証拠
―――金曜日の放課後。
ミレーユは六角の疑いを晴らすために、ある人物を屋上に呼び出した。
屋上へと続く校舎の扉を開けて、ミレーユの元へ歩いてきたのは……。
「森先生?」
彼女が呼び出したのは、今月(5月)から大学の教育実習で来ている森先生だ。
ミレーユが彼の方へ振り返り、名前を呼ぶと森先生はそれに答えた。
「やあ、ミレーユさん。急にこんなところに呼び出して何の用だい? もしかして、この前の告白について考え直してくれたのかな?」
校内でいつも見せている爽やかな笑顔と共に、呼び出された理由を尋ねる森先生。
それに対してミレーユは
「違います。何故呼ばれたか、わかっていると思うのだけど。」
「さあ、何の事かわからないな? 説明してもらえるかい?」
「あくまでトボけるつもりのようだ」と判断したミレーユは、どう切り込むべきか少し悩んだ様子を見せたが、彼女はどちらかといえば回りくどい方法はあまり好きではない。
時間的にさほど余裕があるわけでもないので、ここは単刀直入に切り込む事にした。
「この前の六角さんの窃盗の件です。」
「ああ、そういえばあの時の回答期限を今日中にしていたね。でも、その件の話をするなら谷野さんも呼ぶべきじゃなかったのかな? 窃盗にあった彼女がいないのはどうして?」
「ここに谷野さんはいませんよ。何故なら、彼女の物を盗んだ犯人が貴方だから……いえ、それだけじゃない。彼女を唆して、六角さんの事を犯人だと吹き込みましたよね? それらの事を彼女に知られるのは貴方にとって都合が悪いでしょう?」
あえて少し挑発するような態度でそう返したミレーユ。
するとさっきまで爽やかな笑顔だった森先生の表情が一瞬歪んだが、すぐにそれをいつもの表情へ戻して彼はミレーユに尋ねた。
「どうして僕が谷野さんの物を盗まなきゃいけないんだい? 大体、六角さんに罪を被せるような理由なんて何処にも……」
「いえ、あるわ。森先生、貴方は先週、六角さんに告白して振られたそうね?」
ミレーユにそれを知られていたのが予想外だったようで、森先生の表情はまたしても崩れる。
しかし今度は表情をいつもの笑顔に戻せず、若干引きつった笑顔になってしまっている。
ミレーユは相手が動揺しているチャンスを逃すまいと、一気に畳みかける事にした。
「貴方が谷野さんの物を盗んだ理由は、自分を振った六角さんへの逆恨みからの復讐のため。谷野さんは六角さんと仲が良くなかったし、谷野さんが貴方に好意を持っているのも気づいていたんでしょう? だから、彼女の物を盗んでおいて六角さんが怪しいとでも吹き込めば、簡単に谷野さんは貴方の言う事を信じてくれる。大方、谷野さんが月曜日に部室の鍵を職員室に取りに来た時にでも『土曜日に六角さんが部室に入るのを見たけど何かあったの?』とか言っていたんでしょう? そうやって六角さんに罪を被せ、そしておそらくは今日、どうにもならなくなった六角さんに対して『助けてあげる代わりに付き合え』とでも言うつもりだった……違うかしら?」
「……。」
真顔になり黙りこむ森先生。
しかしながら、相手がすんなりと罪を認めてくれるとは思えない。
ミレーユの予想は的中し
「……いや~、素晴らしい推理だねミレーユさん! 確かに僕が六角さんに告白して振られたのは本当だし、それから間もないのに君に告白なんてしたんだからそういう疑いをかけられても仕方ないね。でも、あくまでも今の話は全て推測に過ぎないだろう? 肝心の証拠がないんじゃ、それを認めるわけにはいかないよ?」
そう、確かにミレーユの側には肝心の「言い逃れのできない決定的な」証拠がない。
しかし、六角の例を考えれば、森は何らかの方法で振られた相手に対してアクションを起こす。
今回ミレーユが森を呼び出す事になったのも、森が何らかのアクションを起こす機会をこちらから与える事で証拠を炙り出すという目的があった。
そしてその考えが正しければ、そのアクションに対して先手を打つ形でミレーユにも出来る事はある。
「そうね、確かに証拠はない。だから一つ提案があるのだけど……聞いてくれるかしら、森先生?」
――――――――――――――――――
俺は、ミレーユが森先生と話している様子を、とある場所からこっそり観察していた。
「提案って、何だい?」
「私の考えが正しければ……今持っているんでしょう? 谷野さんから盗んだ物を。それを『何処かに落ちてた』とでも言って谷野さんに返す事で、六角さんの疑いを晴らしてやるからその代わりに付き合え、とか言うために私の呼び出しに応じたんじゃないの? もし私の言ったような内容の提案を貴方がするつもりだったのなら、乗ってあげてもいいわよ? その提案に。」
「……。」
前にも言ったように、これは一種の賭けだ。
森がこの提案に乗ってこなかった場合、または盗んだ物を証拠隠滅のため既に処分していた場合は証拠を出す事は出来なくなる。
そうなれば六角が学校から何らかの処分を下される可能性が高い。
もし証拠不十分で処分を免れたとしても、疑いを完全に晴らせなければ今後、他の生徒達から仲間はずれにされたりいじめを受ける原因となる可能性は残るのだ。
陸上部内だけとはいえ、今も嫌がらせを受けているというくらいなのだから。
そう逡巡しながら森先生の回答を待つミレーユ。
相手は随分考え込んでいる様子なので、ミレーユの発言はあながち的外れでもなかったのだろう。
暫くしてようやく、彼は口を開いた。
「本当だね? 本当に僕と付き合ってくれるんだね、ミレーユさん? なら、これを僕の方から谷野さんに返して六角さんの疑いを晴らしてあげるから、約束してくれるかな?」
ミレーユの発言を認めつつ、森先生が何かをポケットから取り出す。
取り出されたのは、スポーツ用のアクセサリだった。
そういえば、この学校の陸上部では部活中にもちょっとしたお洒落をするのが流行っているらしい。
六角は「お母さんが入院中で大変だからこんな物を買う余裕はない」と言っていたから、それも彼女が疑われる原因の一つになったのだろう。
俺はそんな事を考えながらも、複雑な表情をしているミレーユの様子を見守った。
「ええ、約束するわ。」
「わかった。でも、その前に」
谷野にアクセサリを返しに行くと言いながら、森は屋上を去るどころかミレーユの方へ近づいてきた。
至近距離まで近づいて、ミレーユの肩に両手をポンと置く。
「何かしら?」
「口約束だけじゃ簡単に信用するわけにはいかないからね。」
そう言ってミレーユの顔に自分の顔を森は近づけてきた。
ミレーユが少し焦った表情でそれを避けようとしたところで、屋上のタンクの影から俺は飛び出した。
「何してるんですか、森先生!!」
飛び出したのは俺だけではない。
屋上には人が影に隠れられる程のサイズのタンクが「複数」ある。
つまり。
「そんな……森先生がわたしの物を盗んだなんて。それに、本当に複数の女の子達に手を出していたなんて……。」
そう言って出てきたのは谷野だった。
その横には六角もいる。
今回、森先生を屋上に呼び出すに当たって、谷野も予め待機させていたのだ。
ここまで連れて来るための説得には骨が折れたが、森先生が六角やミレーユに間を空けずに告白していた事と、高橋から仕入れた「面白い」情報の2つを教えた事が決定打となり、渋々ながらこちらの提案に乗ってくれたのだ。
周りから俺達が飛び出してきた事は予想外だったのだろう、森先生は激しく動揺しながら
「な、なんでこんな所にいるんだよ……!? さ、さては騙したのか!!」
「騙したとは人聞きが悪いですね。先生は、六角や谷野達を騙したんですよ?」
ミレーユが森先生にキスされそうになっていたのを見て、俺は何故かかなり動揺してしまっていたが、ここでしくじっては意味がない。
深呼吸して気を落ち着かせながら、出来るだけ冷静に俺は切り返す。
そして更にトドメを刺すため、俺は高橋からもたらされた「面白い」情報を……正確にはその情報をコピーした一枚の紙を突き付けた。
そこに載っていたのは。
「ど、どうしてそれを!?」
そこに載っていたのは「やったぜ! これであの女に仕返しできる!」という文章と、一つのアクセサリの写真。
そしてそのアクセサリは、紛れもなく森が今手に持っている、谷野から盗んだアクセサリだった。
この写真は「ツイスター」というSNSにある、とあるアカウントのツイートを印刷した物だ。
噂話が好きな高橋は、暇があればSNS等を漁る事が多いらしく―――高橋が事情通であるのはこういった情報網を駆使して情報を仕入れているから、という部分が大きいのだが―――先週の土日も、暇だった高橋はツイスターを漁っていたらしい。
すると偶然「金髪で赤い瞳の超可愛い子が転校してきた」という内容のツイートを見つけたのだが、そのアカウントは今まで目にした事がなかった物だった。
その特徴的な容姿、更にツイートの日付から「ミレーユの事では?」と思った高橋は、新しい噂の情報源になるかもと考え過去のツイートを追った。
遡って見ていくとツイートの内容からどうやら生徒ではなく教師側の人間である事に気付いた高橋は、あるツイートを見つけた。
その内容は、
「茶髪ツインテールの高校生のガキに振られた。今まで女に振られた事なんかなかったのに……ムカつく! 絶対痛い目を見せてやる!」
(何や? この物騒なツイートは……まさか!)
森先生が六角に告白して振られたらしいという噂を既に仕入れていた高橋は、ツイートの日付からそのアカウントが森先生である事を確信した。
そして俺が今手に持っている紙のツイートは昨日の夜、高橋から教えられたツイスターのアカウントを調べて見つけたツイートを印刷した物。
「このアクセサリは何なんだ?」と思いつつも、万が一のために印刷して持って来ただけの物だった。
だが、今日谷野を説得する際にこの紙を見せたところ、このアクセサリが彼女の物である事が判明したのだ。
しかし、森がこのツイートをしたアカウントを自分の物だと素直に認めるわけがない。
彼がアクセサリを持って来ていなければ、このアカウントが森の物であるとは証明できなかった。
「今先生が手に持っているアクセサリはこの写真の物と全く同じ物です! さっきの発言も合わせて、これで言い逃れは出来ないはずです!」
俺は拳を握りしめ、大声でそう宣言したのだった。