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ラング・ド・シャ  作者: 三畳紀
3杯目
9/12

9、Working

 週末の昼時、普段はまばらな客入りのラング・ド・シャもテーブル席が埋まるくらいには繁盛している。開店してからしばらくは一組も客が入らなかったので時間の流れが非常に緩慢に思えたが、昼前から客が入りだすと途端に店内の空気が変わって非常に慌しいものになる。


 仕事内容の詳細は不明だが副業のために店を休んでいる来栖さんに代わって調理の担当をしているまことさんは、いつものおっとりした物腰とは打って変わって機敏にキッチンの中を往来していた。


 客席で見ていた時は造作もない作業をしているように思えていたラング・ド・シャの切り盛りが、視点が変わると非常に忙しく的確な行動が要求されるのだと感じる。


「まこねえ、独りじゃ大変だろうし手伝おうか?」


 店の2階に居候している丹さんの妹で中学生の蘇芳が、居住区画に通じる店の奥の扉から顔を覗かせる。不用意な発言で蘇芳の機嫌を損ねて絶交を告げられて以降、彼女の顔を見るのは始めてだった。


 横目で垣間見た蘇芳の顔は絶交を宣告される前と変わっていないように思えて、僕の吐いた暴言を彼女が深刻に引き摺っていなそうなことに胸を撫で下ろす。


「大丈夫よ、人手は足りているから」


「クーくんがいないんだから今お店にはまこねえしかいないでしょ?」


「ええ、でも今日からバイトの子に入ってもらっているの」


「バイト?」


 不在の来栖さんの穴埋めをしているバイトの姿を求めて蘇芳がドアの隙間から店内を覗き見ているうちに、僕と彼女の視線が重なった。


「…バイトってそいつのこと?」


「そうよ。働くのは今日が初めてなのに、常葉ときわくんはよくやってくれるから助かるわ」


「家で洗い物とか飯の支度をさせられていますからね、こういうのは慣れてるんですよ」


 蘇芳に剣呑な眼差しで睨まれる一方で、丹さんはバイト初日にしては僕の働きぶりはいいと褒めてくれる。僕は丹さんの労いの言葉に謙遜しながら、客のテーブルから空いている食器を下げてキッチンへと運んでいった。


「なんでバイトなんか雇うのよ、人手が要る時はあたしが手伝えばいいじゃない!」


「中学生にお店の仕事をさせる訳にはいかないでしょ?」


「あたしを働かせれば無駄なバイト代もかからないのよ、赤字続きのお店にはそっちの方が得じゃない!」


「家族に手伝わせると馴れ合いで半端な仕事になりそうだもの、バイトでもお給料を払う以上はしっかり働いてもらうわ」


「だったらあたしをバイトで雇ってよ」


「駄目よ、戸籍上は生産年齢人口に含まれない蘇芳を雇ったら法律違反になっちゃうもの」


 蘇芳は店の中に入ってくるなり、僕がラング・ド・シャでバイトしていることに文句をつけてくる。しかし蘇芳が僕をクビにして代わりに自分を働かせるように再三要求しても、丹さんはやんわりとした口調でしかし内容は厳しくそれを拒否した。


「とにかく常葉くんをバイトに雇った以上、あなたにお店で働いてもらう必要はないわ。お客様としてここに来たんじゃないのなら、おとなしく上に戻りなさい」


「…わかったわよ。それじゃ、あたしを追い出してまで雇ったバイトがどれだけ使えるかお客の立場から審査してやろうじゃないの」


 丹さんからこれ以上ラング・ド・シャで自分を働かせるつもりはないことを宣告させると、蘇芳は自分の代わりに入れたバイトの僕の仕事ぶりを吟味すると答えた。空いているカウンター席に少々もったいぶった態度で腰掛けると、棘のある眼差しで傍らに控えた僕を一瞥する。


「いらっしゃいませ。メニューはお手元にございますので、ご注文が決まり次第声をおかけください」


「表情が硬い、それからお冷とおしぼりを置く場所が遠過ぎ」


 お冷を注いだグラスと使いきりのウェットティッシュを持っていくと、蘇芳は細かい点に難癖をつけてきた。バイト初日なんだから仕方ないだろうと思いつつ、これから仕事を続けていく上で貴重なアドバイスとして受け止めることにした。


店のユニフォームとして支給された、胸元に舌を出した猫のイラストが印刷されたエプロンのポケットからメモとペンを取り出すと蘇芳に指摘されたことを即座に書き留める。


「店が混み合っている時にフロアでぼうっとするな、メモは暇になってから書け」


「ちょっと蘇芳、常葉くんは同じミスをしないようにあなたに注意されたことを忘れないように書き取っているのよ。なんでもかんでもいちゃもんをつけるのはやめて」


「…すみませんでした」


 丹さんは僕が仕事に前向きに取り組んでいるからこそ敢えてこの場でメモを取ったのだと蘇芳を咎める。だがピークは越えたとはいえまだ店の中はお客さんで賑わっており、メモを取る暇があれば代えのお冷の準備でもしておくべきだったかもしれない。


 僕は真摯に蘇芳の忠告を聞き入れることにして、彼女に対して頭を下げて謝罪した。


「すみませんでしたじゃなくて、申し訳ありません。それとお辞儀する角度が浅いし、頭を起こすタイミングが早くてなんかおざなりに見える」


 しかし僕の謝意に対しても蘇芳は執拗に文句をつけてきた。丹さんや来栖さんといった常勤のスタッフや年長のお客さんから言われるならともかく、年下の中学生に言われると無性に腹が立った。僕は平身低頭の姿勢を保ってはいたものの、生意気な口を利く蘇芳の態度に苛立ちを覚えて歯軋りをしてしまった。


「ま、バイトの高校生、しかも今日働きだしたばっかりのペーペーじゃ仕方ないわね」


 そろそろ堪忍袋の緒が切れ掛かっている自分をどうにか抑えようとしていると、蘇芳は若い新人のバイトでは避けがたいミスだと態度を軟化させる。意外な発言に僕は思わず視線を上げて、蘇芳の顔を見上げた。


「ちょっと突っ立ってないでお冷のおかわり持ってきてよ。お昼はかきいれ時なんだから遊んでいる余裕なんかないのよ?」


「はい、すぐにお持ちします」


 つっけんどんな口調は変わらなかったが、少しだけ蘇芳が僕を見る目が柔らかくなったように感じた。調理を終えたオーダーが上がって、これから何組かに配膳しに回らなければならず蘇芳の言う通り、動きを止めている暇などない。


 僕は蘇芳に愛想よく返事をすると、溜まってきた仕事を捌きにかかった。


* * *


 午後1時を回ると次第に客足が引いていき、再び店内に静寂が訪れる。戦場のような慌しさ、というのはいささか大仰だとは思うけど、仕事初めに迎えた最初のランチタイムは僕が知る限りではラング・ド・シャにしては繁盛した方であり、正直に言うと僕はたった数時間の労働でかなり疲れていた。


「ねえ、ブレンドでいいからコーヒーお願い」


 フロアが落ち着いている、というか蘇芳以外に客がいない間に、洗い場に溜めてしまった食器を片付けようとしていると蘇芳がカウンター越しにコーヒーを注文してくる。


「畏まりました。丹さん、ワン・ブレンド入ります」


「まこねえじゃなくて常葉、あんたにコーヒーを淹れてほしいの」


 この店のコーヒーは汲み置きではなく、1杯ごとに淹れてお客に出している。今日のところは配膳と洗い物、それと簡単な調理補助だけでいいと言われていたので、丹さんにブレンドコーヒーを淹れてもらえるよう頼む。すると蘇芳は丹さんではなくて、素人の僕にコーヒーを淹れるように注文してきた。


「でも僕はまだ……」


「あたしはあんたの淹れたコーヒーを飲みたいの、客の注文に口答えするな」


 働き始めたばかりの自分がコーヒーを淹れられないと蘇芳に侘びようとするのを、彼女は立場を盾にして強引に要求を押し通そうとして遮る。


「丹さん、どうします?」


「いいんじゃない、他のお客様よりも顔見知りでわたしの妹なら初めてのドリップを少しは気楽にできるんじゃない?」


 丹さんに助け舟を求めるように僕は視線を投げかけるが、彼女はあっさりと蘇芳の注文を聞き入れることを承諾した。


「分かりました、ご注文された通りコーヒーを用意させてもらいます」


 蘇芳がどんな意図で僕のコーヒーを飲みたいと言ったのかは定かではないが、お客さんからの注文でかつ雇い主の丹さんが了承したのだから僕はそれに従うしかなかった。


 自宅では何度もコーヒーを淹れたことがあるけれど、商品としてお客さんに出すのは初めての経験であり、僕は丹さんの指導に従いながらコーヒーを淹れる準備を始める。


 いくら1杯ずつ抽出するといっても、毎回豆を挽くのは面倒なのである程度の量は予め挽いておいてすぐに淹れられるように気密性の高い容器にストックしてある。容器から一杯分の量を電子秤で計量しながら取り出すと、ドリッパーにセットしておいたペーパーフィルターに入れる。


 自宅ではフィットしやすいようにフィルターを濡らしてドリッパーにセットしていたが、それでは熱の逃げ場が失われてしまい豆の風味が劣化してしまうリスクがあるということでラング・ド・シャでは乾いた状態でフィルターをドリッパーにセットしていた。


 フィルターに粉末状になったコーヒー豆を投下すると、ドリッパーを抽出されたコーヒーを溜めるガラス製のサーバーの上に重ねる。コーヒーを抽出する準備を整えた後、フィルター内に収まったコーヒー豆の中心にスプーンでお湯を注ぐための窪みを作る。


「…あんたはさ、やっぱりあたしのことを嘘つきだと思ってる?」


 ポットから内部のお湯が沸騰していることを告げるリズミカルな音が聞こえてくると、僕はコンロの火を止めるために取っ手に手を伸ばした。すると蘇芳が僕らの不和の原因になった時の話を蒸し返してくる。


「それは……」


「いきなり吸血鬼の娘とか言われても普通の人は信じるはずがないよね。でも陰陽師の子孫のあんたなら、そんな話にも免疫があってまともに話を聞いてくれるかもってあたし期待してたんだ」


「…ごめん、いろいろと期待を裏切るようなことばかり言って」


「いいよ。最初に会った時、自分には霊感が一切ないし幽霊も妖怪も信じていないって常葉は公言していたもんね。陰陽師の末裔ってのは肩書きだけで、常葉はごく普通の人だってことをあたしもちゃんとわかってなかったから」


 コンロの火を消すと僕はしばし間を置いて、ポットの中のお湯がコーヒーを抽出する適温まで水温が下がるのを待つ。その間、僕と蘇芳の間で互いの肩書きに関して思い違いがあったことを悔いる会話が交わされた。


「常葉くん、もうお湯を注いでもいいんじゃないかしら?」


「あ、はい」


 会話が途切れて僕と蘇芳が黙り込んでいると、丹さんが間を取り繕うようにドリッパーにお湯を注ぐ頃合いだと教えてくれる。僕はコンロの上からポットを上げると、フィルターの中心に空けた窪みにお湯を注入し始めた。


 お湯を注がれると粉末状になったコーヒー豆がフィルターの中で膨らんでいく。まんべんなくお湯が浸透し、ドリッパーの口ぎりぎりまでコーヒー豆が広がると僕は一度お湯を注ぐのを中断してしばらくコーヒーを蒸らすことにした。


 次第にフィルターに溜まったお湯が抽出されてコーヒーになっていき、ドリッパーの下に置かれたサーバーの中に琥珀色の液体が芳ばしい香りを立てて溜まっていく。


「あのさ、蘇芳って赤っぽい色のことだっけ?」


「赤というよりは紫に近い暗い色かな、それがどうしたの?」


「特別どうって訳じゃないけど、エレガントな感じの名前だなって思っただけ」


「着物のかさねの組み合わせにもあるし、お母さんと忠将ただまさもあたしに高貴な美しさを持ってほしいと思って考えてくれたみたいよ」


「2人とも拘りと願いを込めて君の名前を考えたんだね」


「名前をちゃんと考えてくれただけじゃないわ、お母さんがあたしを産んですぐ死んじゃった分まで忠将は一生懸命あたしのことを育ててくれた。あんないいお父さん、そうそういやしないわよ」


 再度ドリッパーにお湯が注げそうになるまでコーヒー豆が萎むのを待っている間、盗み見した彼女の顔からその名前を連想したことがきっかけで、僕らの会話は自然と弾んでいく。蘇芳は自信ありげな様子で、自分の育ての親である存在のことを語った。


「蘇芳って名前を考えてくれた忠将さんのことを、君は本当に好きみたいだね」


「うん、今は離れ離れになっているけどあたしは忠将のことが大好き。あ、もちろん戸籍上の父親であるいつきさんにもいっぱいお世話になっているし、感謝してるよ。そんなに多くの父親を知っている訳じゃないけど、忠将と同格にできるのは斎さんくらいだね」


 年頃の娘にしては珍しく蘇芳は父親に当たるらしい忠将さんへの好意を素直に認める。それでは現在の戸籍上の父親のことは嫌いなのかと丹さんが寂しげな顔を浮かべるのに気付くと、蘇芳は慌てて丹さんの実父で自分の義父への感謝の気持ちを示した。


 そうしているうちにフィルターの中で萎んだコーヒー豆の中に、僕はお湯を再び注入する。一度目よりは大人しい膨らみ方をしたコーヒー豆にお湯を注ぎ終えると、僕はカップを温めるために注いでおいたカップの中のお湯を捨てて給仕する準備を整える。


「お待たせしました」


 サーバーに充分な量のコーヒーが溜まると僕はドリッパーを外して、コーヒーカップに出来上がったコーヒーを移し変える。ビールとは違って、カップの淵いっぱいになみなみと注ぐのはエレガントではなく七分目くらいの高さに留めておく。


 ソーサーにコーヒーを注いだカップを置き、スプーンをソーサーの上に添えるとカウンター越しに蘇芳の前に完成したコーヒーを置いた。仕上げにミルクピッチャーに入ったコーヒーフレッシュをソーサーの脇に並べて配膳終了。


「…いただきます」


 小声でそう呟いてから蘇芳はカップを持ち上げる。売り物として初めて淹れたコーヒーに蘇芳が口をつけるのを僕は固唾を飲んで見守る。


 先ほどのように悪し様に扱き下ろすことはないだろうけど、今の僕らの関係はお客様と店の店員だ。シビアな意見を突きつけられても、僕に文句を言う資格はない。


「苦…まこねえやクーくんが淹れるのよりも味が濃いよ」


「ご、ごめん……」


「ごめんじゃなくて申し訳ありませんでした。でも眠気覚ましにはちょうどいいし、今日はこれで許してあげる。次はもっと上手くいれなさいよ」


 蘇芳が眉間に皺を刻んで丹さんや来栖さんと違う味になってしまったと言うと、失敗してしまったと僕は肩を落とす。しかし機嫌を持ち直したらしい蘇芳は、幾分味が濃くなったコーヒーを寛容に受け容れてくれた。


「わかりました、今度は満足してもらえるようなコーヒーを淹れます」


「今度は期待を裏切らないでよね、新人のバイトさん?」


「はい、必ず期待に応えてみせます」


 蘇芳は挑戦的な眼差しで僕の顔を見上げてきた後、アーモンド形の目を細めて世話の焼ける子どもに向けるような微笑みを浮かべる。そんな態度をされても僕は不思議と蘇芳に対して生意気とか居丈高という感情は抱かずに、素直に彼女の笑みを可愛らしいと感じて笑い返した。


 蘇芳は僕が自分の姉の店でバイトすることを容認してくれたらしく、どうにか亀裂の入った関係の修復は出来たようだと僕は一安心した。



Working 了


 

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