伍 背後の顔
かごめかごめ、籠の中の鳥はいついつ出やる、夜明けの晩に鶴と亀が滑った
『後ろの正面だーあれ』
――――――――――――――――――鬼の子だ!
痛い、やめて、鬼じゃない! わたしは、わたしは、 わたし?
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夢見が悪い、そんな言葉がしっくりくるような目覚めだった。氷嵐とぶつかり合った後、自分がどうなったかが霞みかかったようにぼんやりとしている。体中から大量の汗を流していて、衣が体にへばりついていた。炎雷は汗を流すために井戸へと足を運んだ。
今夜は満月だ、外に出ると黄金色が炎雷を見下ろしている。月のかけ方から、どうやらあの蘆屋の弟子である男と戦ったのは今日の昼のことのようだ。冷たい水をくみ上げて足にかけた。ひんやりとした水で火照った体と頭の中が、じんわりと冷めるような感覚がする。
炎雷は、昼間の男の姿を思い描いた。玄武、自分と同じ四神剣を操り、自分とは真逆の‘鬼追い’の立場にいる。まるで陰と陽。はて、どちらが陰なのやら。だが、刃を交えたときのあの高揚感、あれは――――――。
「水浴び、しねぇのかよ」
「! 蘆屋の、弟子」
「……氷嵐だ、てめぇ覚えろよ」
「なんで、ここに」
「陰陽寮からの帰りだ」
どうやら桶を抱えたまま考え込んでいたらしい。蘆屋の弟子――――――もとい、氷嵐の気配に気付かないほどに現を抜かしていた。
「だからって、なぜ、安倍の敷地に」
「……心配しちゃ悪ぃかよ」
きょとん、と音がしそうなほどに炎雷が首をたおす。時に野生的な鋭さを帯びる彼女の目もこのときばかりは、皿のようにしている。それに対して氷嵐は決まり悪そうに目を背けている。炎雷は薄く笑う。
「……なんだよ、心配してちゃだめか」
「――――――貴様、頭でも打ったか」
「てめぇ、今の雰囲気なんで壊すわけ? 今頑張っていい雰囲気にしたじゃねぇかよ」
「お前の思い通りになってたまるか」
笑うのをやめた彼女は、またいつものおかしな笑顔になった。一般的には美人の類に入る彼女の、偽りの笑み。様になるが、氷嵐はそれに顔をしかめた。薄暗い中、炎雷の輝く銀髪を頼りに近づくと、強引に肩を持って自分のほうへ体を向けさせる。昼のときと違い、炎雷の肌は、
(……冷てぇ)
「なんですか、放してください」
「その顔、やめろ」
「その顔――――いや、もともとこんな顔なのでそれは――――」
「違ぇ、ちゃんと笑え」
「―――――――――――ちゃんとわらえ、ですか」
今まで、大きな変化のなかった炎雷の顔に少しばかり驚きの色が浮かんだ。いつもは遠くを見る彼女の目が、今は確かに氷嵐がそれに写りこんでいて、赤い瞳がゆらゆらと不安げに揺れる。
「分からないんです」
「……?」
遠慮がちに口を開いた彼女は、息を呑むように呟いた。
「今まで、笑えといわれたことなどないんです」
「は、鬼だからって、仲間がそんな」
「わたしは、わらうことを、ゆるされてすらいなかったのです」
だんだんとつむがれる言葉がたどたどしくなっていく。それでも赤い瞳は、無感情に氷嵐を写す。そう、彼女は最初から人間たちのことなど見ていなかった。
「わたしは、にんげんのせかいにはいることは、ゆるされなかった」
「お前、鬼だろ? 人間のところで暮らす必要なんて」
「なくは、なかったんです。――――――――――――なかまは、しにました。みやこのやくにんにころされて」
「、悪かったな……こんな事聞いて」
「いえ、私は人間では、ないので」
彼女は人間たちを遠くの空と同化させて、遠い世界として己の目に写していた。
まるで一枚の風景画。己は紙の外の住人。ほかの者とは交われない。
「蘆屋の弟子、夜も更けました。お帰りください。『貴方の場所』はここではないでしょう? ――――――方相氷嵐」
「――――――――――――ッ」
その言葉がどれだけの意味を含んでいたのかは分からない。単に帰れという意味なのか、もしくは――――――――。
「ごきげんよう、蘆屋の弟子」
彼女は、にっこりと笑って――――――否、笑顔に酷似した表情で氷嵐の後姿を見つめていた。