陸 冥界の鴉
――――――――寝ても覚めても、夜は明けぬ。
『炎雷よ、鬼の子よ』
炎雷は、また夢の中をさまよっていた。暗い、暗い、真っ黒な世界で声が聞こえる。地を這うような、低い声。
『炎雷よ、人の子よ』
また同じ声があたりに響く。すると、腹の辺りがずん、と重くなるような威圧感が彼女を襲った。内臓が圧迫されて、答えるための声どころか息すら吐き出せない。
『貴様の首の物、陰陽師から授かったものか』
首の物……三つの大数珠のことか、と迫り来る吐き気とは裏腹に冷静に考える。声の主は誰だ。禍々(まがまが)しく、物の怪程度ではない大きな妖気と憎悪。
『答えぬのか』
「――――ぃ、き、がぁ――――」
『鬼の子、貴様そのように弱い体であるのだな』
「ぉ、に、では、な、ぃ」
『そうかそうか、そう睨むな』
睨むな、とは彼(もしかすると彼女かもしれないが)は近くで様子を窺っているのだろうか、と炎雷は思いを巡らせる。すると、急に威圧する力が身体から遠のく。それにしても、彼女が立っている場所は少しずつ赤い色に染まり始め、熱を孕んでいた。炎雷は少し咳払いして、黒い世界の彼方を見る。
「……お前はどこにいる」
『私のことか』
「いかにも。お前は私が見えているのに、私にはお前が見えないとは、対等の立場にない」
『ほう、生意気な娘よ』
ふ、と小馬鹿にしたような鼻にかかった笑い声が漏れる。
『我が名は閻魔羅闍。この地獄の主と対等であろうとは、肝の据わった女よ』
閻魔羅闍。それは冥界を司る王、閻魔大王として知られる、神。死者の生前の罪を裁く人間の祖となる者。
ふいに、炎雷の目の前の闇が揺れて、黒い光を帯びた物体が浮かび上がる。じきにそれは長身の人の形に変わっていった。
「……細い、若い」
『我をどんな姿だと思っていたのだ』
「……大きい、おっさん」
『娘、地上のことをあまり信じるでないぞ』
冥界の王は思った以上に優男だった。カラスの濡れ羽色の髪を長く伸ばし、すべて後ろに流している。道服は黒で統一されており、瞳は金色。まるで、黒い鳥。そう、不吉の象徴。
「鴉みたい」
『ふ、冥界のものは皆‘鴉羽’と呼びおるわ。あながち間違いではない』
目を細めて、愉快に言う彼は地獄の王だとは思えない。そんなことを思っているうちに、足元の熱はじりじりと温度を増していく。まさに焼け付くようなそれに、炎雷が顔を苦くゆがめる。
「鴉羽、ここはどこ」
『ここはお前の夢の中だが』
「まだ冥界ではないのね?」
『そうだ。だが、その紅を潜ればすぐにお前も死者の仲間入りだ』
にたり、とニヒルな笑みを浮かべながら彼は炎雷の足元を指差した。
「わたし死んだの?」
『いいや? 死んではないが、ちょっとおしゃべりに来た』
(おしゃべり……)
「早く帰りたいんだけど」
『その大数珠とってもらおうと思ってな』
「……なぜ?」
炎雷独特の熱気を持った殺気が鴉羽を突く。彼は、炎雷のぎらぎらした目に微笑を浮かべた。
『まぁ、今回は帰ってもいいだろう』
「なんで上から目線なんだよ。何様だ」
『閻魔大王様』
炎雷が敵意がむき出しなのに対して、鴉羽は余裕そのもので笑う。
「帰る」
『せいぜい、鬼追いの男に気をつけるのだな』
「……言われなくてもそうするよ」
『殺されるでないぞ』
炎雷の意識は、にやりと笑った冥界の王の映像を見たきり、暗黒世界に閉ざされた。