三話
マガグロ。
中級終盤ダンジョン、『奥魚の洞窟』の最深部に出現するレアボスモンスターである。有志プレイヤー達が検証したその出現確率は、なんと60%を越えており、その出現率とバグかチートかと疑いたくなるその性能についたあだ名は『公式詐欺モンスター』である。
同時のトッププレイヤー達を苦しめたその性質は、主に三つ。
一つは先の黒芽の言葉通り、全属性半減。読んで字の如くな性能ではあるが、これは万人が想像しうる以上に厄介なものであった。要は、マガグロ自身の階級を下回る攻撃魔法は勿論のこと、状態異常の窒息や氷結を始め、あらゆる中級以下の魔法を"無効化"し、上級異常化魔法も効果時間は半減。当時アバターLV300とジョブLV300を越える上級プレイヤーの絶対数が少なく、この時点でRPGプレイの魔法使い系のプレイヤーは涙目である。
二つ目が、その異常なまでに高いステータスである。全属性半減、その内には勿論物理属性も含まれており、それを差し引いてもマガグロの基礎ステータスは異常に高い。通常の中級終盤のレアボスモンスターの平均ステータスが2000だとすれば、マガグロは優に4500を越える数値が基礎としてあるのだ。そこに半減効果を足せば、どれ程の火力武装で行ってもダメージは通らないだろう。この時点で物理系の戦士系プレイヤーは涙目である。
そして最後の三つ目は、マガグロを倒さなければイベントストーリーもRPGストーリーも進まない。RPGストーリーは基本的なゲームと変わらず、指定されたモンスターを倒しながらLVを上げて、まだ実装されていないが最終的に魔王を倒す、というありきたりなものだ。イベント系ストーリーの方はプレイスタイルによって色々あるが、このマガグロに関してのみ一律してどんなプレイスタイルでもやり込むのならば、絶対に一回は倒さなければならない。例えば、パズル系プレイスタイルを主にしているプレイヤーもメインストーリーを進めるだけでなくサイドストーリーも進めているのなら、その途中で性能引き継ぎされたマガグロがパズル系ゲームスタイルで出現するのだ。正直言って、この時点で全プレイヤーが涙目である。
今でこそ、何通りかの討伐パターンが確率しているから投げ出すプレイヤーはいないが、当時のトッププレイヤーの内、何人引退したか分からない。……まぁ、結局は引退したプレイヤーも中毒のように禁断症状によって『world community』に戻って来たのだが。
そして、マガグロが発見された当時よりも
上級者、討伐方法、討伐報告が増えている現在でさえ、ソロでの討伐は不可能とまで言わしめる高HPを誇っている。
「下がって下さい!」
マガグロの情報を脳内で思い出していた占地の後ろから、黒芽の叫び声が届く。
その言葉に逸早く反応し、占地は一人で相手にしていたマガグロから〝縮地〟で後ろに跳んだ。途端にマガグロの真横から飛んで来るのは、無数に伸びる黒い触手のような手だった。
黒芽が発動した黒属性の中級魔法、〝影手縛り〟である。影縛りの上位魔法であり、効果は単純に相手を一定時間行動不能にし、触れている黒い手の数だけ防御無視の一定ダメージが加わると言うものだ。黒い手の数×100ダメージしか与えられず、しかもその数はスキルLV依存であるので、ジョブLV300越えしている黒芽でも精々初期設定より多少多い15本が限度であるが、この防御無視の断続ダメージを重ねる事が一番確実にHPを削れるマガグロ討伐方法であるのも、アバターLV300を越えて上級者に部類される占地も黒芽も知っているのだ。
「お、お前はこっちだ……ッ、こッんの魚野郎っ!」
少し裏返る声で〝挑発〟スキルを使い、今にも黒芽に襲いかからんとしていた、新たに出現した方のもう一体のマガグロに物理系統の槍スキルで装備不問の〝突撃〟をかます。
ダメージは通らなかったが、どうにかマガグロの注意を黒芽から占地に移すことに成功し、そのまま黒芽が影手縛りの効果時間が終わるまでどうにか繋ぎ止める。
「クソ、何でよりによって……っ」
「凄い……」
思わず溢れる愚痴に、しかしマガグロから迫り来る攻撃を全てかわしきる占地に横目で見ていた黒芽が舌を巻く。
マガグロの攻撃は基本から面による広範囲攻撃である。即死攻撃を抜いても、その攻撃方法はあり得ないくらいに避けにくい。それを危なげなく避けるプレイヤーは、パーティー戦が前提に置かれる『world community』においてもそう多くない。
何故なら、パーティー戦には盾役や回復役プレイヤーがいるし、何よりマガグロは盾役を最低二人揃えて挑むのがセオリーである。避けるよりも回復しながら交互に攻撃を受け止めて、防御無視の攻撃を与えていくのが理想的なマガグロ討伐方法なのだ。
マガグロの口から吹き荒ぶモンスター用スキル〝氷雹〟をマガグロの足下に潜って避け、今度はノックバック効果もある〝地団駄〟を縮地で当たり判定を抜ける。
続く攻撃はただの尻尾を振り回すものだが、物理攻撃が高いマガグロが、その全長五メートルはある身体を振り回せば前線にいるプレイヤーは大ダメージ必至。故に占地は〝跳躍・大〟のスキルで上に避難、次の攻撃が来る前にマガグロの背中を蹴って体勢を整えて着地、また発動されたマガグロの地団駄を縮地で抜けて、マガグロの後ろに回る。
「どーしたっ、魚類!」
地団駄を抜けられたマガグロが次の攻撃に移る前に挑発を向けて、マガグロのターゲットが外れない様にするのも忘れない。
そして黒芽の影手縛りの効果が切れる前にターゲットを交換、さっきまで断続ダメージを受けていたマガグロを相手に、先までと同じような方法で黒芽に注意が向かわないように相手取る。
「クッ、ソ!」
悪態をついて、断続ダメージ付きのモンスター用スキル〝水膜〟を大きく後ろに跳んで逃げる。
正直に言うのなら、占地はマガグロをソロで倒した事がある。ネットでも報告されていない方法で、と言うか"前提システムをガン無視"している占地のアバターだからこそ出来る芸当なのだが、しかし今はそれが出来ないのが占地が何回も悪態を付く理由である。
準備や装備が充実していないのが第一であるが、何よりも黒芽が側にいる、というのが駄目だ。