東の大市:壱
【東の大市:壱】
都には七つの常設市と、月に四度、東西の見世場に開かれる大市とがある。
常設市では日々の生活に欠かせないもの、塩や青菜などが取引される。常設市に店を出すには都府長官の割符が必要であり、その権利は都の有力商人が独占していた。彼らは「四百人割符商」とも、高家の庇護を受けていたので「上座商人」とも呼ばれる。都の郊外に倉を建て、鈴行商から買い集めた品々や、国庫からの放出品などを一手に売ることで巨利を得ていた。
逆に東西の大市は、誰もが商品を売り買いできる場だ。
大市は元々、蓮華院の護国僧侶が仏法を説くという名目を持っていた。仏権の定めるところによれば、法事を執り行う際にはいかなる介入も認めないとある。四百人割符商に対抗して都での商売を模索していた人々が、仏権の拡大を狙う蓮華院の護国僧侶と通じて開催されたのが第一回の西の大市。この時は蓮華院の大師が祈祷を行っている。今日のように恵御名上人が念仏説法を披露するのも、大市が法事の建前を持つからだった。
僕は市に行く道すがら、牙陀王に六道使の修行をすることになったと告げた。
「へぇ、道丸もお年頃になったわけだな、つまり」
二つも年が違うのに、牙陀王の口調はいつも馴れ馴れしい。
「お前はお年頃じゃないのか?」
「俺? 俺は、ほら、あれだからさ」
ああ、あれね。僕は牙陀王の悪びれない仕草に釣られて微笑んだ。
身毒八幡の牙陀王。
裏寂れた葦社に住む彼を、知る者は皆そう呼んだ。牙陀王とは異風の名だが、社の名前が身毒八幡だから身毒国の古王の名を八幡神から頂いたのだ、と彼は嘯いている。しかし、そもそも八幡大菩薩とは震旦国由来の神であり、その化身が皇家十五代の帝だと言われている。つまり身毒国とは関係がなく辻褄の合わないことなのだが、僕らは面白いからあえて黙っていた。
八幡大菩薩の威光が身毒国にまで及んでいるかもしれないし。
牙陀王が住むのは無人の葦社だ。都の南、堤灘に面した場所にあるのだが、遠目にも間近に寄っても解るのは至難の技だろう。背丈もある草が生い茂る湿地に、これまた葦を編んで作られているのだから。目印は干潮時にだけ見える小さな鳥居だけ。そこで牙陀王は八幡様の託宣が降りるのを待っているのだった。
十を過ぎれば寺社野伏は車方士に御伺いを立てて寄宿場所を定め、祀られている神仏への奉仕を誓う。久那城大寺の百人野伏、牟田神宮の社門野伏などが有名なのだけれども、牙陀王の場合はどうやら適当に決めたみたいだ。
「俺は寺社野伏だからよ、いつか身毒八幡様を立派な社に住まわせるんだ。そのためだったらさ、何でもするぜ兄貴」
「ああ、葦草造りの神社なんて聞いたことがないからな」
「兄貴が六道使になったらよ、色々と力添えをしてほしいな……っと、そんなことを考えているわけじゃないからな。俺も頑張るから、道丸も頑張れ」
牙陀王の笑い声は喧噪に掻き消されてしまい、東の大市が近いことを僕らに知らせた。
今日は春花の肌寒さもなく、空も陽もはるかに高い。道には四百人割符商の色紋旗が立ち並び、遠くからは、漢風の太鼓拍子が聞こえてきた。盲目の草法師が「悟りたり、悟りたり」と連呼して方札を捲く。
「あれは何だ?!」
と、急かす牙陀王に背中を押され、岩塩を運ぶ和駱駝の行列を見物した。駱駝は老婆のように丸まった背中に水を蓄えた獣だ。書物によれば和駱駝は、海の彼方、砂の国に住んでいたものを、北烏道鷹十国の国守某が買い求め領内で畜産したのだという。鷹十国は岩肌が剥き出しになった不毛の地だが、内陸地では欠かせない岩塩を産し、近隣に輸出することで人々は生計を立てていた。和駱駝は岩塩の輸送に欠かせない足であり、大市にはこうして都までの道のりを旅することもあった。
「和駱駝ってよ、どんな味なんだろう?」
牙陀王が唇を嘗めながら言う。
「あまり美味しそうじゃないな」
「ナマコとかさ、姿形は外道だけど、あのコリコリした噛み応えが中々だろ? だから、和駱駝も不味そうに見えて、意外に乙なものかもしれないぜ」
「食べたいのか?」
「大市じゃあ土地土地の食い物を出す屋台も軒を列ねっからさ、きっとあるぜ。道丸が良いっていうなら食べるよ」
おそらくナマコを初めて食べたのも、牙陀王のような人間だったのだろう。
ここから南無阿弥陀仏の釈尊門までは目と鼻の距離だった。
流行の唄に、
『急場しのぎの大門に、南無阿弥陀仏の守護をつけ、十歩行けば市を知り、二十歩進めば世知を得る。銭のみあれば極楽浄土、銭すらなければ八大地獄、銭がいるなら両替蔵者、南無阿弥陀仏の大門にあり』
とあるように、釈尊門は大市の開催されるときだけ木と布で造られた出入口だ。朱塗りの柱に藍染めの布、お世辞にも丈夫とは言えなかったが左右の主柱に書かれた「南無阿弥陀仏」の六文字が守護になっているという。誰も信じていなかったが。
記録では釈尊門はこれまでに二度崩れ、いずれの時も百人近い死者を出していた。だから、大市でもここだけは衛士が警備に当たっているのだが、それで秩序が定まるはずもなく混雑は混雑のままだった。なぜなら釈尊門の周辺では両替蔵者の銭商いが行われるからだ。
僕らも家から持参した反物で銭を買った。売り買いに銭を用いるのは、ここ十年で急速に広まった風習だ。天津ヶ原諸国の産物が近隣に知られて流通が盛んになったことや、早くから銭を使っていた異国人の渡来が増えたこと、銭の鋳造、都の発展などが理由なのだろう。特に大市のように品々が集中する場では、銭がなければ話にならないほどだ。
「これで買い食いくらいは出来そうだ」
「ニセ銭じゃないだろうな道丸」
「噛むか? 安心しろよ、本邦銭じゃないし、目方で量ってもらったから」
銭には天津ヶ原で鋳造された本邦銭と、貿易船が運び入れる真銭の二つがある。天津ヶ原でも銅の生産は盛んだから、外国の銭などは必要ないとも思えるが、彫刻の美しさや偽金の問題から、重宝されているのは真銭のほうだった。銭を商うのは両替蔵者という人々だ。彼らは普段酒を扱うが、大市になると蓄えた財で両替や銭貸しなどを営む。欲が強い人間を指して「蔵者ぶる」と言うが、これは両替蔵者の銭貸しが法外な利息を取ることに由来していた。
釈尊門の付近は両替蔵者の銭売り声があちこちで木霊していたので、僕と牙陀王は混雑から逃れようと人の波を掻き分けていった。
何もなければ野良牛などが昼寝しているような空き地なのだが、今は見渡せば見渡すほど絢爛豪華になっている。急拵えの商い小屋に茣蓙を広げただけの店、珍妙巨大な動物に一世風を称する芸事師、大市に運び込まれる品々は識者によれば八百八を超えるらしい。
「道丸、あれは何だ? 教えてやろうか、あれは象だ」
「自分で訊いて、自分で答えるな」
「観たことのないものばっかりだ。道丸、念仏櫓はこっちのほうだぜ」
僕の言葉を意に介することもなく、牙陀王は勝手に進んでいく。
恵御名上人の念仏櫓に行く通路には布天蓋が高く張られていた。その布には経文が書かれていて日差しを透かして読むことができ、また布天蓋を通過すれば一回分の読経と同じ功徳が積めるとされている。そして茣蓙露店が延々とあり、若竹筒、熊肉の蜂蜜煮、踊り独楽、土師壺、蒸し飯、古書、相善染めの布地、色石、唐犬、呪符紙、生姜水……練り歩く焼き栗屋の売り小唄に牙陀王が反応したが、和駱駝を食べることに拘泥しているのか、じっと見詰めるだけだった。
「仕方ない奴だな」
僕は肩を竦め、焼き栗を一袋買い求めた。
「ほら、急いで食うなよ」
「本当に良いのか? 兄貴」
「兎の礼だよ」
僕がそう言うと、牙陀王は微妙な笑みを浮かべる。その申し訳なさそうな、嬉しいような表情を見ると、こいつも子供だなと思う。焼き栗の焦げた皮の匂いは香ばしく、一つ口に含んだ牙陀王は目を白黒させて「ばり甘めぇな!」と言った。
遠目で観察すると、念仏櫓には誰もいないようだ。近寄りたくはない人の数だが、周りの人々はとりあえず市の物色に興じていて、心なしか余裕もある。牙陀王に訊くと、恵御名上人は寅刻の鐘が鳴る頃に登場するとのことだった。「待つか?」と問い掛けてみたが、牙陀王は首を横に振る。
「言っとくけど、とんでもなく混むぜ。蜂の巣を覗き込んでも可愛いって感じるくらいだ。ここからじゃあ前の奴の頭だけで上人様なんて見えやしねぇ。栗、食べる?」
「……どうしたら観られるんだ?」
「あ、栗は一つだけね。で、そこが問題よ」栗を噛みながら牙陀王が指差す。「念仏櫓の近くは宮の連中が固めっから、俺らじゃ豆粒ほどの何かしか拝めやしねぇ。でもよ、あそこ、華拍子の御伽小屋があるだろ? あの裏に念仏櫓に続く小道があるらしいんだ。妙な話だけど、坊主と華拍子っていうのは色々と仲良いって話だからな」
牙陀王の曰くありげな目配せに、僕にも思い当たる節はあった。
春売りの華拍子は、客との間に生まれた子が女児であれば自ら育て、男児であれば僧侶に託す。寺に預けられた男児は仏門に帰依して僧侶になるのかというとそうではなくて、御仏に仕える者の慰みものになると噂されていた。大市では物が売買されるのと同じく、人も売買されるのだ。表立っては行動できない僧侶のために、牙陀王の言う御伽小屋と念仏櫓を繋ぐ道が用意されているのだろう。
「女にすることを、男にしても面白くねぇだろうによ」
「仏法に帰依した者は女人との関わりが禁じられるから、仕方ないんだよ」
「道丸はしたり顔だな。お前も興味あるのか?」
たわけ。
僕は牙陀王の頭を殴った。人聞きの悪いことを口走るな、この餓鬼畜生。
「殴りやがったな道丸!」
「弱いくせに吠えるな。何なら蹴ってもよかったんだぜ」
「あ、謝るよ。ごめん、俺が悪かった」
喧嘩早いくせに牙陀王は弱い。昔から泣かされては僕が面倒を見てやっていたから、牙陀王が逆らうなどということは考えられなかった。子供の頃から、ずっとこのような感じなのだ。失礼で落ち着きのない奴だけれども、縁者も身寄りもなく、僕だけしか親しい人間がいない。だから殴られても蹴られても、周りから「影踏み」と揶揄されるほど僕に付き従うのだった。
「ごめんよ、道丸。俺を許してくれよ」
「謝ったならそれでいいさ。ほら、行こう。そろそろ恵御名上人が出てくる頃だ」
「俺を見捨てないのか?」
「気にしていないよ」
「やっぱり道丸は良い奴だ!」
牙陀王は泪を拭くと、笑顔を作り、すぐにそのことを忘れてしまった。
「じゃあ、行こう道丸。俺、お前を案内しないとな」
まったく、仕方ない奴だ。
牙陀王に手を引かれて辿り着いたのは、客避けの渦巻き呪符が壁一面に張られた家だった。男の服を身に纏い、管弦の舞を見せ、銭次第で春を売るのが華拍子。その華拍子らが生業を営む場所を御伽小屋と言った。渋支葉の噛み菓子を口に含んだ女が、棒を片手に僕らを睨むが笑顔で応じて中へと入る。牙陀王はこの近辺に相当詳しいらしく、顔見知りの男や女に挨拶をしては二三言葉を交わした。
「慣れてるな」
「ここでじゃ俺は道丸の先達だぜ」
床に落ちた花片一つ、拾い、吹き飛ばす。
華拍子の名の由来は歩くと足下に花片が舞い散るからだ。仕掛けは狩衣の袖や長袴の裾に隠し持った華袋にあり、巷に流布する「華のものは蝶の化性」とは俗説にすぎない。ただ、僕ら野伏にしてみれば、そういう俗説迷信を利用したほうが都合良いという側面もあるから、あえて否定しなかった。
「よーよー、科菊ちゃんよ」
牙陀王は華拍子の一人を呼び寄せた。
「おや、稽古中に呼ぶ声がするから来てみれば、牙陀王の旦那じゃないか」
僕らの前に現れたのは年若い華拍子だった。男装に慣れていないのか、だらしなく着崩して白い細腕が露わになっている。おそらく彼女は修行中の身なのだろう。白粉を塗った顔に整った目鼻立ち、背は僕よりも僅かに低く、腰には牛角の鞘に収められた青銅の剣を下げている。少女というよりも、むしろ少年のような雰囲気だ。
「へへ、旦那なんてよせやい」
「あんたと世間話する暇はないんだよね。で、誰よ」
華拍子の少女が僕を流し観る。
「巳槌道丸と言います」
「巳槌? ああ、あなたが牙陀王の旦那が言ってた六道使様の長子ね」
「あんたは?」
「道丸、こいつは……」
「牙陀王は黙っててよ。私は科菊、忽那瀬科菊。今後とも宜しくね、道丸様」
科菊は華拍子の流儀に沿った礼をして、差し出した僕の右手を両手に包むと、薬指の爪を嘗めた。それは華拍子が好意を示すときの作法だったから、牙陀王が複雑な顔をして僕と科菊を凝視する。お前、彼女に気があるのか? と茶化してみるのも可哀想だから、気付かないふりをしたのだが、科菊は気付いたふりをして微笑んだ。
「……道丸、いちゃつくのは念仏説法を聴いてからだぜ」
「うん、そうだな」
牙陀王は科菊に耳打ちして、御伽小屋の奥へと入っていった。
一応、書き残しておくのだが、牙陀王が探していた和駱駝の料理は実際にあった。
鷹十国の郷土料理を出す屋台で見かけたのは、『壺瘤』『乳久佐餅』『塩駱駝』の三つだ。
『壺瘤』は魚油で満たされた土師壺に五種類の薬草と駱駝の瘤肉を入れて、七日以上も煮続ける料理だった。五種類の薬草とは、右葱、苔所実、紫羊歯、ウージ胡椒、薬師桂。駱駝の瘤には水が溜まっているというのは誤りで、実際には脂肪の塊みたいなものだった。味は甘辛い汁と瘤肉の柔らかくも固い食感が面白く、牙陀王も気に入っていた。鷹十国では瘤壺は祝い事のときにしか食べない御馳走らしい。
『乳久佐餅』は駱駝の乳を革袋の中で発酵させ、固めた食べ物だ。癖の強い臭いで牙陀王は食べようとしなかったけれど、味だけに集中してみると酸味が感じられて美味しかった。『塩駱駝』は駱駝肉の塩漬けだ。乳久佐餅も塩駱駝も冬の保存食とのことだったが、都で流行るとするなら酒の肴としてだろう。