蓮華院参道
宰貫堂半裂という名前は北面武士らしい名前だ。
「近衛」と称していようが、北面武士は金で命を捨てる集団であり、気性は荒く桜都の気風とは相容れない。その意味においては、武士も野伏も大差ないものと言えた。大違いなのは、野伏が地に伏せ陰に潜むのと対照的に、武士は常に自らの剛勇を喧伝しなければ気が済まないという点だ。
武士が北烏道と氏雲道に赴くのは、未だ統治の安定しない土地で賊を討ち、恩賞を得ようとしてのことに他ならない。だから武士は自分がいかに強く、どれだけの敵を撃ったのかを、「一人が百人」式に言って売り込むのだ。当然のことながら、名前も強く恐ろしげなものを嗜好した。武士には伝統的に「悪字姓名」と言って、「悪白川虎麻呂」だとか「首塚悪王丸」のように悪の字をつける慣わしがあった。
悪は正の対称ではなく、強烈な、武勇に優れた、という意味で使われる。だが、皆が悪字姓名を名乗るので、昨今では「悪」に昔並みの印象はなくなってしまった。そこで、最近では天津ヶ原諸国や震旦国に知られた怪物の名を名乗ることが流行っていた。宰貫堂半裂の半裂も、唐竹に割られてもなお生き続けた大山椒魚の名前からだ。
朝日が輝きを放つ頃には、僕と摩利は蓮華院の参道に到着していた。
「どのような方ですか?」
と、摩利が宰貫堂のことを尋ねる。
「荒くれ者だが、根は正直な奴だ」
「でも武士とは恐ろしい人たちだと聞きます」
「大丈夫だよ。武士は戦う相手を知る者たちだ。宰貫堂も北面武士の端くれだから、礼を尽くせば嫌は言わないし、誰よりも頼りになる」
そう言うと、僕は摩利の頭巾から垣間見えた髪を直した。
蓮華院の参道には薄紅色の仏旗が左右に並んでいる。西の大広場から鎮護石を抜けると、そこは大樹の森だった。桜都にいるとは思えないほど鬱蒼とした緑の奥に、大師の住まう護国総寺蓮華院はある。
森には救世を求めて人々が集まり、布や枝葉で雨露を凌いでいた。いずれも貧しい者たちで、蓮華院が日に二度配る草粥に頼って暮らしている。そうして仏僧は功徳を積み、貧者は苦界を生きていくのだった。
参道を歩く僕と摩利に、彼らの視線が集まる。蓮華院が貧者を飼うのは、功徳の他にも、仏敵を退けるためでもあった。寺社野伏の代わりであり、盗賊の類に大師が脅かされないように、四六時中参道を守っているのだ。だが、寺社野伏ならば理由なく人を捕らえて金品を奪うことがあるものの、森の貧者はそのような真似はしない。ただ両方の目で見続けるだけだ。
摩利は少し怯えているようだったが、僕は心配しないようにと呟いた。
さて、花蜘蛛はどこにいるのだろうか?
「花蜘蛛なら、道丸様のすぐ側に」
不意に話しかけられて、僕は驚いて振り向いた。
「花蜘蛛!」
「いつまでも気付かれないので、どうしようかと」
「じゃあ、もう少し優しく気付かせてくれよ」
「蜂は耳元でしか羽音を感じさせないものなので」
花蜘蛛の露わになっている唇が微笑むかたちになった。
摩利は僕の後ろに隠れている。昨夜は野伏館に来ていたとは言っても、花蜘蛛と摩利は今が初体面だった。桜都でも目立つ異形の蠱毒師に、見慣れていなければ誰でも同じような態度をとるだろう。花蜘蛛は泣く子をあやすのも慣れたもので、屈んで視線を合わせると、優しく話しかけた。
「道丸様から話は伺っています。あなたが摩利ですね」
「……はい」
「私は倶利伽藍門の衛士の子、蠱毒師の花蜘蛛と知ってください」
「はい」
花蜘蛛が摩利に蜜飴を手渡す。
「蜜飴はいかがですか?」
「あ、甘い……です」
「宜しくね」
それで二人は打ち解けた。倶利伽藍門の蠱毒師は、衛士の傍ら蜂蜜で作った丸薬や蜜飴を売り歩いていて、花蜘蛛もそれらを持ち歩いている。考えてみれば、牙陀王や宰貫堂半裂も蜜飴で釣られた口だった。子供と仲良くなりたいのなら甘いものを食べさせるのが一番、と花蜘蛛は僕に視線を送りながら、そう語っているようだ。
花蜘蛛は僕と摩利を半裂の住まいに案内すると言った。北烏道から帰還したばかりとは言え、蓮華院の参道で生活しているのは奇異に思えたが、とにかく会うのを優先しよう。参道から脇に逸れて、森の中に足を踏み入れると、貧者らが肩を寄せ合って横になっているのが垣間見えた。森は樹々が生い茂り、それは人の姿を隠しているのだ。
間違って彼らを踏まないように、慎重に進んでいくと、花蜘蛛のほうは僕らを待たずに先へと進んでしまう。森は蠱毒師にとって故郷も同然なのだろう。その歩みには一切の危なげが感じられなかった。僕は摩利を背負うと、花蜘蛛の姿を見失わないように急いだ。
「花蜘蛛!」
「こちらです道丸様」
花蜘蛛が手招きしている。
「歩くのが速いよ」
「道丸様が遅いのでしょう」
「ほら、僕には摩利がいるんだよ」
背中の摩利を花蜘蛛に見せた。蜜飴を口に含んだままの摩利を見て、花蜘蛛も思慮が足らなかったと思ったようだ。
「申し訳ありませんでした。でも、道丸様。もう歩く必要はありません」
「ここが半裂の住み家か」
「はい」
そこは蓮華院の森の中でも、一際巨大な樹木の袂だった。朝日が昇って少し経つが、枝葉に日の光が遮られて暗く肌寒い。ここにも粗末な寝床が営まれていて、大市の際に出た廃材で組まれた小屋などが、二十ほども固まっていた。花蜘蛛は小屋の一つに入っていった。
僕らも後に続く。
「おはよう、半裂殿」
「朝早くから何用だぁ」
小屋の中では横になった宰貫堂半裂が不機嫌な声を上げながら、今まさに起き上がろうとしているところだった。
「まさか忘れたわけではあるまい。野伏館の道丸だ」
「道丸? あの道丸か?」
半裂が暗がりから現れた。黒墨を塗った鎧を身に纏い、弓矢や金棒を周りに置いて、常に戦える状態にしている。そして宰貫堂は僕を一睨みすると、胡座をかいたまま難儀そうに首の骨を鳴らした。
大きくなっている。
僕は久しぶりに再会した半裂が、頭一つ分ほども背が高くなっていることに驚いた。北面武士として北烏道に行く前は差がなかったのに。僕の身長は五尺五寸で低くはないのだが、半裂の身長は六尺を超えているようだ。それが小屋で手足を丸めているのだから、随分と動き難そうだなと思った。
「道丸じゃないか! おうおう、相変わらずの優男だ」
「僕のことはどうでもいいよ。それよりも……」
「うん? どうしたんだ」
「あ、いや。久しぶりに会ったら、大男になっていたので人違いかと思ったよ」
半裂は大きな声で笑った。
「そうか、驚いて声も出ないって感じだよな。俺自身、こんなに大きくなるとは思わなかったんだが、北烏道で肉ばかり食べていたのが原因らしい。北面武士としちゃあ、まあ並だが、そこらの小者どもが恐れて逃げ出すには十分だ」
「性格のほうは相変わらずだな」
「お前も、その減らず口は相変わらずだ。会いたかったぜ、道丸」
「僕もだ。半裂」
僕らは差し出した腕を互いに叩いて、一年ぶりの再会を祝った。
宰貫堂半裂の北烏道馬企国での働きを詳しく記そうと思えば、万字を費やしても不足するほどだ。だから簡単に要約するが、半裂の北面武士としての初陣は地方豪族の乱の鎮圧だったらしい。急峻な山城に籠もり抵抗を続けていた豪族に対して、半裂は弓を射れば百発百中、金棒を振れば一振十殺の勢いで戦ったという。
それから、北方から来る海賊の討伐や、蝦夷の平定などに従軍した。半裂の身体には、無数の切り傷や痣が今も残っていて、馬企国での戦いの激しさを物語っているようだ。
北烏道は天津ヶ原諸国でも「乱多き土地」として、常に戦火に見舞われていた。一つには荒涼とした土地に根付く作物が少ないということと、もう一つには帝の統治を良しとしない気風が、乱を呼び込むのだ。
馬企国の場合はさらに、北辺を海に面しているため、天津ヶ原諸国の外から襲来する海賊に悩まされていた。中央から派遣される正規軍だけでは到底対処できず、宰貫堂半裂ら北面武士の働きがなければ、六道は五道に、六道使は五道使になっても不思議ではなかった。
半裂は竹筒に入った水で咽を潤すと、僕らのを一人ずつ見渡した。
「俺が帰ってきているのは知っていただろう?」
「いや、知らなかった」
「野伏も偉くなると、武士とは距離を置こうとするのかねぇ」
皮肉な言い回しだが、憎らしさが感じられないのは半裂の性格ゆえだった。六道使としての修行をすることになったと言ってみたが、興味がなさそうに返事をするだけだ。なおかつ彼の目は、僕の後ろに隠れている摩利に移っていた。
「その小さいのはなんだ」
「摩利だ」
「お前の子か?」
「だとしたら、荒くれ武士の住まいなんかに連れてはいかないさ。摩利は、東の大市で大袋に攫われようとしていたところを、牙陀王とで助けたんだ。色々あって、今は僕が保護している」
「面白そうな話じゃないか。大袋は嫌いだ。奴らは、子供を攫う鬼にも等しい」
「ところで、お前は何でこんなところに住んでいるんだ?」
粗末な小屋に住むほど北面武士が困窮しているとは思えないし、何よりも北烏道から桜都に帰ってきたばかりだから、手持ちの路銀くらいはあるだろうに。
そう思ったものの、宰貫堂半裂は野営に身体を慣らすために、あえて森の中で生活しているのだと答えた。北面武士の中には、桜都に邸宅を持つ者もいたけれども、一年の過半は辺境の地で戦闘に明け暮れるのが普通だった。野営ともなれば、地面に伏せ、風雨や虫の羽音に耐えなければならない。半裂は桜都の中でも辺境に近い環境を選んで、こうして身体を鈍らせないようにしているのだ。
つまり、半裂はすでに次の仕事に取り掛かろうとしているのだろう。
「どこに行くつもりだ?」
「さあな、雇い主様が行けと言った場所ならどこへでも。氏雲道の山奥でもいいし、南泰道の島でも構わないさ。道丸も六道使として旅をするようになるんだろ? だったら野伏館などよりも、こういうところで暮らしたほうが身体の為にもなるぜ」
「一理あるな」
「俺は理のあることしか言わねぇんだ」
と、再び半裂が笑い声を上げる。
「それで、今日は挨拶しに来たわけじゃあないんだろ?」
「察しがついていたのか」
「当たり前だ」
「お前の腕を借りたい」
僕は単刀直入に切り出した。半裂は笑顔を元に戻すと、好戦的な目付きをする。昔から、血に飢えた狼のように荒事に飛び込む性分だったが、それは北面武士になってから更に研ぎ澄まされたようだ。
「腕を借りたいときたか」
「摩利が外道の輩に狙われているんだ。今日、牙陀王の葦社に誘い込んで、そいつらを一網打尽にする。しかし、僕らだけでは手が足りなくてね。摩利を守るためには、人数が欲しい。宰貫堂半裂は一騎当千の北面武士だから、数の不利を補うために、ぜひ助力をお願いしたいと思い、今日は尋ねたんだ」
「なるほどね」
半裂は頷いた。
「私からも、お願いします」
「花蜘蛛も戦うのか?」
「葦社に誘い込むというのは私の策ですから。戦いの場へは、道丸様とご一緒させていただこうと考えています」
「あんたは、昔から変な女だと思っていたがね。分かった。そう言うのなら、俺も腕を貸してやろうじゃないか。俺が北面武士として、道丸、お前とどれだけ差をつけたのか見せてやるのも悪くはないさ」
「仲間になってくれるのか?」
「ああ、銭次第だが」
銭、と言われて、僕は目を見開いた。半裂は「言うまでもないだろう」という表情をしている。やはり宰貫堂は北面武士になったのだなと、この時に僕は実感を得た。予想をしていないわけでもなかったが、昔の友誼が通用するのであれば、それを通したかったところでもある。
しかし、仕方ない。
「幾らだ?」
「北面武士の相場は真銭二十枚からと決まっているんだ」
「高いだろ。半額にしろ」
「おっとそう来たか。だが、こちらだって益のない戦いに腕を貸そうって言うんだ。その摩利って稚児の価値が、真銭二十枚よりも下るっていうのなら、俺は動かないね」
「十五枚」
「……仕方ねぇ。十八枚だ」
「よし、傭った」
僕は半裂に前金として真銭六枚を手渡した。残りの代価は疋丞らを撃退したときに支払う。そして半裂が殺した者の身包みは、半裂のものにしてよいことなどを決めた。北面武士相手には、初めに事細かな約束をしておかないと、すぐに反故にされてしまうから注意が必要だ。半裂がそうだとは思わないけれども、これから北面武士を傭う局面があるやもしれず、その練習も兼ねていた。
取り決めをした後で、一時的な主従の契りを結ぶ。宰貫堂半裂が持つ割り符の片方を手渡し、これがある限りは、僕の臣下として仕えると言う。
そして吼えた。
「うし! 全て俺に任せておけ!」
銭と武具を掴んだ半裂は、勢いよく立ち上がり、天井に頭をぶつけてしゃがみ込む。
「いたたた……」
何をしているのかと思う僕と花蜘蛛の目の前で、照れ臭そうに頭を撫でて、弓と金棒を持って小屋から出た。外に出てみると宰貫堂半裂の堂々とした巨躯が栄える。黒墨を塗った鎧に、鬼が持っていても不思議ではない金棒を肩に担ぎ、弓を背負う。
どのような敵が現れても、一撃で葬る強さがあると、僕にも摩利にでも思わせるものがあった。
「頼りにしているぞ」
僕の言葉に、半裂は誇らしげに頷いた。