肆 朱雀の熱
方相氏――――――。
彼らは「鬼やらい」と呼ばれる、鬼払いの儀式を行う一族だ。平安の世では、宮中で大晦日にその儀式は行われる。ここで刀を振るう氷嵐とよばれる男も、どうやらこの一族のせがれのようだった。
「おい、雌鬼!」
「……わたしは人よ。いい加減その呼び方やめてもらえる?」
「、やっと厄介な口調をやめたか。でも、鬼ってことはあたりだろう? 臭うぜ、鬼」
「失礼ね、わたしは人間の子。貴方だって、わかってるでしょうに」
まるで、重力がないかのように軽々と玄関の横の塀に跳びのった炎雷に目を丸くした氷嵐は小さく舌打ちをした。懐から呪符をとりだして九字をきる。
「臨・兵・闘・者・皆・陳・烈・在・前!」
素早く唱え、呪符を刀で突くと、呪符からは美しくも鋭い氷の結晶が突き出した。炎雷の式服の足元が、薄く切られたものの彼女特有の素早さで直撃は避ける。
「……人のことなんだと思ってるの、私は妖怪じゃないのよ」
「鬼、だろ。方相氏の俺が祓って何が悪い」
「……ドヤ顔されてもなぁ……、方相氏の末裔、貴方どれだけわたしを鬼にしたいの?」
「鬼にしたいっつーか鬼、安倍のおっさんもわかってんだろ」
「おっさ……っ!!」
「晴明様……、すみません事実なのでフォローできません」
「ねぇねぇ炎雷ちゃん、氷嵐くんが言ったのより傷ついたのは、俺の気のせいかな」
「そうですね、気のせいです」
「――――――――っ」
晴明は、頭を抱えて庭にある灯篭の裏でしくしく泣いた。その姿を見て、道満が爆笑していたことにはもうツッこめる人は残っていない。炎雷と氷嵐はお互いをじっくりと見ると、どちらからともなく走り出す。風を切るような鋭い音がした後に、金属がこすれあう鈍い音が絶え間なく鳴る。
「炎雷とかいったなぁ。お前、陰陽師の端くれだろ? 呪符使わねぇのかよ」
「あら、ごめんなさい。貴方が予想以上に強かったから、もう力が残ってないの」
「……遠まわしにお褒めに預かり光栄ですぜ、炎雷さん」
(じゃあ早く負けろよ)
少々、本音を心の中に残しつつも氷嵐が刀をもう一度構えなおすと、炎雷は力なく笑って朱雀を鞘に戻す。そのまま丸腰で氷嵐に近寄り、驚いている彼の前にひざまずいた。
「――――――申し訳ございません、氷嵐様。私の負けにございます。どうかこの女を哀れんで、勝負をやめていただけませんでしょうか」
「……は、お前、自分が何してるのか分かってやってんのか?」
「っ……はい、私のような弱きものに関わらず、もっと高みを目指してくださいませ」
「――――――そういうことかよ」
解せない、と驚いていた彼は、腹に笑いを押し込めたような表情をして言う。炎雷は長い髪を高い位置でひとつに縛り上げて、先ほどはずした大数珠を素早く首にかけた。時折、苦しそうな表情をしながらも氷嵐を見つめる。
「‘方相氏’には、近寄ってほしくないってねぇ」
「……お好きな、考え方をなさってくだされば結構です」
「またその口調に戻ったな、直せ」
「直せと言われましても、貴方は私の主ではありませんし、これが元々です」
「そんな気持ち悪いやついてたまるか」
「いや、実際にここにいるんですが。結構傷つきましたが、あの。もう帰っていいですか」
「だめだ」
「聞いた私が馬鹿でした、帰らせていただきます。そして貴方も蘆屋の旦那様をつれて帰ってください。そして、もう、近寄らないで、くだ、さい」
「お前、どうした。顔色がとんでもねぇぞ」
乾いた音が鳴る。
「……触るな」
だんだんと、息が荒くなっていく炎雷をさすがに心配し始める氷嵐を鋭く睨みつけて伸びてきた彼の手を叩き落した。彼女は、ぼぅっと突っ立っている氷嵐に踵を返し、晴明をひきずって家の中へと入っていった。残された氷嵐は、己の手を見て呟く。
「なんであいつの手は、あんなに熱かったんだ」
彼女の冷たい手が、朱雀に侵される。