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「今日は来るんじゃなかったのかよ」
水城はしんとした教室の席についたまま、不満をもらした。
昨日、半ば強制されたので来たが、未だ水城と日野以外のメンバーは来ていない。そんな今の時刻はちょうど午後一時半を示している。すでに三十分の遅刻だ。
「おかしいわね。みんな、ちゃんと来るって昨日は言ってたのに」
昨日と同じ日野の発言を耳にして、水城は「やっぱり」と小さく呟いた。
昨夜考えた通りになった。結局、あのメンバーは誰も真面目にする気はないのだ。ただのお遊び。
馬鹿馬鹿しい、付き合っていられない。
水城は黙ったまま立ち上がった。その顔は怒気を帯びている。
「い、井岡君?」
日野が恐る恐る話しかけるも、水城の表情は依然として変化ない。
「……帰る」
「井岡君!」
呼び止められても振り返らない。水城の怒りは頂点へと達していた。鉛筆と小説用ノートだけが入った鞄を持ち上げて、水城は教室の外へと出る。その時。
「キミが水城君?」
水城の足がふと止まる。その目前には火也。火也は水城と目が合うなり、彼の手を両手で握った。
「初めまして。ボク、小柳火也。仲良くしようね、よろしく!」
いきなり何なのだ。水城は顔をしかめると、自己紹介する火也の手を乱暴に振りほどく。相手は男だ、手加減はしない。
「誰だ、オマエ?」
「だから軽音部部長、小柳火也。昨日も電話したよね?」
そう言えば昨日、日野の携帯電話で連絡してきた男がいた。彼がその者らしい。水城はさらっと記憶を思い出すと、火也の横を素通りする。
「あ、あああー! ちょっと待って」
火也が間の抜けた声を出しながら水城の腕をがっしりと掴む。顔に似合わない力が腕を離してくれず、水城は一時的に足を止めた。本来なら怒っている時に足など止めないのだが、どうやら先程の間抜けな声のせいで怒りが少し軽減されたらしい。その代わり、呆れがその部分をうめる。
「……何だよ?」
水城が折れて相手をしてやると火也は申し訳なさそうな顔をした。
「昨日はごめん。道端で倒れてたおばあさんを病院に連れて行ってたら遅くなっちゃって。今日は遅れないようにしようと思ったんだけど、道端で苦しそうなおじいさんと会って、病院に送ってたら遅くなっちゃって……」
二日連続で道端であった老人を病院へ連れて行くとはどれだけ老人に縁があるのだ。水城はツッコミそうになるも、それを唇の裏側に隠した。
火也の謝罪に対して水城は何も言わなければ怒り声もない。火也はほっとした表情を浮かべると、水城の腕を引っ張った。
「ヒカルんはさっき職員室に呼ばれてたから話が終わったら来るだろうし、海君は美術室に背景サンプルを取り行ってたから、もうそろそろ来るよ」
明るく爽やかな火也の言葉は荒立たせることなく水城の心へと浸透していく。気が付いたら、帰ろうとしていた足が再び教室の中へ戻っていた。不思議なヤツ。水城は小動物のような火也の目を凝視した後、数分前に座っていた席へとついた。
椅子に座るなり、歓喜の目を向ける日野が気うとくて水城は彼女と目を合わせないように横を向いた。すると火也が水城の目に映るように隣の席へと座る。
「みんなが来るまで暇だし、役割分担しようよ」
「役割分担?」
「ボクはプログラム担当かな? あとは軽音部だし、作曲とかも考えてミュージックコンポーザーとか担当したい。ゲームには音楽ってつきものだし。歌とかもいれたいなあ」
火也は元気よく言うと「キミが~いっつも側にいるから~、戸惑わないで~す~すめるんだ、ボクの空へ~、火也で~い~るため~」と歌いだす。火也の歌声はとても綺麗で力強い、下手な歌手よりはずっと上手だと思う。でも歌っている曲は聴いたことがなく、水城は反応に困った。
どこかで耳にした曲なら、聴いたことがあると反応できる。だが水城はこの曲は知らない。まあ彼の名前が入っていることから、おそらく彼自身が作詞作曲した歌なのだろうと予想はできるけれども。きっと上手だと褒めてやれば嫌な気をする者はいないのだろうが、そんなことを言う義理ではなくて、水城は他の形で火也の歌を止めることにした。
「歌いたいなら歌えよ」
「え、本当! やった。なんか水城君とは仲の良い友達になれそう!」
「……それで、他のヤツの役割はどうすんだよ」
火也の歌がやみ、今度は喜色の声が教室に響く。
「そうだなあ。ヒカルんは放送部だからサウンドとかで、まあボクも一応できるけど、ここは専門に任せるべきでしょ。えっと海君は美術部だし、背景グラフィックとか? それでシンちゃんは漫研だからキャラクターデザイン。水城君は文芸部だからシナリオ作成。となると、ストーリー系のゲームだね」
水城の眉間に皺が寄った。嫌でもシンが参加するのだと再確認させられて、少しだけ気分が悪くなる。でもそんなことも気にせず、さくさくと決めていく火也の目はとても真剣で、前回居合わせた三人とは違う。その姿勢が水城の眉間の皺を無くし、気持ちをゲーム制作へと引き寄せた。
昨日はこのメンバーではやっていけないと思ったが、火也を見ているとほんの少しだがやってみてもいいかもしれないと思える。昨日の今日でここまで意見が変わるとは、自分がとても未熟な人間という証明のような気がして癪にさわる。しかしその思いは予期せぬ火也の問いかけによって消える。
「水城君はさ、どういうゲームがいい?」
「どういうって……」
「ほらシナリオ担当してもらうんだからさ、やっぱり水城君が書きやすいものがいいし、どんなゲームがいい?」
一昨日、自分で考えておけと言ったくせに、自分はちっとも考えていなかった。嫌だと口にするばかりで……。
急かすことなく意見を待ってくれている火也。その眼差しが自分へと集中して、水城はとても気恥ずかしくなった。でもその一方で胸が躍る。
シナリオを作るなら、どんなものがいいだろうか。
できれば恋愛物語がいい。正直、これ以外は書ける気がしない。でもそうなると、どういうジャンルのゲームになるのだろうか。そしてどんな仕様のゲームになるのだろうか。様々な想像が魔法のようにポンポンと浮かんでは増えていく。
「オレは……」
水城が意見を述べようとした時、シンが「カヤちゃーん」と水城には雑音にも近い声で呼んだ。話の腰を折られた。水城は心中で溜め息をついた。それと同時に、心に灯しかけようとした火が弱くなった。
「シンちゃん、来たんだ。今日はデートって言ってたから来ないと思ってた」
「あー、そうだな。カヤちゃんに会いたくって、そっちゆーせん的な?」
「うわぁ、何かすっごく寒気した。てか、気持ち悪ーい」
「えー? カヤちゃん、ヒドくねぇ? オレはさ、こんなにカヤちゃんのことを」
「それ以上言ったら、本当に縁切るよ。シンちゃん、気持ち悪い」
天使のような微笑みが一瞬で消え、暴言にも似た台詞を火也がはくと、シンは水城の座している席の机上へと腰を落とした。
――オレの机に座るな。
水城はシンを睨みつけるが先方は気にせずに、ジェスチャーを交えながら不快な声を続ける。その声がうるさくて、水城は頬杖をつくフリして、片耳を手のひらでふさいだ。
「あー、そーそー。さっきの話、聞いてたんだけどさ。オレはキャラデザを描いちゃえばオッケーですかぁ」
「それでお願いしたいかな」
「ま、カヤちゃんが言うならいいよ」
「ありがとう、シンちゃん」
「それで? 水城がシナリオ書くんだろ? だったらー少しくらい水城の小説読みたいんですけどー」
シンが水城を見た。だが水城は彼の話など聞いていないと、シンから目をそらす。
火也になら見せてもいいかもしれない。でもシンには見せたくない。証拠はないが、シンは自分の小説を読んで笑う気がする。デリカシーにかける風貌もあるが、何よりその口調で小説について述べられることが水城には耐えられない。
強い拒否反応が水城の心をうめつくした。それと同調したように、シンのおちゃらかした表情が強張る。
「あーのーさー、訊いてるじゃぁん? ……ムシすんなよ」
言葉の後半を強く言われ、水城は嫌々と彼を睨みつけた。
「……オマエに見せる気はない」
水城がツンと言ったその刹那、水城の鞄がシンにより奪われる。それは一瞬の出来事で、水城が手を伸ばした時にはもう遅く、シンは信じられないほどの早業で鞄の中身を取り出した。そして一冊のノートを広げる。
「おいっ、オマエ!」
水城は急いで手を伸ばす。瞬発力が良かったのが救いか、水城はシンがノートに書かれている文章を読む前に、彼の手からノートを奪い返した。
水城は一度ほっとするも、それは束の間。安堵は怒りへと変わり、沸々と胸の内からわきだす。でもそれはシンも同じだった。
「はあ? 何なんだよ、アンタ。あーっ! もしかしてー、他の人には見られたくないものでも書いてんですかぁー?」
シンが先に口を出した。考えるまでもなく小馬鹿にした呂律は、少し前まで感じていた怒気を水城の心によみがえらせた。
火也はともかく、やっぱりこのメンバーとはやっていけない。特にシンとだけはどんなに努力しても手を取り合うことはできない気がする。何より人が懸命に努めているものに対して悪くいう者は許せない。殴り飛ばしたくなる。水城は拳を握りしめた。それと同じく、心の中に灯ろうとした感情の火が完全に消失する。
「やっぱオレ、メンバーから外れる。テメェらには付き合えねぇ」
水城が叫ぶことなく静かに怒りを告げると、シンが大きな溜め息つく。
「あのさー、昨日もその前も。勝手に帰んのやめてくんない? わがまま癖、マジでウザいんだよねー」
「やる気もなにもないヤツに言われたくねぇよ」
「はあ? やる気ないのは水城の方じゃねー? マジうざ。あー? それとも文芸部のくせに、文章ぐだぐだで見せられないんですかぁ?」
許さない。その言葉と胸糞の悪さだけが水城の心を支配していく。水城は握りしめた拳で殴ってやろうかと思うも、その一歩手前で理性により止める。
「ちょっと、シンちゃん!」
険悪な二人の仲を取り持つように火也がと割って入る。でもすべては遅い。水城は鞄とノートを手に持って教室を出た。
「井岡君!」
日野が急いで彼を追うが、水城が足を止めることはなかった。




