拾捌 月に微笑
――――――――鈴姫様、ごめんよ。
「炎雷! いい加減冷静になれよ!」
「晴明様? 何言ってるんですか、私は冷静ですよ?」
「じゃあ『朱雀』をしまえ! 何する気だ!」
「消すんだよ」
また、地の轟くような声。
炎雷の口元から犬歯がのぞいている。凶暴な顔。おもわず晴明は口をつぐんだ。
「鈴姫さんよ」
にたぁと笑って、びくりと震える鈴を見やる。座り込んでいる鈴の体が震えるごとに、身にまとう着物がさらさらと畳をなでた。獲物になった、鬼。
「はやく地獄でも行ってくださいよ」
陰陽師がすがすがしいほどに微笑んで、鬼は控えめに首を横に振る。
「地獄って恐ろしいですよぉ」
「その舌を引きちぎられて、」
「その白い肌をそがれて、」
「その瞳をえぐり取られて、」
「その髪をそぎ取られて、」
「体中の骨を折られて、」
「その身を地獄の業火は焼くんです」
「罪なまでに嫉妬深い、貴方の骨の髄まで、ね」
「それともどうですか」
「私が滅してあげましょうか」
「この鬼避護符で」
薄いお札――――――氷嵐から受け取った鬼避護符を袖から出して構える。鈴は青い顔をして冷や汗を一筋ながした。だが、唇を強く噛んで、叫んだ。
「――――っ、いやよ! 私は基実様に会うために、おかしな妖と手を組んだんだからっ! 基実様に思いを伝えるまで、絶対に地獄になんか行かないわ!!」
「いよォし、合格」
くく、と嗤った声が聞こえて一拍。とぼけた明るい声が鳴った。
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「ったく、晴明様。私の事信用してなかったんですねぇ、今回の事でよくわかりました」
「いやーそういうことじゃぁないんだよ」
「蘆屋の弟子にこっち向けって言ったのも晴明様でしょ。一番風呂は譲ってください」
「……ど、どうぞ」
近衞邸には未だ眠ったままの基実と、炎雷に大胆にも啖呵を切った鈴が二人だ。後数分もすれば基実が目覚めるだろう。すっかり月も昇り、深い青が晴明たちを見下ろしている。
炎雷は、数十分前の出来事を思い出してくすりと笑う。あの場にいた(意識があった)一同が焦ったであろう炎雷の行動は、すべてが本人による狂言であった。すべてがうまくいきすぎて途中で怖くなった。
「だから言ったでしょう『私が冷静じゃないとでも?』って」
「……私だって気づいていれば、道満の弟子に金払わなくたってよかったのに」
晴明がぼそりと暗い表情でつぶやくと、炎雷が呆れたように言う。
「……蘆屋の弟子も気づいていたみたいですよ」
「……は?」
「先ほど金子をもって飛び回ってましたから。『晴明のおっさんのおかげでタダ酒が飲める。あの人が鈍感で助かった』ってね」
「っち、あンの若造がァァァァァアァッ」
「こちら若造ですぜ」
「てめぇ! 返せ! 俺の給料を返せ!」
「……今日、道満さんが起きそうにないんで、酒盛りでもどうっすか」
「是非御呼ばれさせてください」
「扱いやすい人だな……(という心の声)」
炎雷たちの隣りへ、道満を背負いながら氷嵐が現れる。すぐに晴明は食ってかかるが、すぐに丸めこまれてしまった。
「蘆屋の弟子、私も行ってもいいでしょうか」
「おー、好きにしろ」
「ありがとうございます」
「(父様、母様。私はそれなりに頑張っていますよ)」
人間のざわめきを聞きながら、少女は静かに月を見た。
これにて一応一章・壁の手編終了です。




