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文化系男子部  作者: 華由
第八章 虎穴に入らずんば虎子を得ず
33/33

 あれから一ヶ月が経った。

 入学して二ヶ月もすれば一年生も学校へ馴染んできて、部活動や遊び、各々楽しめることを懸命に頑張っている。そして廃部危機に置かれていた部の部長たちも熱心に部活動へと取り組んでいる。

 この第三校舎の三階からよく見える桜の花もすっかり散ってしまい、あの時から確実に時が進んでいることを日野は改めて感じた。

「一応、部室も貰ったのにね」

 ブツブツと言いながら歩いていると、よく知った二つの人影がこちらへと向かってきて、日野は元気よく二人へと駆け寄った。

 海斗とヒカルである。

 二人も日野の姿に気付くと歩みを止める。

「日野先生。井岡先輩、教室」

「井岡は今日も教室でノートを広げていた」

「やっぱり? さっき部室に行ってみたんだけどいなかったのよね」

「井岡先輩、脱走?」

 ヒカルが首を傾けて訊いた。その仕草の横で海斗が冷静に「脱走ではない」とツッコミを入れて、さらにヒカルは傾きを深くした。海斗はそれに対して、もう一度何かを答えようとしたが、良い言葉が浮かばないらしく、少し困惑した表情を浮かべた。

 日野はこのまま様子を見ていようと思うも、海斗の顔が少しずつ曇っていくのがあまりにも可哀想で話題を流してあげようと動く。

「これから部活?」

「ああ。これから風景画を黒木に教える予定だ」

「うん。ボク、初風景画」

 ヒカルが嬉しそうに頷いて言った。

 一週間前、ヒカルは美術部に入部した。ゲーム制作の時に海斗の絵に惚れてしまい、自分でも描けるようになりたいらしい。三つのかけ持ちは大変だろうとは思っていたが、この様子だと楽しくできているのだろう。

「風景画が完成したら見せてね」

「うん! 絶対、約束」

 日野が子供みたいに小指をからめて約束を交わすと、ヒカルは嬉しそうに口元を吊り上げた。相変わらずレインコートで口元以外は見えないが、それでも十分に喜びは伝わる。

「オレの風景画も完成したら見せてやる。このオレの最高の美のセンスを時間かけて説明してやる」

「それは遠慮したいわ」

「何故だ! オレの芸術の美学を批判するつもりか?」

 違うから。日野はそう心の中で呟いて、二人に再度応援を送り、逃げるようにその場から退散した。

 海斗は不満そうだったが、火也曰く「さらっと流せばいいよ」とのことで、最近は日野もそうしている。

「さて。教室まで向かいましょ」

 真っ直ぐ続いている廊下を歩いた後、水城がいる四階へと続く階段を上る。だがその途中で日野はまた足を止めた。

「小柳君と金澤君」

「あれー、日野たんじゃーん? 水城は教室でおっやすみ中ですよぉ」

「うん。水城君、ぐっすり寝てた」

 先程、ヒカルが教えてくれたので居場所は知っていたが、まさか寝ているとは考えもしなかった。それはさておき、四人が彼の居場所を揃って口にするのは、四人とも水城に会いに行ったからだろうか。そちらの方が日野的には気になった。

「井岡君とは仲良くしてる?」

「してる、してる。けどさー、水城が冷たいんだって。昨日も水城の家に泊まろうって思ったのにさー、帰れーの一点張りだしぃ。四日前は泊めてくれたくせに急に冷たくない?」

 シンが両手をひらひらさせて嘆いた。その横で火也が呆れたように口を開く。

「あのさ、シンちゃん。夜の十一時に泊めてーって言いに行ったらさ、追い返されて当然だと思うよ」

「えー? お家、近所だからいいじゃん」

「むしろ近所なら帰ろうよ。シンちゃんが何かする度にさ、水城君から電話が来て、毎度、起こされるボクの身にもなってよ」

「マジでぇ! 何って電話くんの?」

「シンちゃんを引き取りに来いとか、シンちゃんはまさかホームレスなのかとか、たまに寝ぼけて夕食のメニュー言ったりとか」

「寝ぼけんの? マジ、ウケる。なあ今度、録音して聞かせて」

「シンちゃん、最低」

 二人の話に日野は思わず笑った。

 水城には悪いがその光景を想像すればするほど笑いが込み上げる。あの水城が自ら電話をかけたり、何の目的もなく誰かを泊めたり、ましてや寝ぼけたり。出会った頃の彼には想像もできなかったことだ。シンとの仲も気にかけていたが、心配せずとも仲良くしているらしい。現に、水城とシンは最近行われた席替えにより隣同士になったようで、たまに口ケンカするけれど教科書などの忘れ物をした時は貸したり、見せたりとしていると聞く。

 日野が笑っていると火也が両手のひらを合わせた。

「そうだ! 今度さ、みんなでゲームしようよ。シンちゃん家で」

「いいけどさー、水城はゲームできないじゃん。どーすんの? てか、ヒカルンもできなさそう」

「確かに。ま、でもそこはゲーム上手な海君に任せればどうにかなるよ」

 目の前で楽しげな予定を立てる二人。何だかんだ言いつつも水城がこのメンバーと仲良く過ごしているのが分かる。

 数日前に「みんな幽霊部員になりやがって、もう相手しねぇ」と水城は言っていたが、この状況を思えばただの照れ隠しにしか見えない。

 でも仲良いことは悪いことではない。もっと親睦を深めて、今ここにしかない時間を楽しみながら苦しみながら、時にケンカしながら過ごしてくれればいい。いつか彼らが大人になって振り返った時、最高の高校生活だったと笑えるように。

 日野は微笑ましい光景を目に焼き付けると二人に手を振って、その場を離れた。そして水城のもとへと一歩ずつ歩を進めていく。

 階段を上るといくつかの教室が並んでいる。水城の所属クラスは階段上って右手を真っ直ぐと行ったところ。分かりやすく言うならトイレに一番近い教室。そこに三年四組のプレートがある。

 日野はプレートを確認すると、なるべく音を立てないように教室内へと入った。すると机の上に顔を伏せている水城の姿が目に映った。他の生徒はいない。

「本当に寝てる」

 日野が顔を覗きこもうとしても水城は起きない。相当、深い眠りについているようだ。ならばこのまま眠らせてあげよう、そう日野は思ったが、たまたま広げっぱなしになっているノートが目に入った。今回の小説はどんな内容だろう。ジャンルはきっと恋愛小説だろうと日野は予測して、それに手を伸ばす。

「ごめんねー、ちょっとだけ読むわよ」

 強い衝撃を与えないようにそっとノートを取り、日野はそこへ目を落とした。その瞬間、日野は目を大きく開く。

「友情もの……」

 いつも恋愛しか書かなかった彼が珍しく違うジャンルに手を出しているとは。これも心境の変化かもしれない。

 でも文の紡ぎ方。その特徴は何ひとつ変わっていない。

「〝――物語は神妙なものである――。物語は不思議だ。そっと頭の中で物語の状況を想像して、それを様々なカタチで表現する。その時、制作者たちはこの世のどこよりも神秘的な空間へ入り込み、登場人物と触れ合う〟」

 こういうものは口に出して読むべきではないと分かっているが、そうせずにはいられず、日野はまた文を読む。

「〝彼らがいきたいところへ手を引かれながらも誘導していく。でもそれは容易でない。たった一人なら入りこめそうな空間に何人もの人が入り込む。苦しみや悲しみ、怒り、いろんな情を感じながら、そのすべてを昇華させる。そして一つの物語が完成する。その刹那、達成感と少しの切なさが制作者たちの胸を静かに温める。それと同時に仲間《制作者》たちと、とても居心地が良い空間にいたことに気付く〟」

 末尾をすべて音読しようと思っていたが、それは途中で止まる。

 そして日野は微笑みながら読み終えたノートをもともとあった位置へと返した。

「やっぱり井岡君の書く文は素敵ね」

 返す際にそっと耳元で囁いてみたが、彼は気持ちよさそうに眠っている。それがまた優しい笑みを誘った。

 これ以上、物音を立てたりして起こしては可哀想だ。育ち盛りの彼らにとって大事な睡眠を奪ってはいけない。日野はそっと教室の出入口へと足を向ける。その瞬間、ゲーム制作をしていた時の記憶が日野の頭によみがえる。

 最初は決裂して、完成するかどうか心配だった。だが、そのうちメンバーも戻ってきてくれて喜んだ。しかし水城のこだわりによる問題が浮上して、周りも悩んだが、彼自身が一番悩んでいた。その後もいろいろあったが、最後はすべての問題が片付いて、今ではそのメンバーたちも高校生活を共に過ごす仲になった。

 ゲーム制作開始から部結成までの短い期間だったが、今まで過ごしたどの時間よりも色付いて残っており、生涯忘れることないと胸を温める。

 ふいに日野は教室を出る寸前で足を止めて振り返った。

「先生は特に最後の一文が、好きよ、井岡君」

 おやすみの代わりにしては長い言葉を優しく口にして、日野は教室を後にした。廊下に出ると開けっ放しになっている窓から風が吹き込み、そこから外を覗けば青い空が広がっている。もうすぐ六月。梅雨の季節がやってきて、そのうち夏がくる。彼らはどんなふうに過ごして、人生という物語を描いていくのだろうか。

「〝その感覚がオレは何よりも好きだ〟」

 水城が書いていた小説の最後を日野はこっそりと呟いた。




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