玖 忠誠の印
――――――――――一方、晴明と道満は、炎雷のいうとおり頬を擦り合せながら低姿勢で走っていた。
「きっさまあああああっ! 今度の仕事は絶対俺が取るからな! じゃなきゃ俺が炎雷に八つ裂きに……!」
「知るかああああっ!! こっちだってなぁ、いい加減食べ盛りの男放っておいたら八つ裂きだわ!」
「食べ盛りって(笑)お前の弟子いくつだよ、高校生か阿呆(爆)」
「(笑)(爆)とかいうなぁあああああ!」
平安京は、今日も平和である。
「それでは、どうします? 私を倒して先に行きますか?」
女は、自分の背から長剣を流れるような動作で取り出して一度振る。細い刀身は、鋭く太陽の光を反射して刃の鋭角さを強調していた。女――――炎雷の口元が弧を描いて歪む。
「それとも――――貴方が私に倒されますかね?」
目の前の彼女の加虐的な瞳の色に、氷嵐の背中に戦慄が走った。鬼を思わせる赤い瞳が、肉食動物の狙いを定める目のようで本能的な恐ろしさが競り上がってくる。否、そこらに蔓延っている物の怪から発せられる恐怖感にも、彼女の存在自体が恐ろしい。いつもの彼女の恐ろしさと少々分類の違う恐怖感に、氷嵐は戸惑う。
「晴明様の、命令。ここは通しません」
「……命令な、改めて思うぜ。お前、絶対人間じゃねぇな」
「まぁ、否定しませんけど。中途半端で大っ嫌いですよ。自分が」
「中途半端……?」
「さぁ、始めましょうか。周りに被害は出したくないので手短に、小規模にいきましょう」
自嘲的に言う炎雷の言葉に違和感を覚えながらも、戦闘の意思を見せる彼女にならって氷嵐も玄武を構える。彼女と戦うのは2回目だ。彼女のスピードと脚力は人外並、その代わりスタミナは少ない。対して氷嵐は人並み以上のスピードと脚力、スタミナ、誇れるは力の差だ。これをうまく使えば、互角の戦いになる。まぁ、彼女にどれだけの力があるかは未知数だが、先日の戦いからみると、彼女の戦いには力は必要なさそうだ。
「手加減はしねぇぞ」
「……どうしましょうねぇ」
「黙れよ、そんな顔で笑うなっつっただろ」
あはははは、と眉尻を下げて笑ったような顔。しかし目だけは赤く見開いてぎらぎらしていた。氷嵐は不機嫌そうに顔をゆがめて地面を蹴る。炎雷がすぐに無感情に刀を受けた。しかし男の力、加えて上から飛び掛った彼には重力がかかり、炎雷の足が地面にめり込む。
その状態は彼女自身もまずいと思ったらしく、うまく朱雀を傾けて玄武を滑らせた。素早く横に避けながら、着地したばかりの氷嵐の体に回し蹴りを入れる。鈍い音がして彼の体が空中に投げ出されると、炎雷がすぐに追いついて地面に氷嵐の体を落とそうとした。
彼の真っ黒な髪の隙間からは、にやりと嫌な笑みを浮かべる口元がしっかりと見えたが、もう時はすでに遅し。
「鬼の子さんよ、そう焦るなって」
「お前……ッ!」
氷嵐の腹に落とそうとしていた拳をつかまれて、空中で上下が逆さになりながら落ちる。時にして数秒だが、炎雷にはとてつもなく長い時間に感じた。落ちるときに感じたのは、鈍い音。痛みは特にない。
「退け。今すぐ私の上から退け」
「……普通、そこは痛いやら、何やらじゃねぇのかよ」
「こんなもの痛いに入りません。だから退け」
「だからが繋がってねぇよ。……だが、元のお前だな」
「元……また私、見失ってましたか。晴明様ばかり見てましたか」
赤い瞳に長い睫毛の影が落ちる。不思議な目。数分前まで狂ったように瞬いていた彼女の目は、静かにそのなりを潜めていた。
「……なんで有耶無耶になってるんですか、早く退いてください。重いです」
「こうでもしとかないと、お前また戦うだろ」
「……分かりません。晴明様の命令は‘傷ひとつなく足止めをしていること’ですから。貴方次第でだいぶ変わります」
「へぇ、たいした忠誠心ですこと」
「嫌味ですか」
「確か‘鬼’は約束をきっちり守るんだってなぁ」
「やっぱり嫌味ですか」
「でも……‘鬼’、はそんなに疎まれるものなんでしょうかね。‘人間’はそんなに偉いものなんでしょうかね」
彼女は今日も忠誠心の印を担ぐ。