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文化系男子部  作者: 華由
第五章 鳩が豆鉄砲を食ったよう
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4

 火也が家へ戻ってきたのは二時間後だった。

「……散歩、長時間、何故?」

 ヒカルが首を右に傾けて訊いた。

「実はおばあちゃんが倒れてたから病院まで送ってたんだ」

 問いかけに火也はさらっと答えると二時間前に作業していた位置へと座した。置きっぱなしになっていた鉛筆を手に持って、また作業を始める。

 良いことをしてきたのに、それを大きく言うことなく、自然に流して作業を始めるあたり、火也は本当に良いやつなのだと水城は視線をそちらへ向けた。でもそれは一瞬で、また水城も作業へと戻る。

「ヒカルんは少しくらい進んだ?」

 火也の質問に水城はどきりとした、自分も同じ質問をされるのではないかと思って。

 ヒカルは素直に首を右左と横へ振り、進んでいないと仕草で伝える。

「水城君は進んだ?」

 やっぱり。水城は小さく頭の中で呟いた。

「……まだ」

 わざとらしく視線をノートに走らせて、鉛筆を指先で回す。あたかも、さっきまで書いていたように。

 実際は笑顔がなくなるほど進んでいない。もう一週間ほどしか時間がないというのに、これではどうするのだ。何度も自身に問いかけるが、鉛筆はノートの上をすいすいと進んでくれない。それがまた気持ちを焦らせて、想像力や許容力を低下させ、悪い連鎖を断ち切れない。

 浮かんでは消えていく案を無作為に鉛筆でかき混ぜていると、ふいに家の呼び鈴が家中に響いた。

「お客さん?」

 真っ先に反応したのは火也だった。でもここは彼の家ではないので、玄関まで下りて客人へ顔を見せるのは水城。

 水城はずっと置けずにいた鉛筆をやっと手から離すと玄関へ向かった。

「はい……」

 いつも以上に深刻な顔でドアを開ける。客人には悪いがこれが今の水城の精一杯な表情だった。ドアを少し開けると当然のごとく人間の姿が見える。しかしその人物に水城は思わず目を見開いた。

月原(つきはら)……!」

 家を訪ねてきたのは海斗(かいと)だった。彼が何でここを知っているのだろう。それとも何かの偶然か。意外な訪問者に驚くも、そういえば今朝、火也が海斗の家は水城の家の三つ隣と言っていた。近所付き合いの何かだろうか。だが海斗の家に訪ねたことも、彼が水城の家を訪ねてきたこともなかった、今日が初めてだ。

 戸惑う水城とは裏腹に海斗は動揺した様子もなく口を開く。

「火也はいるか?」

「小柳? いるけど……」

 水城はドアを全開して海斗を招き入れた。

 何かは分からないが彼は火也に用事があるらしい。火也が呼んだのだろうか、それとも海斗が訪ねたくなったのであろうか。まあどっちでもいい。水城には関係ないことだった。

 彼とは会話が弾むような仲ではない。できるならば早く海斗を火也へと渡したい。水城は海斗を迅速に部屋へと案内した。

「小柳。月原がオマエに用あるって」

 海斗を部屋へ入れるなり、水城は彼との接触をすべて火也へと押し付けて、自分は元いた位置へと腰を下ろした。そして耳だけは二人の会話を聞けるようにそちらへと意識を集中させ、机上で広げっぱなしになっているノートへ目を落とす。

「どうしたの、海君?」

「火也に話があってな」

「あー、えっと。海君、一人?」

 火也の質問に海斗は一瞬、理解不能というような顔をしたが、すぐに首を縦に振って答えを返した。

「そっか」

 火也は笑顔で対応したが、その顔は悲しげでシンがいないことへの残念感を示していた。それにもかまわず海斗は用件を口に出す。

「さっき、ばあさんを運んでくれたらしいな。ありがとう」

「あ、もしかしてさっき病院に運んだおばあちゃんって海君のおばあちゃんだったの?」

「ああ。オレの父の母だ。ちなみにオレの母の母もまだ健在していて、オレの父の母よりも元気だ。オレの父の母とオレの母の母が」

「あー、もういいよ。海君の話、長いから。〝の〟が多くてうるさいし」

 うんざりという火也の態度に、海斗は不満そうな表情を浮かべるが、火也はキャラクターデザインを懸命に描いている途中だったので、素っ気なくされても仕方がないと水城は思った。現に、水城も海斗の話を鬱陶しいと感じた。でも水城が話しているわけではないので、ここは聞こえていないフリでもしておく。すべては火也に任したのだ、関係ない。

 水城は鉛筆を握った。ありったけの集中力を脳内に留めて、水城は鉛筆の先をノートへと押し付ける。

 この続きはどうしようか。とりあえずは主人公がもっと目立つように台詞を入れてやり、攻略対象キャラの男には少し気の利いた台詞を設けてやる。そして次は……。

「何だ、そのセンスのない風景の描き方は」

 海斗の不機嫌な声が水城の脳へと入り込んだ。

 袋の中にいっぱい溜めていた水を勢いよく流し出すような感覚。水城の中に留まっていたはずの集中が一気にはじけた。

 思い浮かべていたはずの言葉が消えて水城は苛ついた視線で彼に訴える。しかし海斗はヒカルの背景画を凝視していて気付きもしない。すごい剣幕で食ってかかるからヒカルも思わず肩をびくつかせている。火也は、不思議そうに海斗を眺めている。

「これでは背景の基礎の基礎の基礎がまったくなってない、オレの美のセンスに反する。下手中の下手だ」

 清々しいくらいに否定する海斗。本来なら怒りを感じる言い方だが、ここまではっきりと口にされると怒りを通り越して切なさを覚える。だからだろうか、ほんの少しだけヒカルが俯いた。でも疑いなくヒカルの絵は下手だ。素人の水城が見ても思うのだ、部活という形で専攻している海斗なら当然、思うだろう。

「ヒカルん、元気出して。ボク、良いことを考えたから!」

 批判を堂々と零す海斗の横で、火也がヒカルを励ましながら手をあげた。

「そこまで文句言うなら海君が背景描いてよ、ダメかな?」

 言葉には疑問符がついている。でも火也の表情は肯定を確信しているようで、とても自信たっぷりだ。まるで海斗が背景を描き、その後、シンもここへ来て一緒に作業するというように。

 海斗は何かを考えるように宙を仰いだ。それでも最後はヒカルの描いた絵が気になって仕方ないのか、そちらへと目線を落ち着かせる。

「分かった。火也にはオレの父の母、つまり、ばあさんを病院に連れて行ってくれた礼もあるからな。協力してやろう」

 火也の目が輝いて、その腕が力強く水城の首へと絡む。

「やったね、水城君!」

「いたっ、痛い。やめろ、小柳。首が絞まんだろ」

「これでもっとゲーム制作がはかどるね」

 男子高校生とは思えない無邪気な笑顔で絡みついてくる火也を水城は暴力的に振りほどいた。きらきらとした目は悦楽に満ちており、水城は知らず知らずに視線をそらした。

『廃部になっちゃったら、どうするの? そんなの嫌でしょ』

 火也は数日前にそう言った。もしかしたらゲームが完成すれば、廃部にはならない。そう彼は思っているのだろうか。そう思うと水城の胸の奥がきゅっと痛んだ。

 廃部にならない条件は二つ。二人以上の新入部員を確保すること。そしてもう一つ、廃部候補の部活動と協力して何か作品を一つ作ること。だが、仮に海斗が加わってゲームが完成したとしてもシンがいなければ廃部は確定となる。それ以前に、水城がシナリオを書けなければゲーム完成も、部活継続もすべては夢のまた夢。

 はしゃぎすぎだ。

 水城は心の中をじっとりと濡らす忌々しさを解き放つため、強く鉛筆を持った。


 海斗も加わり作業を始めて数時間が経った頃、水城は辺りを見渡した。

 海斗はこの数時間で描き終えた十数枚の下描きした背景画をスキャナでパソコンに取りこみ、色塗りの工程へと入っている。その絵は遠くから見ても、一目で綺麗だと感じさせる代物。こんな短時間であれだけの作品がよく描けるものだと水城も感心した。

 文章なら短時間で十何ページと書けるが、絵は不可能だ。パースやら何やらと細かな計算を頭でしてはその物体を的確に描く。口にするだけだと簡単な言葉だが、誰でも真似できることではない。断じて水城にはできない。

 妙な敗北感を覚えながら、さらに目を横へ流すと今度は火也とヒカルが目に入った。仕事がなくなったヒカルは火也とキャラクターデザインに専念していたはずが、いつの間にか、二人でサウンドや挿入歌の話へと発展していた。見事なまでに忘れられてしまった下描きの紙には犬なのか、猫なのか、はたまた別の生物なのか。分からないほどに下手な絵が描きこまれている。

 でも一つだけ分かることはある。作業が数時間前よりもずっと進んでいる。水城――シナリオ――を除いては。

 確かに火也もヒカルも与えられたキャラクターデザインは進んでないが、サウンドに関してはゲーム内で流れる音楽をすでに半分以上作りあげている。あとはその半分を考え、パソコンで編集などをすればサウンド制作は終了しそうだ。やはりキャラクターを描くより、音響を進めていくほうに彼らは特化しているらしい。

 水城もこの中では誰よりも文を上手く書く自信がある。あくまでこのメンバーの中では一番だと思っている。けれども作業は笑ってしまうほど進んでおらず、もはや足手まといと言われてもいい状況。

 分かっている、今の状態を打破しないといけないことは。絶対にやりとげなければならないのだ。水城のわがままで、他の意見を混ぜずに物語を考えているのに、できなかったでは格好がつかない。

 ――やっぱり全員の意見を訊くべきか……?

 水城は鉛筆を置いて立ちあがった。すると真っ先に火也が顔をあげる。

「どうしたの、水城君?」

 いちいち人の行動を気にするなと言いたかったが、今は話していたい気分ではないし、一番の理由は焦りによる劣等感だけれど、それを認めるのは嫌で、水城は部屋のドアへと手をかけた。

「……トイレ」

 答えれば火也は「あ、そう」と興味のない相槌をした。訊いておきながら何だと思った。でもこれも口にしない。また彼と言い合いをするつもりはないから。そしてトイレに行くなんていうのも嘘だから。

 水城は頭を掻き上げながら階段を下りた。ただあの空間から脱することができるならどこでも良くて、とりあえず物音がするキッチンへと向かう。

「おい、何やってんだ?」

 冷たくそう問うと、キッチンでコーヒーを作っていた日野がゆったりとした動作で振り返った。

「あ、井岡君もコーヒー飲む?」

「アンタな、ここ誰ん家だって思ってんだよ? 自分勝手に動いて」

「仕事くれないから暇なんだもぉん」

「じゃあ家に帰ればいいだろ」

「だってー、コーヒーが冷めちゃうでしょ」

 意味が分からない。こっちは悩みに悩んでいるというのに、途轍もなく彼女は気楽としている。本来なら苛立つところだが、水城の心情はまったく荒立つことなく滑らかな音を立てている。

 水城が呆れたと呟くと、日野はまた嘆くように文句を口にした。子供のような口の割に、手はちゃっかりと水城のコーヒーも作っていて、こういう気遣いに自分よりも大人なのだと思い知らされて少し嫌になる。

 完成したコーヒーを水城は日野から受け取り、黙ったまま口へと運ぶ。ミルクと砂糖をふんだんに使ったコーヒーはいつも水城が口にするブラックコーヒーとは色も味も違う。でも甘ったるい感じが日野をよく表しているようで少し面白くも思った。

「月原君とパーティーを組めるなんて感動的ね!」

 素直に喜んでいる日野の姿は愛らしい。先生という生物ではなく、クラスメイトに見えるほど水城の世代に馴染んでいる。

「……パーティーを組むって。何か表現が微妙」

「えー、でも感動的でしょ。例えるなら、鳩が豆鉄砲を食べようって気分!」

 自信満々に日野は言ったが、明らかに違う。教師として簡単な言葉すら知らないのか。その事実が到底理解できなくて、水城はそっぽを向いた。

「感動的って意味じゃねーよ、それ。そもそも〝鳩が豆鉄砲を食ったよう〟だろ」

「ま、まあいいわ。それよりもシナリオはできそうなの?」

 透き通った日野の目が痛いところを突いた。

 ――このタイミングで訊くなよ。

 体裁が悪い時に訊かれては黙るしか選択肢がない。思わず口を閉ざした水城の代わりに日野は「コーヒーが美味しいね」と微笑んだ。間の抜けた気遣いが水城の心をかき混ぜる。

 水城はコーヒーを数口飲むと、カップを近くテーブルへと置いた。あまりにも甘すぎて、それ以上は飲めなかった。


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