみた。
またしても、一致率99.9%。
「どういうことだ? 未来の筋書きは何通りもあるのか?」
「でも、白馬に乗った王子様が迎えに来る未来はなかったわ。それはなぜ?」
「なぜって言われてもな……。そもそも、中世の貴族じゃあるまいし、白馬の王子様なんてありえないんだよなー。宝くじが当たるよりよっぽど――」
言いかけて、マイクは頭の冠毛を逆立てた。きっと気が付いたのだ。
「……なあ瑞穂。アカシック・レコードの記憶媒体としての性質って、どうだっけ」
わたしは、精いっぱい考えたわたしなりの見解をマイクに告げた。
話が一段落したとき、マイクが全身の羽根を膨らませてぶるっと身震いしたので、盛大にほこりが舞い上がって咳き込みそうになった。気分転換のときのしぐさらしい。そういえば最近掃除してやっていない。
「とりあえず、たぶん死なないってのは分かったけどさ。あくまでも仮説だろ? 万一ってこともあるから、おれはやっぱり行くべきじゃないと思う」
マイクは到底納得できないというような渋い顔をしていた。パソコンをシャットダウンするときマイクは、あんたの勝手だけどさ、おれがこのまま二度と起動しないとかいうのは勘弁してくれよ、絶対だからな、としつこく言っていた。当たり前じゃないの、これからだって働いてもらうんですからね、とわたしは笑いながら電源を切った。
この扉を開けて外に出たら、わたしは死ぬ、かもしれない。
新品のパンプスをはき、普段は持たないような可愛らしい小ぶりのハンドバッグを抱えたまま、わたしは玄関で立ちすくんでいた。いやいや。死ぬなんてことがあるものか。たかが、外に出ただけで。
アカシック・レコードがなぜ未来の記録を持っているのか。わたしが調べたところ、その解釈は二通りに分かれていた。
「因果律に基づき過去から計算して得られた解である」という説と「時間の概念が異なるため、未来の記憶も格納できる」という説だ。
おそらくアカシック・レコードは、その両方の性質を兼ねている。計算上あり得るすべての解を確定させず、浮動した状態で持っておけば、未来がどう転んでも矛盾は発生しない。
わたしがその考えをマイクに伝えたとき、マイクは全身を膨らませて叫んでいた。
「――ああ! そうか! 白馬の王子様が迎えに来るなんてこと、計算上『ありえない』んだ!」
「そのとおりよ!」
そう。いまどき白馬に乗ってプロポーズを行うような風習のある王族なんて、世界を探してもなかなかいないだろう。仮に存在していても、わたしの身分や境遇、さらに時代背景やお国柄など、すべてを計算要素に組み込んだ上では、わたしを迎えにくることは『ありえない』。少なくとも近い未来には。
かたや、突発的な事故はどうか。宝くじだってそうだ。きわめて低確率ながら、誰にでも起こりうる。
アカシック・レコードに未来を問い合わせたとき、確率99.9%の未来も、0.01%の未来も、等しく『ある』という回答しか返ってこないのだ。
したがって、このシステムを利用して、未来を予知しようとしても無理なのだ。きっと、全てを知りたがるあわれな人間たちに対する、相応なご慈悲なんじゃないかと思う。
このまま部屋に引きこもっていて、何が変わるものか。
ならば外に出よう。旧友と話してみよう。今日からきっと何かが変わる。せめて、安直に主人公を殺さなくてもいいような、少しは見どころのある物語になる。
わたしは扉を開いて、外に踏み出した。
帰ってきたら、ほこりだらけのマイクをダスターで掃除してやろう。わたしの人生は、わたし自身が決めるんだ。そしていつかは、まだ誰も書いていない新しい物語を書こう。それが明日か、十年後なのかは、わからないけれど。
最後までお読み下さりありがとうございました。ご感想など頂けたらうれしいです。