松ヶ丘高校ミステリー(が)研究会
雲ひとつない青空に満開の桜。
「これぞ高校の入学式ね!」
この日、私は晴れて高校生になった。
私の家は高校の近くにあるお寺だ(あまり有名ではないけど)。年の離れた兄と両親、祖父母と一緒に暮らしている。
「とっもだっち百人でっきるっかなーっと♪」
門をくぐると、古めかしい校舎が見える。そして、正門からすぐの所にある他のどの桜よりも大きな桜の大樹が新入生たちを見下ろしていた。しかし、花はぽつりぽつりとしか咲いていない。
「もう散っちゃったのかな。」
この木の花が咲いていたら記念撮影待ちの列ができたのだろうか、と思いつつ木の横を抜けようとしたその時、肩を誰かに叩かれた気がした。
「?」
サッと振り返るが誰も居ない。
「まあ、いっか♪」
疑問を感じつつも私は松ヶ丘高校の一員となるべく昇降口に駆けていった。
校長先生の長い話や部活動の説明などをだらっと聞いたあと、それぞれのクラスに戻ってオリエンテーションが始まった。私は欠伸をしながら何をするでもなく廊下に目を向ける。
「全く…出会って間もないのに普通学級委員なんてやりたがるもんかね?」
学級委員の推薦や立候補がないかと聞く担任の目をかわすように教室前方のドアの窓に神経を集中させる。すると、ウサギの着ぐるみの頭部が見えた。
「!?」
勢い余って椅子から立ち上がってしまった。それを見越したように先生が私に声を掛ける。
「立花、立候補か?立ち上がるだなんて、よほどやる気があったんだな!」
先生が私にガッツポーズを決めるが、私はすっぱりと「トイレに行きたいです」と伝えた。勿論嘘だ。
ガッカリする先生をよそに、私はウサギの被り物を被った生徒を追う。学級委員が誰になろうが今の私には関係ない。むしろあの謎の被り物の正体を確かめることこそ重要だ。
「ま、待って!」
階段を降りようとしたウサギの被り物を被った男子生徒の腕を掴む。
「…なんだ?新入生?」
不機嫌そうな声が聞こえる。不思議とくぐもってはいない。
「何で学校に被り物なんてしてきてるんですか!」
被り物の生徒は、しばらく無言になったあと、私に一枚の紙を手渡した。
「放課後、ここに来たら教えてやる。」
それだけ言うと、足早に階下に降りていった。渡された紙には、校舎の見取り図が書いてあり、四階の一角に赤いボールペンで○がかかれていた。
「ここに、来いってこと?」
放課後、地図を頼りにそこにたどり着いた。四畳半位の小さな部屋だ。
「えーと、ここだよね。」
控えめにドアをノックしたが、返事はない。
「失礼しまーす…。」
そろそろとドアを開け中を覗き込むと、さっきの被り物男子と机に座った兎がいた。
「ようこそ、松ヶ丘高校ミステリー研究会へ!」
男子生徒は両手を広げて歓迎の仕草を見せる。
「…あなた方の容貌を見る限り、ミステリー『が』研究会に見えるんですが。」
胡散臭いものを見るような私の視線に気づいたのか、男子生徒は肩を竦めた。
「すごいわ。貴女、本当に見えるのね!」
声のする方に目を向けると兎がちょこんと座った机がある。むしろ、声の聞こえてきた方には兎と机しかない。
「兎が喋った……。」
開いた口が塞がらない私を見て兎は首をかしげた。モコモコしていて可愛いが、喋る兎を兎と呼んでも良いのだろうか。
「最近の兎は喋るんですか?」
「あくまでも兎で通そうとするのね。」
兎特有の無表情のまま、兎は溜め息を吐いた。
「じゃあ貴女の見た目を兎以外の何と表現したら良いんでしょう?」
「まあ、兎かしら。」
考えるまでもなく即答される。
「結局、あなたたちは何者なんですか?」
「私は卓ノ上さやか。こっちはジャクソン。貴女は?」
「立花香澄です。……って、私はそういうことを聞いているのではなくてですね?」
卓ノ上と名乗った兎は、また可愛らしい仕草で首をかしげる。
「何者か、と聞かれたから名乗ったのよ?…ああ、所属を言い忘れたわね。私は3年E組、ジャクソンは3年F組よ。」
「あのー…そんな姿で学校に馴染めるんですか?」
私には目の前の兎や兎の被り物を被った男子生徒を級友と見なせる気はしない。前者はペット、後者は……少なくとも関わり合いにはなりたくない。
「そもそもジャクソンって名前も謎ですし……。」
「本気にするなよな。ジャクソンってのはさやかか気まぐれで呼んでるだけで、本名は田中博樹だ。」
兎の被り物を被っているくせにやけに普通の名前である。
「田中先輩に、卓ノ上先輩ですか。」
「うふふ、よろしくね。香澄ちゃん。」
「よろしくないです。」
まだ何かあるの?とでも言いたげな目で、卓ノ上先輩は私をじとーっと見つめる。
「まだまだ聞きたいことが沢山あるんですから。」
「そうねぇ、それなら順番に話さないといけなくなるから少し長くなるけど良いかしら?」
私が小さく頷くと、卓ノ上先輩は静かに話し始めた。
「そうね……まず、正門の近くにある桜の木は見たかしら。」
「ええ。桜、散っちゃってましたね。」
花が殆どついていない桜の大樹を思い出し、少し残念な気分になった。
「あの桜は、この学校を守っている御神木なの。」
「御神木?」
「あの木に神様が宿ってるって事だ。」
頭の中で桜の大樹の上に白髭を蓄えた老人が現れる。古いかもしれないが、私にとって神様はそんなイメージなのだから仕方ない。
「そして私達は、この学校を守る守り神」
「…の代理だな、正しくは。」
「代理、ですか?」
田中先輩は腕を組んでうんうんと頷いた。被り物がぐらぐらと揺れ、今にも落ちそうだ。
「最近あの桜の木が弱ってて、神様が出てこれないのよ。さっき花が散ってたって言ってたけど、最近はあまり花が咲いていないの。」
だから花が無かったのか、と一人で感心しているうちに、卓ノ上先輩は話を続けた。
「出てこれない神様の代わりに、私達がこうして学校に来て生徒達を守ってるの。人間風に言うと、神の使いってやつかしらね。」
「えーと、それはつまり守らなければいけないほどここが危険って事ですか?」
「そうだな。人が集まる所ほど妖や霊が集まる。そいつらが人を唆して騒ぎを起こさせたり、直接人に危害を加えたりするからな。危険っちゃ危険だ。」
人を唆したり危害を加えたりする、と聞いて悪霊や鬼のようなものを想像したが、先輩達の言う妖はそのようなものなのだろうか。
「力のある妖は幻覚を操って人間に擬態するの。私達も普段からそうして人間に紛れているけど、使っている側からしても幻覚を見破るのは至難の技ね。極めれば触覚まで騙すんだもの。ミステリー研究会って言うのも建前。こうして作戦を練るために人気の少ない部屋を使いたかったのよね。」
ふんふんと相槌を打つ私に、卓ノ上先輩がガタガタと音を立てて乗っている机ごと距離を詰めてくる。
「ねぇ、気づいていないかもしれないけど貴女には幻覚を見破る力がある。その力を世のため人のために使ってみる気はない?」
その為にミステリー研究会に入部して欲しいの、と言う卓ノ上先輩の目は心なしか輝いているような気がした。
「あの、先輩達は出来ないんですか?神の使いでしょう?」
「神様ほどは万能じゃないからな。それに俺達は戦闘専門。見分けは…お、噂をすれば」
後ろを振り返ると、すごく背の高い人影があった。普通の人かと思ったが、赤い顔のお面で顔の上半分を覆っている。
「先生!この子凄いんです!先生からも入部するように言ってください!」
「卓ノ上、また強引に連れてきたの?ごめんねぇ、うちの部長が…。」
ふにゃっとした口調で話し掛けられ、思わず顔が緩んでしまう。
「僕は顧問の天馬薫。君は確か新入生の立花さんだったよね。入学早々、ビックリしたよねぇ。」
口元しか見えないが、天馬先生は人の良さそうな笑みを浮かべている。上半分がお面な分、何となく怖い。
「…現在進行形でビックリしているんですが。」
「……え?」
天馬先生の口から笑みが消えた。
「香澄ちゃん。もう一度聞くけど、ミステリー研究会に入ってみる気はない?」
「……嫌ですよ、こんな被り物被った変態と兎のいる部活なんて!しかも先生までお面して!一人くらいまともな人は居ないんですか?」
私は平和で平凡な高校生活を送りたいだけなのだ。人間じゃない先輩を作りに松ヶ丘高校を受験したわけではない。
「…確かに、卓ノ上の言う通りだ。立花さんは凄いよ。」
「え?」
「そうですよね天馬先生!これでわかった?貴女はこの学校に必要なのよ?」
必要なのよ、という言葉にたじろぐ。
「卓ノ上、あまり追い詰めるようなことを言わないであげて。」
「むー…」
卓ノ上先輩はプイッとそっぽを向く。
「凄い凄いって……一体何が凄いんですか?」
「君の目だよ。ただの人間が妖の幻覚を見破るにはそれ相応の訓練をした上で、かなり集中しないと見破るのは難しいはずなんだ。それを君は普通に物を見るような感覚で可能にしてる。」
天馬先生はさっきのふにゃっとした喋り方とはうって変わって、真剣な声音で言った。
「つまり、どう言うことですか。」
「多分、先天的に幻覚を無効化する力の持ち主なのかもしれないね。日常生活を送るには基本的に問題はないから気付かなかったんだろうけど。」
突然特殊な能力を持っていると言われ、どうすれば良いのかわからず暫く俯いていると田中先輩に肩をポンポンと叩かれた。
「…なあ、マトモに見えればいいんだよな?先生、立花にあれ貸してやって下さい。」
「ああ、あれかぁ!」
男子生徒が促すと、天馬先生はポンと手を打って鞄から黒い眼鏡ケースを取り出して私に手渡した。
「眼鏡…?」
「それを掛けてこっちを見てみて。」
卓ノ上先輩の方を向いて銀色の縁の洒落た眼鏡を掛けると、目の前に今まで出会った中で一番の美女と言っても過言ではない程の見目麗しい女子生徒が現れた。
「え?」
正直、すごく可愛い。
「改めて、私が卓ノ上さやかよ。」
卓ノ上先輩は、優雅な仕草でお辞儀をした。艶やかな黒髪がさらさらと揺れる。
「え?え?」
「その眼鏡はどんな人間が掛けてもごく一般的な人間の視界を再現する神器よ。著しく視力が悪い人も、サバンナで豆粒のように見えるぐらい遠くにいる猛獣を見つけられる人も、これを掛ければ同じ見え方になるのよ。大事にしてね。」
見た目はよくある眼鏡なのに、そんな便利アイテムなのかと感心していると、田中先輩が私の肩にポンと手を置いた。
「と、いうことでよろしくな。」
「はい?」
確かに、私の目の前には黒髪の女子生徒と茶髪の男子生徒。そして、後ろにいるのは人の良い笑みを浮かべた若い教師。彼らがまともでないと言う方が難しいだろう。
「そういう事じゃ…」
「まあ座れよ。」
田中先輩は入り口に立っていた私を部屋の奥に導くと、椅子を引いて座るように促した。
「ご、ご丁寧にありがとうございます。」
「お茶をどうぞ。」
にこにこしながらティーカップを差し出す卓ノ上先輩にビビりつつも、紅茶を口に運ぶとアールグレイの良い香りがした。そして卓ノ上先輩がよそ見をしている隙に、田中先輩が私に「さやかを怒らせると怖いから、気を付けろよ?」と耳打ちした。
「それで、これからの事なんだけど…」
首をかしげると、卓ノ上先輩は机に身を乗り出してずいっと顔を近づけて言った。
「私達に協力してくれるかどうかって話。」
「えーと…もう少し考えさせてもらえませんか?先輩達が本当に私に危害を加えないとは限らないですし、人間でないのなら尚更よく考えないと。」
「それが良いと思うよ。卓ノ上、今日は家に帰してあげて。」
天馬先生が諫めると、卓ノ上先輩はぷうと頬を膨らませた。
「…まあ、いいわ。仕方無いから下まで私が送ってきます。さ、準備して。」
私の通学鞄を手に取り、手渡す動作はとても優雅で、思わず見とれてしまう。
「さ、行きましょう?」
可愛らしい笑顔でにっこりと微笑む卓ノ上先輩。
校門まで降りてきたところで、誰かが立っているのが見えた。袈裟を着ているような気がするが、気のせいだと思いたい。
「遅い。」
門に寄りかかって不機嫌そうな顔をしているのは私の兄、立花響介だった。
「響兄、どうしたの?」
「どうしたの、じゃねえよ!お前、今日は十一時半には終わるって言ってただろうが!全く、一時間半待ったんだぞ。」
思考を巡らせると、確かに、今朝家を出る前にそんなことをいったような気がした。
「まさか迎えに来ると思わなかったんだもん!迎えに来るなら言ってよね!」
私が不満を言うと、響介はうっという顔をした。そして話題を変えようとしたのか、私の後ろに居た卓ノ上先輩に声をかけた。
「妹の友達かな?」
「き、響兄、その人は…」
「卓ノ上さやかと申しますわ。」
卓ノ上先輩(今は眼鏡を外しているため、私には兎に見える)が言うと響介は目に見えてデレッとした顔になった。
「さやかちゃんかぁ。妹に付き合って遅くまで残らせちゃったのかな、ごめんねウチの妹が迷惑掛けて。」
「そんなことありません。むしろ私が話し込んで妹さんを帰さなかったのが悪いんです。」
しょんぼりとした声音の卓ノ上先輩。兎なのに猫を被っている。
「妹さんが早速部活動の見学に来て下さったので嬉しくなってしまって……。怒らないであげてくださいね。」
表情が目に見えてデレデレしだす響介。騙されているのに気づくのは私だけなんだろう。
「君がそんなに言うなら勿論怒らないよ、それよりこのあとお茶でもどう?奢るよ。」
住職でしかも二十四歳の癖に女子高生を軟派する生臭坊主。
「それじゃあ、また明日ね。香澄さん。」
卓ノ上さんはその場でくるりと向きを変える。すると机の部分がカタンと小さな音を立てた。
「…ん?」
音に気付いたのか、卓ノ上先輩の方を睨みつける響介。田中先輩は慌てて卓ノ上先輩の方に近づく。
「さやか、早く戻るぞ。」
田中先輩が卓ノ上先輩に助け船を出したが、それがどうやら裏目に出たようで、響介は卓ノ上先輩に掌を突き付ける。
「っ!」
「…驚いた、まさかあの可愛い女子高生が机に座った兎だなんてな。」
「さやかに触るな。」
卓ノ上先輩に触れようとした響介の手を払い除けて、田中先輩が二人の間に割って入る。
「おーおー、健気だねェ。」
「うるせぇ、切り捨てるぞ。」
被り物で顔は見えないが、田中先輩はかなり頭に来ていそうだ。その上響介か煽った為、今にも手が出そうな程に握り拳がわなわなと震えている。
「博樹、一般人と問題起こしたら追放されるわよ。」
「……わかったよ。」
卓ノ上先輩の静かな声に冷静さを取り戻した田中先輩は、卓ノ上先輩の斜め後ろに移動した。
「凄いわね今の。法力ってやつかしら?」
「まあそんなもんだ。はーあ、残念だよあんな美人がなあ。」
それで、と一度話を切ってから、真面目な顔をして卓ノ上さんに尋ねる。
「…お前、ここで何をしてる?」
「妖退治よ。私は弱った守り神様の代わりにここに遣わされた神獣なの。」
割りと公にするべきではなさそうな情報を簡単に公開する卓ノ上先輩。
「生憎、仏教徒なんでな。神とかは信じてないんだ。妹に何かあったら神獣だろうが何だろうがブッ飛ばすがな。」
それだけ言うと、響介は私のセーラー服の襟を掴んで引きずって行ってしまった。
家に帰り着くと、響介は私を部屋に呼んだ。
「…で、何で呼んだか解るよな?」
「重々承知です。」
私が正座して小さくなっていると、響介は警策を自分の掌にぱしぱしと打ちつけながら不機嫌そうに私に説教する。
「ったく、いいか?高校に行くのはいい、でもな、せめて人類の友達をつくってくれないか?」
「たまたまだって!」
私の主張にも響介は全く耳を貸してくれず、肩を警策でパシンと叩く始末。
「いった!何すんのもう!」
「人が多いところにはそれだけいろんなもんが居るんだよ。前から知っちゃいたが、お前結構そういうの呼びやすい体質なんだから気をつけろ。」
響介は曲がりなりにも私を心配してくれているみたいだ。
「…まあ、いいや。怪我だけはすんなよ。」
「う、うん。」
帰っていいぞ、と言われ、そそくさと部屋を後にする。
自分の部屋に着くと、今日の疲れがどっと出てきた。
「はあ…今日は色々あったなぁ。響兄も心配してるし、卓ノ上先輩とまた相談しよう。」
ベッドの上にごろんと寝っころがり、これからどうしたものかと考えるが、全く埒が明かない。
「怪我したりするのは嫌だし、でもこんな事中々経験できないかも…。」
卓ノ上先輩のきらきらした目を思い出す。やっぱりあんな先輩が居たらいいなあ、とは思う。
「ま、いっか。明日考えよう。」
布団に潜り、今日のところはひとまず眠りについた。
翌日、またあの小さな部屋を訪ねると、やはり卓ノ上先輩達はそこに居た。夢じゃないみたいだ。
「…あ、あのー…。」
「来てくれたのねっ!」
兎を載せた机がガタガタと私に襲いかかってくる。
「たっ、卓ノ上先輩、危ないですよ!」
「あら、ごめんなさいね。」
私は眼鏡をかけると鞄から一枚の紙を取り出した。
「これなんだと思います?」
紛れもない、入部届けだ。あとは判子を押すだけの。
「やっぱり考えてくれたの?」
「まあ、またとない機会ですし…考えてみようかなと、思いまして。」
私の言葉に、卓ノ上先輩は目を輝かせる。
「やったわねジャクソン!これも貴方のおかげよ!」
大はしゃぎで田中先輩の両手を掴んでブンブンと上下に振る卓ノ上先輩。
「ジャクソンは止めろって…」
田中先輩は卓ノ上さんに突然手を握られたからか、顔を真っ赤にしている。不満の声も段々小さくなっているみたいだ。
「ジャクソンはジャクソンよ!」
「は、恥ずかしいんだからな!廊下でもジャクソン何て呼びやがって!」
ジャクソンという呼称が広まって3年生の教室で田中先輩がジャクソンジャクソンと呼ばれている光景を想像してしまい、思わず吹き出してしまう。
「ターチーバーナー?」
「あはは、わ、笑ってないですよ?」
田中先輩は大袈裟に指の関節をポキポキと鳴らした。
「わわっ、ごめんなさい!」
「先輩を笑い者にするとは随分と生意気だな、全く。」
絶妙な力加減で頬をむにむにと引っ張られる。
「まあ、とにかく、貴女がその気になってくれてよかったわ。」
「あ、は、はい。」
卓ノ上先輩のふわりとした笑顔にドギマギする。そういう趣味は無いつもりだが、可愛らしい人の笑顔の威力はやはり高いなあとしみじみ実感した。
「それじゃ、明日から早速妖を」
と、卓ノ上先輩が口を開いたそのとき、閉まっていた部室の引き戸が勢いよく開き青ざめた顔の天馬先生が現れた。
「卓ノ上!大変だ!」
「早速ね。さ、行きましょう?先生、状況は?」
「生徒が十二名失踪した、まだ居場所はつかめていないけど、妖絡みじゃないかと踏んでる。」
天馬先生が何とかしろよと思ったが飲み込むことにした。
「さ、行きましょう。」
「は、はい!」
卓ノ上先輩に手を引かれながら、私は部室を後にした。
何の確証があるのかは知らないが、卓ノ上先輩は一直線に屋上へと駆け上がって行った。私と田中先輩も慌てて追いかけるが、卓ノ上先輩はものすごい速さで階段を駆け上がっていくため、追いつける気がしない。
「たっ、卓ノ上先輩ッ…あのっ、早すぎ、ますって!」
肩で息をしながら屋上の扉を開けると、卓ノ上先輩が一人で屋上に佇んでいた。
「な、なにも居ないじゃ、ないですか…。」
眼鏡を外して辺りを見回しても何も見えない事に不満を漏らすが、卓ノ上先輩は余裕の表情だ。
「フフン、私の『能力』を舐めないで貰えるかしら?香澄ちゃん、眼鏡外してしっかり見てなさいよ。先輩の勇姿をね。」
卓ノ上さんが自信満々に言った瞬間、学校を包み込むように黒い霧が立ち込めた。
「これが卓ノ上先輩の力、ですか?」
「『幸運』ね、正確に言えば。」
運任せだったのか、とガックリする。
「ま、手の内をベラベラ喋るような事はしないけど。…さ、化けてないで出てきなさい?『猫又』さん。」
「ばーれちゃったかにゃー?」
おどけた声をあげて黒い霧が一ヶ所に集まり、尻尾が二股に分かれた小さな黒猫が現れた。猫の周りには意識を失った生徒達が横たわっている。
「わ…可愛い。」
「はぁ?ただの猫だろ。」
「ミィが可愛い?当然にゃー。そっちの学ラン、後でミィの可愛さを正座で五時間語ってやるにゃ。」
猫又は可愛い猫なで声で私と田中先輩に語りかけ、ニコニコした顔で私達を見上げる。
「可愛いかどうかは置いといて、さっさと生徒達を解放しろ。どうせ呪いでもかけて動けなくしてるんだろ?」
「あとでおいしく食べようと思ってたのににゃー。猫からご飯を取り上げるだにゃんて酷いことするやつもいるもんにゃ。」
猫又はぐいーと体を伸ばす。一挙一動がこうも可愛いとは、やっぱり猫はいい。素晴らしい。
「悪いけど、ここで悪さはさせないわよ。」
「むうぅ……にゃんにゃのにゃもう……」
可愛らしい仕草で顔を洗う猫又。しばらくして顔を上げると血のような真っ赤な目で卓ノ上先輩を睨みつける。
「……それで、ミィのランチタイムを邪魔したオトシマエ、どう付けてくれるのかにゃ?」
可愛らしい子供のような声から一転して、ドスの利いた声に変わる。
「ひっ…!」
「猫又にはよくある手よ。落ち着いて。」
思わず声をあげる私に卓ノ上先輩は冷静にフォローを入れる。
「ミィは怒ってるのにゃー。」
「…それじゃあ、一つ勝負をしましょうか。」
卓ノ上先輩は落ち着いた声音で言うと、座っている机の引き出しから十円玉を一つ取り出した。
「この十円青銅貨を投げて、裏表を当てるなんてどう?シンプルな方がスリルがあって良いでしょう?」
「その程度のゲィムでミィが納得すると思ってるにゃ?」
猫又は尻尾をゆらゆらと揺らして、卓ノ上さんを睨みつける。
「答えはノォにゃ。」
「私に勝ったら、人間なんかよりもっとおいしいランチが食べられますよ、と言っても?」
猫又の耳がぴくん、と動いた。二股の尻尾が迷っているように左右にゆらゆらと揺れる。
「あーあ、神の使いを食べられるチャンスなんてそうそうないと思うんですけどねぇ?残念ですねぇー。」
卓ノ上先輩が大声で猫又に呼びかけると、猫又はじゅるりと涎を垂らした。
「其処までいうにゃらやってやらにゃい事もにゃい。ミィがかるーく捻ってあげるのにゃ。オマエみたいにゃひょろひょろ妖怪、赤子もどーぜんにゃのにゃ。」
「そう、それで良いんですよ…。」
卓ノ上先輩は自分の命を小さな硬貨に賭けると言ったのだ。とてもじゃないが正気とは思えない。
「た、卓ノ上先輩、自分の命は大事にしてくださいっ!」
「あー…を心配しているところ悪いが、さやかなら大丈夫だ。」
「え?」
田中先輩は面倒くさがるでもなく小声で私に説明してくれた。
「さやかの能力は『幸運を操る力』。要するに、能力を発動している時間だけ全ての出来事がすべて良いように転ぶっていう能力だ。まあ副作用はあるがな。」
「副作用?」
「『幸運』を使った分だけ『不運』が溜まって行くんだよ。そして溜まった『不運』は自分で清算することができない。」
「周りの人に降りかかるってことですか。」
まあ、そうだな、と言って田中先輩は頷く。
「さぁて、始めましょうか。三本先取で良いかしら?」
「把握したにゃ。猫又をにゃめないでにゃ?」
卓ノ上先輩は、器用に十円玉を投げると、てしっと前足で机に押さえつけた。
「あなたが決めて良いわよ。裏?表?」
「…『ウラ』にゃ。」
「オーケイ…残念、『表』ね。」
卓ノ上先輩が前足を退けると、平等院の面が見えた。表が出たということは、卓ノ上先輩が一本とったことになる。
「かわりばんこににゃげないと不公平にゃ。次はミィがやるにゃ。」
「当然、そのつもり。」
そして、猫又が十円玉を投げる前に卓ノ上先輩は口を開いた。
「私は『表』を宣言するわ。」
「ニャっ…?まあ、いいにゃ。」
ちゃりーんと音がして十円玉は転がり、数字の面、つまり裏を上にして止まった。猫又の一本。
「フフン、ミィが当たりにゃ。ミィに食べられる準備をしておくと良いのにゃ。」
「うふふ、まだ早いんじゃないかしら。」
そんなやり取りを私は遠くからはらはらしながら見ている。
「た、卓ノ上先輩、本当に大丈夫なんですよね…?」
「最悪、俺が斬る。」
物凄く物騒な物言いだが、確かにそうしてもらわないと困る。
「さ、次行きましょ。」
再び卓ノ上先輩は十円玉を投げあげる。
「『オモテ』、にゃ。」
今度は猫又がコインが机に落ちる前に宣言した。そして出たのは、表。
「大当たり、よかったですね。」
卓ノ上先輩が一本、猫又が二本取っている。次当てられたら卓ノ上先輩が猫又のランチになってしまう。
「先輩…!」
「……さやか。」
私は唾を飲み込み、田中先輩は内ポケットか取り出した柄だけの刀を構える。
「まだ、勝負は決まってないわよ。」
卓ノ上先輩は元気づけようと思ったのか、こちらを見て耳をパタパタと動かした。
「さ、次ね。」
「ミィの番にゃ。」
猫又がは十円玉をぽいっと投げ、てしっとコンクリートの床に押し付けた。
「さあ、選ぶにゃ。」
「迷うけど…『裏』にしましょう。」
「残念だにゃあ、『オモテ』だにゃ。」
猫又はニヤリと笑うが…私には猫が見せた十円玉に数字が見えた。
「待って、下さいっ!」
「お前まで邪魔をするのにゃ!?」
「わ、私にはっ………うっ、『裏にしか見えません』!」
猫又はぎくりと身を固くする。
「ううう、嘘吐くんにゃにゃい!にゃかまを庇おうとしてるのは見え見えだにゃ!」
「うるせえぞ糞猫。」
田中先輩が十円玉の近くに寄り、しゃがんで十円玉の表面を指の腹でなぞる。
「…確かに数字がある、これは『裏』だ。幻覚をイカサマに使うんなら触覚を騙せるレベルになってから出直すんだな。」
「うにゃにゃぬなんにゃにゃ~~~~!!!!」
猫又は尻尾をピンと立ててこちらを威嚇する。
「さやか、後は任せろ。」
柄だけの刀をを一振りすると、白銀の太刀が現れた。そして田中先輩は白銀の太刀を下段で構え猫又と対峙する。卓ノ上さんは私を連れて隅の方に走った。
「た、太刀なんて振り回して大丈夫なんですか?」
「大丈夫、あれは切れない太刀だから。」
「切れない?」
田中先輩が構えているのはどこからどう見てもとてもよく切れそうな太刀で、猫又に向けて振ったら最後、猫又がスライスされてしまいそうだ。
「ミィの邪魔するんにゃにゃい!あの嘘つきもろとも兎を食ってやらにゃきゃ気がすまにゃい!」
「済まなきゃ済まないで良いよ、めんどくさい…」
「ミィをにゃめるにゃーーーー!!!」
猫又がその場でくるりと宙返りをすると、二メートルはあろうかと言うほどの大きな黒猫に姿を変えた。
「また変身した!」
「猫又の特徴ね。齢を重ねる程様々な姿に化けられるようになっていくの。ただ、自分が元はなんだったのかを忘れてしまう猫又もいるって聞くわ。まあ、そこまで長生きできればの話だけど。」
なんとなく、猫又がかわいそうに思えてきた。
「的が大きくなっただけだろう。」
「ミィの事馬鹿に出来るのもここまでにゃ!」
猫又の巨大な猫パンチを、田中先輩は易々と受け止めて見せた。
「ニャっ!?」
田中先輩が猫パンチを受け止めたことに驚きを隠せないらしく、猫又は赤い目を見開いている。
「にゃんで!?」
「はーん、お前捨て猫か。」
田中先輩は易々と猫又の前足を退け、猫又に語りかけた。
「違っ……ミ、ミィは捨て猫にゃんかにゃ……!」
「捨てられて、元の飼い主のもとに戻りたかったのか。そーかそーか。」
「ぅにゃ……ちがう、ミィは捨てられてにゃんか!」
猫又は滅茶苦茶に田中先輩を引っ掻くが、軽々と避けられて当たらない。
「飼い主はウチの学校の3年生……俺のクラスの女子かよ、後味悪いな。」
田中先輩の言うことが図星なのか、猫又の動きがどんどん鈍くなっていく。田中先輩も、もはや猫とじゃれているだけにしか見えなくなってきた。完全に猫又を弄んでいる。
「どうして猫又の過去がわかったんですか?」
「ジャクソンの能力は、『心を読む力』。そしてあの太刀は『縁を切る太刀』。悪い縁や執着、怨念を断ちきらせることができるの。ただ、相手が執着していることや持っている縁を諦めないと切ることができない。だからああして心を読む必要があるって訳。」
卓ノ上先輩の話がちょうど終わる頃に、猫又がへたへたとその場にへたりこんだ。
「ミィは…ただゆかりちゃんとお喋りがしたかっただけにゃのにや……。でも喋れても、ゆかりちゃんはミィを忘れてしまったのにゃ……。」
「だったらその縁も未練も断ちきってやるよ。」
ヒュン、と持っていた刀で猫又を横薙ぎにする。毛皮が出来上がるかと思われたが、そんな事は無く、猫又は先ほどの尻尾が二股に分かれた子猫の姿に戻った。
なるほど、と思っていると、横たわった黒猫が起き上がり、辺りをキョロキョロと見回している。
「ふにゃ…ミィはにゃにを…。」
「おめでとう、あなたの中の悪いモノは消えたわ。もう、好きなところに行っていいのよ。」
黒猫は首をかしげていたが、やがてこくりと頷くと、卓ノ上先輩の机の脚に首をなすりつけた。
「あら?」
「良く、わからにゃいけど、ミィを助けてくれたのはあにゃたたちにゃんですよね?恩返ししたいのにゃー。」
田中先輩は大袈裟に溜息をついて「うぜえ…」と呟いた。
「だめかにゃ…にゃ!そこの人間さん!ミィを一緒に連れてってにゃ。」
赤い目をうるうるさせて私を見つめる猫又の可愛らしさに負けて、思わず頷いてしまった。
「やったやった!邪魔はしにゃいから、よろしくにゃ!」
ぴょん、と私の肩に飛び乗る黒猫に思わず顔をほころばせると、田中先輩はますます大きなため息を吐くのだった。
「たちばにゃ…かすみ?かすみっていうのにゃ?ミィはふぶきっていうにゃ。」
「ふぶきちゃんっていうの?よろしくね。」
ふぶきの頭を撫でていると、ふと兄の顔を思い出してしまい、おおきな溜息をついてしまった。
「うにゃ?どうしたのにゃ?かすみ?」
「ううん…なんでもない…。」
この話の元ネタは「たまたま見たものすごくリアルな夢」なんですよね。
夢の話を広げさせていただくと、まず卓ノ上さんにだけはっきりと沢城ボイスが当てられていたことと、響介さんがDAIGO似だったことが印象深いですね。まあ、香澄ちゃんが自己投影キャラってわけではありませんが…。他にも、香澄ちゃんのお友達とか出てきましたが、まあ割愛させていただきました。