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「帰ってないわね」
水城の家の前で首を傾げる日野を火也は見た。
先程から何度かドアチャイムを鳴らしているのだが、まったく反応はない。日野が不躾にもドアノブに手をかけて開けようとしてみるも、鍵が閉まっており、誰もいないのだと二人に伝えた。
「どうしようかしら……、帰るまで待ってる?」
「でもいつ帰ってくるか分からないんだよね?」
ゆったりとした音質で火也が訊くと、日野もまた穏やかに人差し指を立てて、それを自らの口元へと持っていく。
「そうねー。井岡君家はご両親が帰ってくるのが遅いから、けっこう遅くまでフラついてることも多いし」
帰りがいつか分からないなら、今日はもう引き上げて、明日の朝迎えに来た方が無難かもしれない。そもそも、玄関先で何十分、何時間と待っていたら近所の人から怪しまれてしまう。
火也は玄関に背を向けた。しかし日野はまだ玄関を見つめている様子で帰ろうとしておらず、火也は足を止める。
「そうよ、聞いて!」
急に大声を出されて火也は驚く。何だろうか。火也が小首を傾げたのを合図に日野が勢いよく言う。
「この間もね、夜遅くまで井岡君が帰ってこなくて、私、九時まで外で待ってたのよ!」
突然何を言い出すのだと火也は思うも、どれだけの時間待っていたのかは知らないが、夜遅くまで誰かが玄関先で待っているのは少し怖いと感想を頭の中で繰り出す。だが一番怖いのは今話している気迫。
「……日野ちゃん、ストーカーみたいでちょっと怖いよ」
率直な意見を火也が述べた。その瞬間、日野がさっきよりも大きな声で弁解する。
「何を言うの! 先生は先生としての仕事を全うしてただけなのよ。ストーカーだなんて失礼しちゃうわ。逆に三時間も待ってたこの気力を褒めてほしいくらいよ」
「三時間って……」
下手したらストーカーに成りかねない。いや、すでにストーカーの一員かもしれない。つんとした日野の表情に戸惑いながらも火也は微笑んだ。
「今日はもう帰ろうよ。明日の朝、ボクが誘いに行くから。ボクも遅くまで帰らなかったら、母さんに叱られちゃうし」
何よりこんな場所で何時間も待たれる水城が可哀想だ。
「先生が待ってて、伝えてあげるわ」
それでは意味がない。
「遠慮しておくね。それにボクが伝えたいんだ。てか、ボクが伝えなきゃ意味がないと思うから」
適当な理由を並べると日野もどうやら納得してくれたらしく踵を返す。
良かった。これで水城は半ストーカーから逃げられる。火也は理解の難しい安堵の胸をなで下ろした。
「じゃあ帰ろっか、日野ちゃん」
火也がゆっくり歩き出すと日野もまた隣に肩を並べた。相手は女性だから、火也は無意識に歩くスピードを落とす。時折、日野がちらりと水城の家を気にするので火也はそこから気をそらすように促す。
「日野ちゃんはさ、水城君の小説読んだことあるの?」
「数回くらいだけどあるわよ」
「ね、教えて。水城君って、どんな話を書くの?」
そうね、と小さく呟いて日野の視線が水城の家から外れる。
「井岡君の書く小説は魅せられるわよ。文の一つ一つが澄んでて、綺麗なの。なんだろうね……。純粋に小説が、物語が好きなんだなあって思える。あまりにも綺麗だから、ついつい感想を伝え忘れちゃうのよね。まあ、私の感想なんて役に立たないけど」
日野の目はどこか遠くを見ていて、水城の小説を思い出しているのだと火也は考えた。話をする日野の顔が徐々に笑みを増していき、彼の小説が本当に素敵なものなのだろうと推測できる。読んでみたい。火也は自然とそう思った。
「そうなんだ。水城君のシナリオ、楽しみだなあ」
「私も! 井岡君っていつも完結した小説は読ませてくれないけど、今回は完結した物語が見れるから楽しみなの! でも不思議よね。あれだけ文才あるのに口下手なのよ。もっとスムーズに話せれば、金澤君とも上手くいきそうなのに」
「それは言えてるかも」
火也は思わず吹き出した。
嘘みたいだ。さっきまではへこんでいて、ゲーム制作なんてできないと思った。でも何となく、日野と水城について話していると完成させられる気がした。水城と日野、海斗、ヒカル。そしてシン。みんなで作業できるような、そんな気がした。