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「じゃあ制作ソフト、ダウンロードしてるね」
立ち上げたパソコンを見つめて言う火也の言葉を背に感じながら、水城は部屋を出た。
出向きたくないから自分の家を活動場所とする案は我ながら優秀だと思っていたが、誰かを家へあげるということはそれなりの持て成しをしなければならないという意味になる。出向かなくて良いのは楽。しかし持て成すということも、これはこれで面倒だ。結局、どちらを選んでもプラスマイナスゼロだった
水城はキッチンへ行くと冷蔵庫を開けた。とりあえず飲み物と何か茶菓子になるようなものが必要だ。まあ飲み物は緑茶でいいとして、茶菓子は何にすべきか。水城はきょろきょろと辺りを見渡した。
「……リンゴ、でいいか」
赤色のリンゴを水城は手に取って洗うと、包丁を素早くその実を二等分にした。真っ二つになったリンゴを見つめて水城はふと思う。
こんなふうに誰かを家へ招いたのはいつぶりだろう。自慢にもならないが、一人でいることを平気とする水城は頻繁に誰かを家へ招くことはない。何度か招いたこともあるが、それは小学生の頃の話。それ以降は特にないかもしれない。中学生の頃も適当な友人グループと一緒にいたこともあったが、友人と遊ぶよりはノートを広げ、その上に鉛筆を走らせる方が水城にとって有意義な時間だった。
そんな水城を周囲は近寄りがたい人と呼んだが、そんなこと気にもならなかった。自分が好きなこと。それができればいい。いつも水城の中はそれだけ。そしてその状態は今もなお続いている。
「できた」
水城はリンゴを剥き終えて皿に盛りつけた。そして緑茶を入れた湯呑を三つと皿に盛ったリンゴをお盆の上へと並べ、設けられている自分の部屋へと続く階段を上った。
「おい、茶……」
半開きのドアを足で開けて部屋の中へ入ると、椅子に座ったままパソコンと向き合っている火也とその横で立ったままパソコンを覗きこんでいる日野が同時に振り返って「ありがとう」と口を合わせた。
息ぴったりな言動が面白い。水城は近くの机へとお盆を下ろして、その場へと腰を下ろした。二人よりも少し低い場所からパソコンを見つめると、画面はすでに何かよく分からない説明のようなものが表示されていた。
近くで見ようかと思ったが、見たところでどうせ意味が分からないので、水城は違うことでもしていようとノートを机の上へと広げる。
意味不明な文字に頭をひねらせるよりは物語の内容を考える方が断然良い。
「じゃあ、これはどういう意味なの?」
「あ、それはね」
パソコン画面を指差して訊く日野とその質問に対して丁寧に答える火也を横目で流して、水城は鉛筆を握った。
すらすらとノートの上を踊る鉛筆が愛らしくて、ついつい余計なメモをページの端に残しながらも文字を連ねていく。
基本、水城は登場人物と舞台以外は深く決めない。その他の設定は書いている途中で、増やしていく。本来、物語にはプロットというもの――物語の構成を立てておく作業――がある。長編物語などにはよく必要とされていて、長い話の中、大きく話がそれたりしないように物語の軸を決めてしまう作業だ。でもこれは必ず必要とされるものではなく、長編小説でも書く人、書かない人といる。
水城はその後者に入る。書かないことに特段意味はない。あえて意味を作るなら昔からの習慣、それがしっくりとくる。
水城は一文字、また一文字と増えていく文字へ視線を注いだ。
この作品をお披露目するのは仮入部、つまり春の学校。舞台は春の学園で決まりだ。春、学校、恋愛。この三つのキーワードはきっと高校生という年頃の興味をそれなりに惹くことができるだろう。ただ問題なことが一つ。女性向けというフレーズ。
どこをどうすれば女性向けになるのか分からない。正直、読書対象を考えたことはなかった。好きで書いているだけといっても過言でない彼にとって、そんなもの頭の片隅にすらない。小説は自分の心を満たすもの。確かに誰かが読んでくれて感想をくれたら嬉しいとは思う。でもそれだけ。
水城の手がページの半分をうめたところで止まる。
「この先をどうするか……」
独り言を呟いたつもりだったが、水城の声はパソコンを見つめていた二人にしっかりと聞こえていたようで、互いの視線が繋がった。
「井岡君、もうシナリオ書いてるの?」
興味深そうに日野が水城の横へと座り、ノートを覗きこもうとする。長く伸びている髪が頬にあたって鬱陶しい。水城は腕で日野を押し避ける。
「邪魔すんなよ、……近いし」
「ちょっとくらい良いでしょ。せっかくなんだもの、見せて」
本当に邪魔だ。水城は眉間に皺を寄せた。それでも日野は引く様子なく、こちらに視線を向けていて、強制的にノートは日野の手へと渡った。
「まだ一ページも書けてないからな」
隣で左から右へと瞳を動かして文を読む日野を、水城は机に頬杖をついて見た後、パソコン画面に向かっている火也へと視界を切り替える。一体、パソコン向かって何をしているのだろう。でも訊きはしない。作業が進んでいるならそれでいい。
水城は日野からノートを奪い返し、また作業へと戻った。
火也と日野が帰ったのは夕方だった。互いに時間も気にせず作業へ熱中していたところ、このような時間になった。
作業内容は言うまでもなく、水城が物語の制作、火也が制作ソフトの使い方やその他、水城には意味の分からないパソコン仕事。日野はというと、水城と火也が忘れかけていた昼食を作り、あとは水城のベッドで勝手に寝たり、彼らの作業を気の向いた時だけ見てみたりと、そんな感じだった。
「アイツは何がしたかったんだ?」
昼食作り以外の不可解な日野の行動に疑問を持ちつつも、水城はいつもより進みの遅いノートへと目を落とした。二人が帰った後も水城は作業を続けているのだが、一向に進まない。理由ははっきりとしている。女性向けの言葉に振り回されているのが原因だ。
「どう書けって言うんだよ」
ついに水城は鉛筆を置いた。
火也と日野のおかげでゲーム制作してみようという気にはなった。その気持ちに嘘はない。でも物語が思うように進まない。いつもなら絶対にこんなことはない。普段は考えなくとも文が浮かんでいた。書きたいと思った時にすぐ書けた。
だが今は違う。考えても、考えても先が見えてこない。どうすればいいのかすらも見当つかない。今までにない感覚。それが胸の中をぐるっと回って、文をすべて宙へと投げ捨てていく。
水城は立ち上がり、ベッドまで身体を持っていった。音を立てて寝ころぶと、水城にはない香りが鼻を包んだ。でも誰の香りかは知っている。
日野だ。彼女がここで寝た時に、香りが移ったのだろう。
「……勝手に匂いつけてくなよ」
冷たく水城は言うと、その香りに顔をうめた。
不思議なものだ。彼女の香りは男の水城とは異なる。まあ香りなんてものは人それぞれ違うので当たり前だが。理解に困る呟きを黙ったまま脳内で続けていると、次第に瞼が重くなった。頭を使いすぎたのだろうか。それとも数日間にいろいろありすぎて、身体が疲れ切ってしまったのだろうか。解答者のいない疑問を口にしながら水城はそっと目を閉じた。
日野の香りは幼い頃に抱きしめてくれた母の感触によく似ている。いや、たぶん気のせいだ。だって水城は数えるほどしか抱きしめられたことがない。だから似てることも分からない。
水城は優しく包みこまれる感覚を確かめるように、ゆっくりと眠りについた。






