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美王と美姫の結婚式の翌日から何度か凰士とデートを重ねているが、結婚の事には全く触れてこない。
そうだよねぇ、凰士だって、わかっているよね?バカだバカだと思っていたけど、そこまで考えなしではなかったのね。よかった、よかった。
「お隣さん、賑やかね。」
休日の朝、遅い朝食を摂っていると、外が騒がしい。
私はカリカリのトーストに噛み付きながら、前に座る母に視線を向けた。
「あぁ、征規くんが戻ってきたんですって。」
「まぁくんが?」
竜頭征規、私より四歳上の幼馴染。小学校の頃は、よく一緒に登校した。まぁくんが中学に上がってからは疎遠気味だったけど、会えば日常会話を交わすくらいの仲良し。お隣の優しいお兄さん的存在。
「確か、大学入学と同時にT県に行って、そっちで就職したんだよね?」
「こっちの支店に異動になったらしいわ。それも出世してね。確か、係長、課長だったかしら?それとも部長?」
「ふぅん。」
「まぁ、白雪にはあんまり関係ないな。凰士って、彼氏がいるんだから。」
「そんな事こそ関係ないでしょう。」
余分な事ばかり口にする吹雪を横目で睨み付け、コーヒーを啜る。
「あっ、そういえば、今日、お昼とお夕食はどうするの?食べるなら、早く申告してちょうだいね。」
「私、いらない。」
「俺も。」
「二人ともデートね。」
「普通の親は、そう確認する?」
「するわよ。で、吹雪の相手はどんな女性なの?白状しなさいよ。」
学生同士の友達が会話する口ぶり。
親がそういう態度でいいのかな?普通、心配とかしない?
「普通だよ、普通。」
「あっ、言われてみれば、吹雪の彼女って今まで見た事ないわね。どんな子なの?」
「見た事あるだろう、クローゼットの中から。」
「あっ、そうか。でも、よく見えなかったのよね。」
「だろうね。自分の事で忙しかったから、そんな余裕なかっただろうね。」
吹雪は唇に意地悪そうな笑みを零し、席を立った。
その時の事を思い出してしまった私は、無言を保ち、パンを口に放り込む。
「ちょっと、吹雪。御馳走様は?」
「御馳走様。じゃあ、俺、出掛けるから。」
「行ってらっしゃい。」
「子供はまだ早いぞ。」
お父さんが刺した止めに、吹雪は呆れた溜息を背中に貼り付け歩き出した。
その気持ち、わかるわ。さて、私も次の餌食になる前に、出掛けよう。
「御馳走様でした。私も行ってきます。」
「あら、凰士くんは迎えに来ないの?」
「うん。天気も良さそうだし散歩を兼ねて途中で待ち合わせ。」
「ふぅん。行ってらっしゃい。」
「子供はまだ早いぞ。」
お父さんが再び同じ事を繰り返し、私も呆れた溜息交じりに家を出る。
本当に天気が良くて、この間の嵐が嘘のよう。
「あれ?もしかして、白雪?」
道に出た途端、私を呼ぶ声。振り返ると、懐かしさを呼び起こす顔。
中肉中背で短い髪、きらりと光りそうな白い歯がやけに目立つ。
「もしかして、まぁくん。」
「この歳になって、まぁくんと呼ばれると思わなかったな。」
照れ臭そうに短い髪に触れ、苦笑を零す。
「あっ、ごめんなさい。でも、小さな頃からまぁくんだから、今更変更不可能。」
「変わってないな。」
瞳を細め微笑む表情は、子供の頃のまま。
「あっ、その顔。私を子供扱いする時の顔。」
「悪い、悪い。もう白雪も立派な大人だな。」
「まぁくんもね。」
「もうオジサンだよ。」
オジサンではないと思うが、ここは流そう。
「こっちに帰ってきたんでしょう?」
「あぁ、こんな季節外れの異動。」
「でも、出世だって。」
「その通りなんだけど。」
「もしかして、単身赴任?」
「おいおい。遠慮がないな。でも、残念ながら独身だよ。」
「それは失礼しました。ちなみに私も独身貴族。気楽よね。」
「確かに。」
「あっ、じゃあ、向こうに彼女を置いてきちゃったの?可哀想に。」
「しっかり振られてきました。」
「これまた失礼しました。」
小さくお辞儀をすると、笑い出すまぁくん。
「立ち話もなんだし、家に入らないか?これから出掛けるところか?」
「うん。残念だけど、またね。」
「あぁ、今度、食事でも行こう。あっ、彼氏に怒られるかな?」
「友達と食事に行くくらいで怒られたら、堪らないわ。そうでしょう。」
「確かに。じゃあ、今度。」
「うん、またね。」
まぁくんに見送られ、凰士と待ち合わせ場所まで歩く。と言っても、すぐそこの本屋さん。十五分と掛からないだろう。
吹き抜ける風が秋の薫りを含み、心地よい。
「白雪。」
本屋の入り口で大きく手を振る凰士の姿。
「おはよう。」
「おはよう。今日は良い天気だね。」
「そうね。さて、今の季節は秋です。凰士には何の秋?食欲?読書?芸術?スポーツ?」
「食欲がいいな。」
「同感。で、お昼は何にしようか?」
「朝ご飯、食べてないの?」
「ついさっき食べた。」
「じゃあ、少ししてから。散歩して、空腹になってから食べた方が美味しいよ。そう思わない?」
「散歩?」
「ショッピング。」
「賛成。」
「じゃあ、行こう。」
凰士の車に乗り込み、出発。
「ショッピングって、何を買うの?」
「前に頼んでおいたタイピンを取りに。」
「ふぅん。」
興味のない返事をして、凰士の横顔を見る。
何か企んでいる表情に見えるのは気のせい?
「頼むほど珍しいタイピンなの?」
「いや、普通。でも、オーダーだから。祖父の時代から頼んでいる所なんだ。」
「さすが白馬家ね。」
私達、庶民と違うのね。そう続きそうな言葉を飲み込んだ。
「付き合いだから仕方がなく。でも、職人が作るだけあって、細かい細工とか凄いね。」
「そうなんだ。」
こういう瞬間が嫌い。私の知らない凰士。白馬家のご子息の顔。
視線を逸らし、流れる景色に視線を向けた。胸が痛いよ。
「白雪?」
凰士の声と重なるタイミング、私のバッグの中で携帯の着信音。
「誰だろう?」
また邪魔者だろうかと携帯を見ると、普段電話なんてしてこない人物。
「誰?」
「吹雪。何だろう?」
通話を開くと、雑音交じりの賑やかな電話。
「もしもし、白雪?」
「どうしたの?」
「いや、あのさ。」
横から早くと急かす女性の声。
「今、何処?」
「車で移動中。」
「お昼、一緒にどう?」
「別にいいけど、珍しいね。」
「まぁ、たまには、な。」
「じゃあ、まだ、お昼、何にするか決めていないの。お昼近くに何処かで待ち合わせね。」
「じゃあ、十二時にショッピングセンター。」
「はい、はい。でも、どうしたの?」
電話口で一瞬口を噤む吹雪。
「あっ、えっ、あっ、そう、そう。俺の彼女、同級生なんだよ。それで、久しぶりに凰士に会いたいと言い出して、さ。」
「もしかして、凰士ファンクラブの会員だった子なの?」
「そうじゃないよ。」
「ふぅん。まぁ、いいけど。」
「じゃあ、そういう事で。」
吹雪が肩の荷が下りた口調で、急いで電話を切る。
一体何なの?
「吹雪、何だって?」
「お昼一緒にしようって。」
「ふぅん。珍しい事もあるね。」
「彼女が同級生だからとか何とか。」
「同級生?」
凰士は吹雪の恋人を知らないらしい。
「まぁ、行けばわかるね。」
「そうだね。さて、そろそろ、着くよ。」
「うん。」
凰士が車を止めたのは、お洒落な喫茶店みたいなお店。どう見てもタイピンとかありそうにない感じなんだけど。でも、店内に入ると、宝石が並び、どれも高そう。
「いらっしゃいませ。」
「こんにちは。」
「この間のピンですね。出来上がっております。いつもありがとうございます。」
スレンダーな女性が接客に立つ。
「こちらへどうぞ。」
木製のテーブルに誘われ、凰士と並んで腰掛ける。すぐにコーヒーが出てきた。湯気に交じって薫るコーヒーは、カフェより美味しそう。
「素敵な恋人ですね、凰士さん。」
「はい、ありがとうございます。」
目尻を下げ、本当に嬉しそうに笑う凰士は、お世辞だとわからないのだろうか?恋は盲目って、凰士のための言葉かも。
「姫野白雪と言います。」
「あら、お名前も素敵ね。ねぇ、白雪さん。私が作った新作の指輪があるの。少し嵌めてみてもらってもいいかしら?」
「えっ?」
急に振られて、唖然とする私。
ただ、隣で珈琲を飲んでいればいいんじゃないの?
「出来たばかりで、誰も嵌めていないの。白雪さんみたいに綺麗な指の人が嵌めた所を見たいの。ダメかしら?」
「私の指、綺麗なんかじゃ…。」
「ほら、見て。私の指。傷だらけなのよ。未だ新米で、毎日師匠に怒られているの。ねぇ、お願い。」
「じゃあ…。」
彼女は奥から小さなジュエリーケースを持ってきた。
「これね、アレキサンドライトと言って、光の当たり方で色が変わるの。豪華な作りの指輪が多いから、普段使いの物ってなかなかないの。で、私はそこに目を付けた。」
説明しながら、私の左手を取り、薬指に嵌める。ピッタリと指に填まる。
「胸元に手を翳して。」
「こうですか?」
鏡を私に向け、にっこりと笑みを零す彼女。凰士は横で微笑みながら見つめている。
「よく似合うわ。」
「うん、さすが、白雪だ。」
「そう?」
鏡の中の自分の指を見つめる。宝石が台に引き立てられている。輝きが綺麗。
「ありがとう、白雪さん。これで完成よ。」
「お役に立てて、よかったです。」
「晶子さん、これ、売ってもらえません?」
「凰士さん?」
「こんなに白雪に似合うんだから。」
「それは構わないけど。いいの?」
「凰士ぃ。」
こんな高そうな指輪を買ってもらえない。私は無言で首を振った。
「恋人に指輪を買うのって、普通ですよね。晶子さん。」
「それはそうかもしれないけど。」
「白雪の男避け。」
凰士は子供みたいな笑みを零し、私に真っ直ぐに視線を向ける。
「でも…。」
「ここまで凰士さんが言ってくれているんだから、甘えちゃえば。」
彼女、晶子さんがウインクする。
でも、そうは言っても高いでしょう、これ。
「新米の私が作った物だし、凰士さんのお宅はご贔屓さんだし、特別ご奉仕するわ。その代わり、もし、また、凰士さんに指輪を買ってもらう事になったら、私に作らせて。それを約束してくれれば、特別価格。」
「でも、そんな…。」
「大丈夫。師匠というか店主は、私の父だし、わかってくれるからね。」
「聞こえているわ。」
奥から白髪のいかにも職人の男性登場。
「いらっしゃい。」
「こんにちは。」
「特別価格なんて、言えないだろう。未だ殻も取れないようなひよっこがお客様からお金を頂こうなんて、図々しいにも程がある。材料費だけでお譲りしなさい。」
「さすが、お父さん。」
唖然とする私の目の前で、そんな遣り取りが交わされ、買う事は決定された。左薬指には指輪が輝き、カードで支払いを済ませた凰士の手にその左手が握られている。
「ありがとうございました。」
店主と晶子さんに見送られ、凰士の車に。
「あの、凰士。」
「気にする事ないよ。俺が白雪に送りたかったんだし、値段もそう高いものじゃないから。あぁ、店の心配をしているなら平気だよ。この間の美姫と美王の結婚指輪や婚約指輪、他にも結構儲けているんだからさ。」
「でも、誕生日でも何でもないのに。」
「気にしない、気にしない。」
凰士は前を向いたまま、微笑む。
やっぱり、資産家の白馬家の跡取りさんは、私達と違うのかな?なんて、思ってしまう。カードで払ったから金額知らないけど。絶対に高い。ひょいと買える金額じゃないはず。
あぁ、でも、この指輪、本当に素敵。
「ありがとう、凰士。」
「白雪が喜んでくれるのが、一番嬉しい。」
嬉しくて、何度も手を翳し、指輪を見つめてにやけてしまう。
その隣で、満足そうに微笑む凰士。何か企んでいるの?