12
凰士と別れて、一ヶ月が過ぎ去った。その間、どうにか復縁させようとする吹雪や沙菜恵達の煩い攻撃をかわしながら、神経をすり減らしている。でも、大分、凰士といない時間にも慣れてきた。その代わり、週末毎にまぁくんがドライブに誘ってくれる。それが息抜き。本当にありがたい。
「白雪。」
金曜日の夜。風が冷たくて、早足で歩き始めた。さっさと家に逃げ帰ろうと。それなのに、それを邪魔する声。
「あっ、まぁくん。」
振り返ると、まぁくんの姿。こちらに小走りで向かってくる。
「あれ?車で通っているんじゃないの?」
「今日は一ヶ月点検で、ディーラーに通院中。なので、電車通勤。休日は、白雪とのデートに使うからね。」
「お気使い、ありがとう。」
「どうだ?これから食事でも。駅前で会うのは久しぶりだからね。」
「うん、いいよ。」
並んで歩き出す。
触れるか触れないかの距離。それが心地良い。
「何にする?」
「うぅん。まぁくんに任せるよ。」
「そうだな。たまには居酒屋なんてどうだ?車だと行かない場所だし。」
「うん。」
金曜日の夜とあって、どの店も混雑している。待つほどではないと、何件かの店を通り過ぎた。空いている店を探し、駅横の呑み屋街を歩いていたが、また駅に戻ってきてしまった。
「どうしようか?」
「居酒屋は諦めよう。途中にあるファミレスで我慢しよう。デザートもあるし。」
「そうだね。」
歩き出そうとすると丁度電車が着いたらしく、たくさんの人が駅から排出される。
「白雪。」
駅に背を向けた途端、呼ばれる声。振り返らなくても誰なのか、わかる。小さく息を吐き出してから、振り返った。
「あっ、白馬くん。偶然ね。」
上手に笑えたはずだ。
そう。最近、私は凰士と呼べなくなった。白馬くんと余所余所しい言い方が精一杯だから。
「吹雪と落ち合う約束しているんだ。」
「そうなんだ。」
凰士の視線が隣に立つまぁくんに向けられているのがわかる。
「あっ、紹介するね。私の、幼馴染で、彼氏の、竜頭征規さん。こっちはね、吹雪と同級生で一緒に働いている白馬凰士くん。」
「彼氏?」
凰士の声が震えている。
どれほど残酷な嘘を付いているのか、わかっている。でも、こうでもしないと、凰士、前に進めないでしょう?だから、そんな顔しないで。
「じゃあね。」
まぁくんの腕に私の腕を絡め、歩き出した。
凰士の顔を見ているのは限界だったし、振り返る勇気もない。きっと、泣きそうな顔しているんだよね。
「白雪。」
駅が見えなくなると、まぁくんが立ち止まる。震えていた指先がやっと落ち着いていた。
「ごめんなさい。あんな嘘、ついて。でも、そうじゃないと、彼、わかってくれないから。」
「嘘じゃなくてもいいんだよ。」
「まぁくん?」
「付き合おうよ。嘘を本当に変えよう。」
ここで首を横に振る事は出来なかった。
今まで、どれだけまぁくんに救ってもらっただろう。何度励ましてもらっただろう。
「いいの?」
「それを聞きたいのは俺の方。」
まぁくんの瞳を見られない。
でも、きっと、まぁくんと一緒にいられたら、私、笑っていられる。
もしかして、運命の赤い糸って、ここに繋がっているのかもしれない。
「うん。」
声を出して頷いたつもりなのに、掠れて音にならない。
「証拠、見せてくれる?」
「証拠?」
「ホテルに行こう。」
「えっ?」
「付き合うなら、身体の関係が生じても当たり前だろう。」
ただ、頷いた。胸が痛い。
でも、これでいいんだよね?まぁくんなら、平気。それに、何でもない事だよね?
「じゃあ、行こう。」
呑み屋街を一本裏路地に入ると、ピンクのネオンが輝く。その路地を更に奥に進むと、数件ホテルが並んでいる。まぁくんの手をきつく握り締めたまま、歩いた。
「ここでいいよな?」
声を出したら、震えてしまいそうで、無言のまま、頷く。少しだけ微笑み、そのまま、中に付いていく。大きな部屋の写真が並ぶパネルには空室が目立つ。まぁくんが適当に選び、鍵を受け取り、エレベーターに乗り込んだ。緊張で喉がからからになっている。
「白雪。」
ドアを閉めた途端、後ろから抱き締められた。
身体がびくっと反応し、それだけで凰士じゃないと訴えているみたい。
「あの、シャワー、浴びてくる。」
「後でいいよ。」
短く耳元で囁き、ベッドに導かれていく。心臓が壊れたみたいに早く脈打っている。ふわっとベッドに身体が横たわり、まぁくんの顔が近付いてくる。きつく瞳を閉じ、そのぬくもりを受け入れた。
違う、違う。凰士じゃない。どうして?凰士を求めるの?自分で別れを決めたんじゃない。
心の中で葛藤が始まっている。
眉間に皺が寄るほど瞼を閉じ、考えを消し去ろうと、まぁくんのぬくもりだけを求めようとしていた。
「そんなに緊張しなくてもいいだろう。」
耳元で笑みを含んだ声を聞きながら、唇を噛んだ。まぁくんの手が、素早くシャツのボタンを外し、下着に掛かっている。ひやっとした空気が素肌に触れ、一瞬の震えの後、大きな手が胸を包み込んだ。
「白雪って、着痩せするんだな。」
耳元にあった唇が胸に触れる。
その瞬間、私の中で何かが弾け飛んだ。
「ヤダ、ヤダァ。止めて、お願い、止めて。怖い、怖いよぉ。凰士ぃ。」
涙と共に零れ落ちた言葉。自分の口から出たはずなのに、呆然とした。
「白雪。」
まぁくんが溜息混じりに声を吐き出し、私の横に身体を投げ出した。
「本当に世話の掛かるヤツだよ。もう少し遅かったら、本気で襲っていたぞ。」
「まぁくん?」
ゆっくり顔を横に向けた。涙が頬を伝い、ベッドに落ちる。
「白雪さ、お前、自分でわかっていないだろう。アイツに会った時の自分の視線。明らかに好きで好きで仕方がないって、訴えていたぞ。それなのに、あんな事を言っても、嘘だってバレている。好きなら、全て投げ捨ててでも飛び込んでしまえよ。きっと、アイツなら、受け止めてくれる。白雪を守ってくれるはずだよ。」
「まぁくん…。」
「まぁ、白馬の跡取り息子だから、色々あると思うけど、そんな事を跳ね除けるだけの力はあるはずだよ。いや、白雪のためなら、どんな事でも遣って退けるだろうな、アイツなら。だから、白雪も不安もあると思うけど、自分の気持ちに素直になれよ。」
何度もそう思った。でも、怖かった。
ねぇ、本当に凰士は私を受け止めてくれる?私、凰士の重荷になったりしない?
「白雪、これだけ俺を振り回したんだ。絶対にアイツと幸せになれよ。」
「でも…。」
「大丈夫だって。一歩踏み出せば、どうにでもなる。怖がるなよ。」
「ありがとう。」
諦め顔で微笑み、私の髪を撫ぜてくれる。
「泣き虫。あのさ、一つだけお願いがあるんだけど。早く服を直してくれないかな?そうじゃないと今度こそ本気で襲うよ。」
「えっ、あっ、ごめん。」
背中を向け、身支度を整える。
こんなところにもまぁくんの優しさがあるんだよね。
「復縁して、落ち着いたら、俺に素敵な女性を紹介してくれよ。なっ。それでチャラにしてやるよ。」
「ごめんなさい。」
「気にするなって。これもお兄ちゃんの役目だと諦めるさ。」
私の髪をぐしゃぐしゃにしながら、微笑む。
ダメだね、まぁくんの優しさに甘えてばかりで。もっと、強くならなくちゃ。
まぁくんの言葉、凄く心に沁みる。でも…。




