柒 灼熱極寒
「晴明様、あれほど執務はためるなと言っておいたのですが」
「いや、あのね……昨日は、珍しく梨花ちゃんが積極的で……」
「何を想像しているのかは存じ上げませんが、頬を染めて言わないでください」
早朝から、安倍家の敷地の中では炎雷と晴明の声が飛び交っていた。
昨夜、炎雷が妙な夢を見ながらぐっすりと眠っていたころ、晴明は期限の迫る書物をためながらも外へと出かけたのだった。それも出かけた先といえば最近彼が好いている女のところ。炎雷はにたり、と笑い嫌味満載で棘をさす。一気に刺すんじゃつまらない、少しずつ少しずつ攻めるのが彼女のいやなところだ。
晴明は、頭からまさに滝のような汗を流し、必死に筆を動かす。その動きはいつもの優美なものではなく、荒々しく紙の上を滑っていく。
「晴明様、この仕事はいつまでに持っていくんでしたっけねぇ」
「きょ、今日の、午の刻です……」
「晴明様、これどれぐらい離れたどこに持っていくんでしたっけぇ」
「ここから、牛車で四半刻の……っ、朝廷です……!」
「そうでしたねぇ。ところでここに積み重なっている書物、一月ほど前からたまっていますが、大丈夫ですかねぇ」
晴明はいびりに耐え切れなくなり、体力の消費も考えず式神を10体ほど、一気に呼び寄せた。髪の長い女、幼い鬼の子、痩せた老人……老若男女関わらず、様々な人ではないものが集まる。禍々しくも暖かい心を持った彼らが晴明に笑いかけながら筆をとっていった。最後に晴明の脇から筆を持っていったのは、美しい白狐の尾を持った女だ。
「晴明様、この方はもしかして葛の葉様でしょうか」
「ああ、母さん。呼びつけて悪いね」
ふるふると首を振って葛の葉はやさしく笑う。晴明が笑った顔とよく似ている。魑魅魍魎の端くれだとはいえ、れっきとした彼の母。やはり面影や印象はそのまま子に受け継がれているようだ。
「そういえば晴明様」
「なんだい? 炎雷も式神呼んでくれないかい?」
「嫌ですよ、わたし苦手ですもん。そんなことより、あの、依頼主の方が用心深いようで、どうやら蘆屋の旦那にも同じ依頼をしているようですよ」
「道満なんぞに負ける俺じゃねぇえええええええええ」
「それはそれは、ようございました」
作業スピードが、彼の妖力とともに格段にアップしたのは言うまでもない。
と、陰陽師二人+式神10体ほどの体制で何とかやり終えた書物を抱え、安倍の立派な門から出ると、青い顔で晴明がからからと笑う。その目に生気はない。
「は、は、は、日光が痛い」
「晴明様、変なほうに思考トリップしないでくださいよ」
すると、本当に何の偶然なのか、向かいの立派な邸宅の主――――蘆屋道満が晴明と同じような雰囲気をまとってよろよろと出て来た。後ろにはあきれたように眉をゆがめた彼の弟子が。
「蘆屋の弟子、お前も苦労人だな」
「お互い面倒な保護者を持ったもんだな……と言いたいとこだが、午の刻まであと少しだぜ、道満さん。もう牛車でも間にあわねぇよ」
道満と晴明は彼の言葉に固まる。その量が残っていて間に合うとでも思ってたのか、と弟子二人が呆れているものの動く様子はない。晴明の目の前で手を振ってみると、数秒遅れて反応を示した。
「……炎雷、道満の野郎を蹴落としてでも、この仕事は取るんだ」
「御意」
「氷嵐、あいつらは構うな。なんとしてでも依頼をとれ」
「もちろんですぜ」
炎雷の耳には、確かに蘆屋の二人の会話が入った。自分の師匠と相手は同じ思考か、と頭を抱えつつもにやりと笑って、骨をばきばきと派手な音を鳴らして動かす。
「晴明様、それでは掴まっていただけますか?」
「え……まじで姫抱き? 俺も一応おっさんだよ? おっさん!」
「根に持ってるんですか、すいませんね。戦闘になったら降りて走ってもらうので、それまでは時間稼ぎをするために一番早い方法を取らせていただきます」
ジト目で睨む晴明を抱えながら自分の愛刀が背にあることを確認する。それから蘆屋の二人に背を向けて手を振った。晴明が彼女に片手で抱えられていることについてはもう何もつっこまない。所詮横抱きだ。
「では、蘆屋の旦那様、方相様。お先に仕事はいただきます」
「あ、待て!!」
「ばーいばーい」
切羽詰ったような道満の声に満足したようで、にっこりと笑う男と空に舞うように飛び上がった女を氷嵐は見つめて、まじめな顔で言った。彼らの青と白の衣装の裾が、風圧でなめらかに翻る。
「道満さん、俺らもアレやりますかね」
「男同士で?」
「……依頼は……」
「よし、早く行くぞ! ぐずぐずするなよ!」
赤と白の衣装も、後を追って風に舞う。
「つーか、早ぇ……」
京の都の空を、赤と青が舞う。
午の刻は、大体現在の正午(±1時間)ぐらい。
四半刻は、大体30分と考えていただきたいです。