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 その週末は家に閉じ籠り、ずっと考え事をしていた。前からぼんやり考えていたけど、実行する勇気がなかった。

でも、もうこれしか手段がない。きっと、これを実行したら、未練がましい私でもあきらめが付くだろう。凰士も、わかってくれる。


「おはようございます。」

 月曜日の朝、大きく深呼吸をしてから事務所に入った。いつもと変わらない光景。

「おはよう、白雪。」

「おはよう。」

 美人と沙菜恵、凰士の三人で何か話をしていた。多分、良からぬ事を考えているんだろうけど、もう関係ない。

「白雪、彼氏が出来たんだって?」

 美人がわざとらしい問い掛け。

「えぇ。」

 短く返事をして、パソコンを立ち上げる。もう誰とも話をしたくない。

「どういう人なの?」

「そうよ。友達でしょう。話してくれてもいいんじゃない?」

「普通の人よ。」

「それじゃ、わかんないじゃない。」

「どうせ、吹雪から裏が取れているんでしょう。わざとらしく知らないフリをしなくてもいいわよ。」

「白雪?」

「白馬くんにも駅前で会ったし、詳しく聞きたいのなら、吹雪と白馬くんに聞けば?」

 棘だらけの言葉だ。

悪いと思うが、私にはこれが精一杯なんだよ。ごめんね。

「今日の白雪、機嫌が悪いわね。もしかして、彼氏と喧嘩しちゃった?」

 それでもおどけた表情で話し掛ける二人。

ねぇ、本当にしばらく放っておいてよ。もう、限界なの。

「ちょっとごめんね。」

 私は席を立ち、お手洗いに向かった。

少しでも気を緩めたら、涙が零れ落ちてしまいそう。胸が痛くて、呼吸が苦しい。

「大丈夫。」

 自分を宥めるように声を出し、大きく深呼吸。鏡に映った自分に笑いかける。

「よし。」

 腕時計を覗き込むと、チャイムが鳴る一分前。事務所にゆっくり歩き出す。到着と同時にチャイムが鳴り響く。部長の長い話を聞くために、ドアに近い場所に立った。いつもの場所には沙菜恵と美人、凰士が立っている。今まで一度として、なかったよね?こんな風に遠くから見る事。

「では、今日も一日頑張りましょう。」

 部長の声で、それぞれが自分の席に戻る。私はそのまま部長の元に歩み寄った。

鼓動が早いが、気にする事はない。ヘンな緊張も一瞬だけだ。

「おはようございます。」

「おはよう。どうかしましたか?」

「これを受理してください。」

 私はポケットに忍ばせておいた退職願を部長の前に差し出した。

「姫野くん?」

「お願いします。」

「ちょ、ちょっとこっちで話をしよう。」

 部長は慌てた様子で、応接室を指差す。

最初からこんな行動はわかっていた。覚悟は出来ています。

「この事を凰士さんは知っているのか?」

 向かい合いにソファーに座る。部長は、身を乗り出すように座り、テーブルの前で手を握っている。

「白馬くんとは何の関係もありません。私の意志です。」

「しかし…。」

 部長が口篭る気持ちはわかる。

でも、もう、何の関係もない。私から切ったんだから。

「お願いします。」

 私は深く頭を下げた。しばらく、沈黙が流れる。

「とりあえず、お預かりします。でも、受理したわけではない。上の者の承認が得られないと、受理とは言えませんからね。」

「どの位、掛かりますか?」

「通常ですと、一週間ですが…。」

「じゃあ、明日から一週間、お休みを貰えますか?有給じゃなくても欠勤でも構いません。お願いします。」

「わかりました。有給を出しなさい。その代わり、退職の理由を話してもらえないと、私も上に説明出来ません。」

 理由、か。聞かれるのは覚悟していた。だけど、正直に本当の事を話す訳にはいかない。あんまりに情けないじゃない?

「他に、やりたい事があるんです。だから、退職を望んでいます。」

「凰士さんと関係ないのですか?」

「関係、ないです。」

 部長は諦めたように溜息を零し、苦笑を浮かべた。

「わかりました。そう言い張るのなら、そういう事にしておきましょう。」

「ありがとうございます。」

「今日は大丈夫ですね?」

「はい。退職前に整理しなければいけない事もありますので、事務所に残る事を許してください。」

「わかりました。凰士さんと相談して、業務を行ってください。」

「はい。じゃあ、失礼します。」

 立ち上がり、応接室を後にした。自然に大きな溜息が零れるが、少しだけ気持ちが軽くなっている。

「白馬くん。」

 パソコンの画面を見ていた凰士が顔を上げ、にっこりと笑みを浮かべた。

「今日は悪いんだけど、外回り、一人でお願いします。それと、私、明日から一週間、お休みを頂きます。よろしくお願いします。」

「一週間も?」

「えぇ、ちょっと用があるので。」

「そう。」

 短く返事をして、視線を落とした。何を考えているのだろう。

「ゆっくり休んで。じゃあ、今日は一人で行ってくるね。」

「ありがとう。」

 凰士の背中を見送って、パソコンを開いた。遣り残していた書類を作成し、プリントアウトして、凰士のデスクの上に重ねておく。それから、引継ぎの資料作成に取り掛かった。

お昼もそのままデスクに噛り付いていた。美人と沙菜恵からお昼の誘いも断って。凰士は何も言って来ない。やっと、わかってくれたと思い込み、仕事に専念した。

それでいい。これでいいんだと何度も自分に言い聞かせながら。本当に未練多らしい私。

「お疲れ様でした。」

 定時間が来ると、一人さっさと席を立った。引き留めようとする三人を無言のまま、拒否して。

会社の外に出ると、やっと呼吸がラクになる。深呼吸して、駅に歩き出す。

「白雪様。」

 何処かで聞いた、聞き慣れない呼び方。一瞬だけ迷ったが、誰なのか、わかった。

大上(おおかみ)さん、こんにちは。」

 大上さん、白馬家の執事で凰士の教育係。小さな頃、よく凰士に引き摺られ、凰士の家に遊びに行ってから、何かと優しくしてくれる紳士的な人だ。

「こんにちは。」

「白馬くんなら、未だ会社にいますよ。」

「いえ、今日は坊ちゃんではなく、白雪様とお話がしたくて、お待ちしておりました。」

「私?」

「えぇ、出来れば、お時間頂けませんか?」

「大上さんの頼みなら、邪険に出来ないわ。」

「よかった。じゃあ、どうぞ。」

 いつも大上さんが凰士を乗せている高級車じゃない。大衆車のセダン。

「あのぉ。」

「あっ、すみません。今日は、私の車なのです。プライベートで来ていますので。」

「あぁ、そうなの。」

 その言葉を聞き、私はいつもの後部座席じゃなく、助手席を選んだ。

「助手席の方が話し易いでしょう。」

「お気遣いありがとうございます。」

 少しだけ微笑み、車を発進させた。

「あの、白雪様。」

「何ですか?」

「おくには、こんな事をするのは、間違っている。当人同士の問題だと言われました。でも、私、坊ちゃんの事を自分の息子以上に思っていまして、居ても立ってもいられずに、こんな行動を起こしているんです。だから、坊ちゃんは、この事を知りません。」

「わかった、誰にも言わないわ。」

「ありがとうございます。」

 こんな戸惑いを隠せない大上さんを見るのは、初めてだった。小学生だった凰士が、私を家に連れて行って、『この人に片想いしている。でも、絶対に結婚するから。僕、そう決めたんだ。』そう言い放った時でさえ、優しい笑みを浮かべていたのに。他にも色々あったが、その全てを紳士的にこなしてきた。

「坊ちゃんが白雪様にプロポーズを断られ、別れを言われた事も聞きました。私だけに打ち明けてくれました。なので、旦那様や奥様は何も知りません。」

「そうなの。」

「あっ、もちろん、坊ちゃんだけを保護しようとか思っておりません。白雪様の気持ちも多少なりともわかっているつもりです。」

「そう、ありがとう。」

 そう、大上さんは昔から平等だった。私にも凰士にも、もちろん吹雪にも。

「でも、少しだけ坊ちゃんの事を弁護させてください。」

「弁護、ね。」

 自虐的な笑みを浮かべた。例え、それを聞いても多分何も変わらない。

「大上さんの頼みなら仕方がないわね。もう、色んな人から聞いているんだけど。美王や美姫まで凰士の弁護よ。」

「美王様や美姫様まで。そうですか。皆さん、余程、坊ちゃんと白雪様に別れて欲しくないんですね。」

「さぁ?面白がっている所もあるんじゃないかしら?」

 溜息混じりに言葉を吐き出した。

「坊ちゃんは、白雪様と出会う前まで、お友達をお家に招くという事をした事がありません。いえ、お友達さえいらっしゃらなかったのです。あのような容姿ですので、女性の方は自然に回りに集まってきます。そのせいでしょうね、同性のお友達が作れないのです。小さな頃は女性が集まってくる事に、少し大きくなると白馬家の事もわかるようになり、嫉妬の対象、お友達ではないと見なされたんでしょうね。その坊ちゃんの始めてのお友達が吹雪さんです。」

「そうなの。吹雪って、そういうのをあんまり気にしない所があるわね。」

「でも、お家にいらっしゃる事はありませんでした。怖かったんだと思います。大き過ぎるお屋敷を見られたら、他の人と同じように、お友達ではなくなってしまうと。吹雪さんは本当に気にしていらっしゃらないみたいでしたけど。そして、すぐに出会ったのが、白雪様です。他の女性と違い、白馬凰士として、一人の人間として、見てくれたのが、とても嬉しかったと仰っております。」

「知らなかったし、別に何とも思っていなかったのよ。ただ、格好良い子だなって。だって、そうでしょう?吹雪の友達だもん。別に何も感じなくても不思議はないでしょ?」

「そんな白雪様を感じ取ったんです。余計なしがらみを気にしない綺麗な心を、です。」

 何と返事をしたらいいんだろう?ここで頷くのもおかしいし、首を横に振っても意味を成さないだろう。

「だから、坊ちゃんは白雪様を好きになったのです。白雪様の綺麗な心に惹かれたのです。それから、少しずつ大きくなり、坊ちゃんの回りに女性が多くなりました。でも、皆さんが容姿の良い白馬家の跡取り息子、その眼鏡をかけていました。坊ちゃんは、白雪様の綺麗なお心に、ますます惹かれ、白雪様以外はいないと心に決めたのです。」

「そんな大層な心じゃないわよ。ただ、他の女性より鈍感なだけだと思うわよ。」

 完全に美化していないか?私を。

「多分、坊ちゃんは、このまま、白雪様とお別れになったら、一生、結婚なさいません。他の女性とお付き合いする事もされないと思います。」

「そうかしら?良い家のお嬢様なら、白馬家の跡取りだという眼鏡は外れているはずだわ。だって、自分が似たような環境で育っているんですもの。」

「いいえ、違います。そういうお嬢様こそ、その眼鏡のレンズは厚いのです。自分がお嬢様だと理解している人ほど、自分に見合った財産、地位を持つ男性を求めるのです。」

「そうなの?」

 頷いたけど、ちょっと動揺している。

「勝手なお願いなのは理解しております。どうぞ、凰士様を受け入れてください。」

「大上さん…。」

「白雪様が不安に思っている事も理解しております。白馬家の様な資産家に嫁ぐ、どれだけの重荷に思うか、と。でも、坊ちゃんなら、全力で白雪様をお守りいたします。もちろん、旦那様と奥様も白雪様が坊ちゃんのお相手になってくださるのを心よりお待ちしております。もちろん、私達も出来る限りの事をさせていただくつもりです。お願いします。白雪様、坊ちゃんを受け入れてください。」

 大上さんの必死な姿、凄く痛い。

「私の気持ちは聞かないのね?私の気持ちが、凰士から離れたのかもしれないでしょう?そう考えないの?」

「考えられません。白雪様は、坊ちゃんを愛していらっしゃいます。言葉にはしなくても全身でおっしゃっております。」

「本当に大上さんには参っちゃうわね。」

 呆れた溜息。どうして、こうも見透かされているんだろう。でも、嫌味じゃない。素直に自分を曝け出してしまいそう。昔からそうだったよね。

「ちょっとだけ傾いた。でも、大上さんの気持ちに応えるのはムリみたい。だって、凰士の重荷になりたくないもの。大上さんも知っているでしょう。凰士、小さな頃、勉強机に向かっただけで吐き気を覚えるほど、勉強嫌いだったじゃない。」

「白雪様のお陰で、治りましたが。」

「それも凰士の努力よ。でもね、それが辛いのよ。凰士ってば、今も一生懸命勉強している。白馬家の跡取りとして、会社の事とか政治経済の事とか。昔からは想像出来ないでしょう。新聞を隅から隅まで読む凰士なんて。でも、今は日課なのよ。こんな風に努力を重ねているの。私、そんな凰士の重荷になりたくないの。凰士には、今の凰士のままでいて欲しい。私のせいで余計な苦労を背負い込み、疲れた凰士の顔なんて見たくない。」

「白雪様…。」

「だから、今は辛くても別れる事にしたの。凰士なら素敵な自分に見合う女性を見つけられると思うもの。」

「ありがとうございます。でも、白雪様。もう少し、坊ちゃんを信じてください。坊ちゃんは、白雪様の事を重荷や余計な苦労とは絶対に思いません。何故なら、白雪様を支えたいために強くなったのです。白雪様のお力になりたいと努力を重ねているのです。まして、白雪様のせいで疲れた顔をするなんて、あり得ないでしょうね。白雪様がいてくだされば、坊ちゃんは反対に力が漲るんです。頑張れるのですよ。坊ちゃんは白雪様を支えにしていらっしゃる。」

「私が、凰士の支え?」

「そうです。心の支えです。坊ちゃんの口癖です。勉強やスポーツが辛くなると、白雪様も頑張っているんだからと、言い聞かせ、自分を奮い立たせるんですよ。」

「凰士が?」

「えぇ。だから、今までもこれからも頑張れるのです。分かっていただけますか?」

 大上さんは、やっぱり違う。他の誰よりも私の心を揺さぶるのが上手い。

「少し、考えてみます。」

「ありがとうございます。その言葉を聞けただけで、嬉しいです。」

「大上さんには負けるわね。誰よりも上手だわ。人生経験かしら?」

「愛です。」

 そう言い切った大上さんの笑顔に笑った。



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