拾肆 白刃の掌
ぎりぎり、とそんな言葉が似合いそうな締め付け方だった。突如、壁から現れた腕は、炎雷の細い首を引っつかんで気管を握りつぶさんとする。炎雷は苦笑いをしながら巻きついた手を見た。
「……晴明様、あの、見ておられないでどうにかなさってくださいませんか」
「、悪い。ちょっと、突然すぎてついていていけなかった」
「年じゃないですか」
「もう俺知らないから。自分で取れよマジ。絶対手伝わないからね」
「はいはい」
炎雷は、首に巻きついた手を、無いものかのように軽やかに立ち上がる。首に巻きついているものを見てしまうと、結構シュールな場面だ。彼女は静かに目を瞑り、左手を前に突き出して空中に晴明桔梗印――――いわゆる、五芒星を描いた。目を見開いて、よく通る声で自分へと巻きつく腕に叫ぶ。
「オン・バン・ウン・タラク・キリク・アク・ソワカ! 冥界の紅蓮よ、わが障壁となる万物を焼き尽くせ!!」
五芒星の中心を彼女の指先が突いた、刹那。何かが爆ぜるような音がして、視界が白くなった。周りは静寂に包まれ、炎雷と晴明を除く者が微かに目を細める。また、瞬間。深草色をした畳の上に、白い手が落ちた。
「うぇ、単体で見ると気持ち悪ッ」
「お前、切り落とした本人なのによくそんなこといえるな」
「蘆屋の弟子……まぁ、気持ち悪いのは事実ですし。嘘は言えませんよ」
「――――――――――――っ、気持ち悪い、気持ち悪いって、いっくらでも再生できるんだからね!」
「――――――――見ぃつけた」
例の壁の中から、鈴を振るったような声がして、艶やかな黒髪が揺れているのが見えた。炎雷はそれを確認すると、にたぁと凶悪な笑みを浮かべながら、素早く壁に五芒星を描いて、呪文を唱える。すると、真っ白な壁がゆがんで真っ黒な空間の入り口を生み出した。
「オン・バン・ウン・タラク・キリク・アク・ソワカ! 鈴姫さぁん、ちょいと任意同行願いますよ」
炎雷が呪文だりぃな、なんてぼやいたのが道満の耳に入ったが、晴明は顔を背けている。現実逃避。彼女は自分の開いた空間――――幾千万の星が輝く宇宙のような――――みるからに異空間に躊躇いもなく、さらさら冷静な顔で手を突っ込んだ。異空間は、異端者の手を飲み込むと、拒絶するように黒い髪の毛のようなものが、うねうねと腕に絡みつく。まるで、そう。想像したくないが、排水溝に手を突っ込んで掃除しているようだ。
「痛い、痛い、痛いッ! ちょっと、アンタ陰陽師でしょ! 上級魔なんだから丁重に扱ってよね!」
「首絞めてきた人――――違った、妖の癖して贅沢言わさんな」
ずるずる、と腕に絡みついた物体までもを引っ張り出した炎雷は、片眉を吊り上げる。手には黒い物体――――いわゆる妖の髪の毛なのだが――――が絡みついたまま。現在、彼女の右腕とドッキングしているのは、しかめっ面した自称・上級魔の鬼女の小奇麗な女の頭である。
「なぁ、近衛さん。もしかしてアンタの好きな女って、アイツじゃねぇか?」
「――――――――――――そうだ」
鈴、と炎雷たちから少し離れた場所にいた基実が呆然としたように言う。炎雷と女どうしの戦いを繰り広げていた(所詮、一人相撲ではあるが)鈴姫、基実の言う鈴ははっとしたように彼を見つめ、ふんわりと微笑んだ。
鬼女、おおよそ嫉妬に狂った女の成れの果ての存在が見せる笑顔には、不自然なほど花のように笑う。
「近衛様、御久しゅうございます」
鬼と人の遅れた逢瀬とは、また珍しい。




