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ラング・ド・シャ  作者: 三畳紀
1杯目
4/12

4、Contingency

 今回より2杯目のエピソードです。しばらく登場人物紹介に終始し、毎回新しい人物が登場する流れになって、一人一人の掘り下げはあまりしないと思いますがご了承ください。

 晩秋の日暮れは早く、学校から下校する電車が最寄りの駅に着いた時にはすっかり陽は沈んでしまっていた。街灯がぽつぽつ点っていたり、家々の窓から明かりが漏れていたりするから辺り一面真っ暗という訳ではなかったけれど、冷たい秋風に吹き付けられると妙に心細い気持ちになる。


 こういう時は熱いコーヒーでも飲みながらまことさんの暖かな笑顔を見て身も心も温かくなろうと思い立ち、僕は家路から脇道に外れて行きつけの喫茶店へと進路を変える。


 僕が足繁く通っている喫茶店ラング・ド・シャは自宅から徒歩5分の距離にあり、まっすぐ歩けば家の前に辿り着く道を手前の路地で曲がればすぐの所に立地している。程よく空調の利いて柔らかい光に包まれている店内をイメージしながら、足早に路地を奥に進んでいった先にラング・ド・シャの店舗はひっそりと佇んでいた。


 しかし万年閑古鳥が鳴いているような客入りでもほぼ年中無休で営業しているラング・ド・シャの店内に今日は明かりが点いていない。結構遅くまでやっているので店仕舞いにも早すぎる時間であったし、今日が休みになるという話は先日店の女主人と話した時にも聞かなかった。


 都合によりしばらく休業させていただきます──


 優美な女性の字でそう記された入り口のガラス戸にある張り紙を見て、僕はその場に呆然と立ち尽くす。僕が懸念していた通り、ラング・ド・シャの経営状態はいつ傾いてもおかしくない状態だったのだ。少しでも店の延命に繋がればとなけなしの小遣いを叩いて週に何度か顔を出していたが、案の定高校生1人が店に落とす金くらいでは到底経営の建て直しが図れるはずがなかった。


「こんなことって……」


 少し濃い目で入れてあるコーヒーや自家製スコーンの香ばしい香り、鼻腔をくすぐるクリームブリュレの焼けた臭いそして他愛もない丹さんや来栖さんとのやりとりを二度と体感できないと思うと、僕はたまらなく寂しい気持ちになった。


「すみません、今日はお休みなんです…なんだ常葉ときわか」


 廃業してしまったように荒涼とした雰囲気のラング・ド・シャの前に忘我状態でいる僕に、背後から呼びかけてくる若い女性の声が聞こえる。振り向いた先には緩く編んだ三つ編みの少女がコンビニのビニール袋を手に提げて立っていた。


「休みって何があったんだ、蘇芳すおう?」


「何って、まこねえとクーくんがどっちもいないんだから休みにするしかないじゃない」


「だから2人が揃って出かけている理由はなんなのさ?」


「クーくんが副業でやっているエクソシストの仕事の依頼が入って、まこねえもそれについていったからだよ」


 ラング・ド・シャの女主人である丹さんの妹で、現在不登校を続けている中学生の蘇芳に店が臨時休業している理由をこちらは真面目に訊ねたのに、彼女は見え透いた嘘をついて話をはぐらかそうとする。


「どうせならもう少しマシな嘘を吐けよ、そんな話子どもだって信じる訳ないだろ」


「嘘じゃないよ、科学じゃ解決できないことは今もいっぱいあってエクソシストの需要はそれなりにあるんだよ。陰陽師の末裔のくせに常葉はそんなことも分からないの?」


「陰陽師の末裔だからそんなことがホラ話だって分かるんだよ。高度に科学が発達した現代には妖怪も陰陽師も吸血鬼も存在する余地はないんだ。おおかた丹さんたちは経営が成り立たなくなったラング・ド・シャの廃業の手続きかなんかで忙しいんだろ?」


「お店が赤字続きなのは事実だけどね~だからクーくんがエクソシストの稼ぎをその穴埋めに充ててるんじゃない」


 真っ赤な嘘でお茶を濁そうとする蘇芳の態度は極めて不実なものだと思うけど、虚言癖があって妄想力が豊かな重度の中二病に罹患している彼女の戯言にムキになるのは体力と気力の浪費でしかない。


 僕は辛抱強く蘇芳の妄言に付き合いながら、現実的な見解を述べて彼女から店が置かれている実際の状況を聞きだそうとする。だが蘇芳は相変わらずのらりくらりと詭弁を弄して僕の話に真面目に応えようとしなかった。


「人をからかうのもいい加減にしろよ……」


「最近冷え込んできたよね、外で立ち話もなんだし中に入らない? まこねえたちが出かけてからまともに他人と話してなくさ、そろそろ誰かと話をしたいと思ってたんだよね。あたしの相談に乗るようにまこねえたちから頼まれてるんだし、ちょっと話に付き合ってよ常葉」


 そろそろ堪忍袋の緒が切れそうになってきて僕は押し殺した低い声で蘇芳にことの真相を打ち明けるように迫るが、彼女は僕の恫喝など何とも感じていないらしく施錠された入り口の鍵を解放しながら店の中で自分の話し相手になるように言ってくる。


「…お邪魔します」


 今夜は随分寒くなるらしいという天気予報の正当性を裏付けるように、一際冷たい風に曝されると僕は蘇芳に誘われるままラング・ド・シャの店内に足を踏み入れる。どうせあのまま外で話していても埒が空きそうになく、寒いのを我慢するのも無駄になりそうだからせめて暖くらいはとらせてもらおう。


 それに蘇芳が学校に通う手助けになるよう彼女の話し相手になるように丹さんたちからお願いされている義理もあるし、話している間に蘇芳が店の実情に関して尻尾を出してくれるかもしれないし。


「暖房入れたばかりだから今は寒いかもしれないけど、そのうち暖まるからそれまで我慢して。飲み物は烏龍茶でいい?」


「うん、でもできれば温かいものが欲しいな」


「分かった、レンジで温めるね」


 蘇芳は手に提げていたコンビニのビニール袋を暖房の正面にあるテーブルの上に投げ出すと、キッチンに入って冷蔵庫の中を物色すると烏龍茶のペットボトルを取り出し、コーヒーカップに中身を注ぐ。


 人の話を碌に聞こうとせず、会話が噛み合わないことがよくあるけれど、時折お店の手伝いをしているせいか意外と気が利く所が蘇芳にはあった。僕が烏龍茶を温めて欲しいと要求すると、その通り烏龍茶を注いだグラスをレンジに入れて加熱のスイッチを入れる。


 数分後、蘇芳は暖めた烏龍茶の入ったカップとココアの注がれたカップを持ってフロアに戻ってきた。


「はい、どーぞ」


「ありがとう」


「休日割引で200円でいいよ」


「…やっぱり金はとるのかよ」


「当たり前でしょう、こっちはお店のものを出してあげたんだから」


 丁寧に烏龍茶の入ったカップを僕の前に置いた蘇芳に礼を言うと、蘇芳はお茶代を請求してきた。溜飲が下がらない思いもするが、蘇芳が出したウーロン茶は厳密には彼女の家のものではなくラング・ド・シャという喫茶店のものなのであまり文句は言えないと感じる。


 しぶしぶ財布から100円硬貨を2枚取り出してテーブルの上に置くと、蘇芳はさも当然と言わんばかりの顔で自分の懐に収めた。


テーブルの上に投げ出していたレジ袋からマカロニグラタンと肉まんを出すと、蘇芳は湯気を立てるそれらを美味しそうに頬張り始める。昼飯の弁当以来何も口にしておらず、そろそろ空腹を感じてきた僕にとって自分の前には烏龍茶しか置かれていないのに相手が温かい食事を食べていることは拷問に等しかった。


「独りで食べると何を食べても味気ないよね~やっぱりご飯は誰かと一緒じゃなくちゃ」


「…だったら学校行けよ」


 食欲をそそる香りが周囲に漂い、口の中に滲んできた唾液を飲み込んで僕は負け惜しみのような一言を呟く。それと同時にどうして蘇芳が学校に行くという単純なことに強い忌避感を抱いているのかと、僕は改めて不思議に思った。


 姉が吸血鬼でその恋人はエクソシスト、自分は吸血鬼の娘という若干、いや多分に電波な発言を口にするし、他人の話に耳を貸さず自己中心的な言動を繰り返す集団生活を送る上で様々な問題点を抱えてはいるものの、蘇芳は内向的な性格ではない。


 初対面で2歳年上の僕にも馴れ馴れしく接してきたことを皮切りに、普段から歳の離れたお姉さんやその恋人と関わっているせいか蘇芳は他人や目上の人間にも物怖じせずに話しかけることが出来る。


 また漫画と現実の区別がついていないようなイタいことばかり口走っている割に、接客業である喫茶店の手伝いを自ら進んで引き受けていることのおかげか、場合によっては僕よりも世慣れた意見を述べることもある。


 よくも悪くも自分というものをしっかりと持っており、しかも他人と関わることに恐れや抵抗を感じていないように見える蘇芳が学校に通うことに関しては消極的になるのはいまいち腑に落ちなかった。


 まあ、不登校の人がみんな内気で社交性に乏しいって訳ではないし、傍若無人に見える蘇芳にもどうしても我慢できないことがあるから学校への足が遠退いてしまっているのだろう。


 とはいえ蘇芳はまだ中学2年生で義務教育を受けなければならない年齢だし、今の世の中それなりに学歴がなければ将来的に苦労してしまう。彼女の保護者である丹さんたちだけでなく、僕個人としてもこのまま蘇芳が不登校を続けるのはいいこととは思えない。


「あのさ、蘇芳……」


「なに? 悪いけどこれはあたしの晩ご飯なんだからあげないよ」


 やはり丹さんたち家族だけでなく蘇芳自身のためにも彼女が学校に行くように説得すべきという使命感に駆られて、僕は改まって彼女に話しかける。しかし蘇芳は半分ほど残っているマカロニグラタンのプラスチック製のトレーを自分の手元に引き寄せて、一口たりとそれを恵んでやる気はないと言い張った。


「…そうじゃなくて、学校に行こうよ。学校に行けば話し相手もいるし、少なくとも昼の弁当は独りで寂しく食べなくてもいいだろう?」


「やだ、学校には行きたくない」


「どうして、君ならきっと上手くやっていけるさ。それに将来のことを考えても、ちゃんと学校に通って勉強しておくべきだよ」


「勉強が何の役に立つの? いくら成績が良くてもそれだけでお金が稼げる訳じゃないんだよ。お勉強だけしかできない生活力のない人間になることがそんなにいいことなの?」


「そうとは言わないけれど、やっぱりちゃんとした仕事に就きたければそれなりの学が必要だろ。それに勉強すらしてない奴が勉強が何の役に立つかなんていっても、屁理屈こねているだけにしか聞こえないよ?」


「あたしの言っていることを常葉がどう思おうと関係ないわ。それにあたしは勉強が嫌なんじゃなくて、学校って言う仕組みが嫌いなの。あんな居心地の悪い場所に毎日いたら、きっとどうかしてしまうわ」


既に蘇芳の頭はどうかしてしまっている、とつっこみたかったが、余計に話を拗れさせる結果にしかならないとぐっと喉まで出かかった言葉を飲み込む。


「…例え学校の居心地が悪くてもさ、ずっと家に閉じ籠もっているよりはマシじゃないかな。少なくとも家の中にいたら特定の人にしか顔を合わさないけれど、学校なら大勢の人間と関わって新しい刺激を受けることはできるんだし」


蘇芳自身が他人との関わりを求めていることは明らかだったし、彼女は人前に出て話をする能力は充分備わっている。だから居心地の悪さを我慢して、学校の持つメリットに目を向けるよう呼びかけてみる。


「まこねえやクーくん、それにお店に来たお客さんたちはあたしのことをちゃんと見てくれる。でも学校じゃ誰もあたしのことを見てくれない」


「そんなことないよ、きっと君のことを分かってくれる人だって……」


「学校の中じゃ、絶対に、誰もあたしを蘇芳として見てくれない。偽りのあたしを本物にして、本当のあたしを見ようともしない。それが嫌だから、あたしは学校に行きたくないの!」


 だが蘇芳は学校以外の場所なら本当の自分を見てくれるのに、学校の中では誰もそうしてくれないと頑なに僕の意見を否定した。


 子ども染みた言い訳だったけど、自分の上辺と本質の葛藤という蘇芳の発言にしては割合まともなことを耳にして、僕自身は彼女が嫌悪感を抱いている学校の人間たちのように蘇芳のことを誤解しているのではないかと思い始めた。


 年甲斐もなく蘇芳は存在するはずのない吸血鬼や詐欺でしかないエクソシストの活動を妄信しているけれど、それは実の親と早くに離別して丹さんの家の養子として成長した彼女が抱えている複雑な事情から目を背けるための手段なのかもしれない。


 蘇芳は自分の生い立ちに思い悩むせいで傍目からは見れば問題のない家庭に育っているクラスメイトにコンプレックスを感じていることが、蘇芳がうまく学校に馴染めない要因になっている可能性は大きい。


 痛々しい発言や傲岸不遜な態度で偏見の目を持ってしまったけれど、蘇芳はごく普通の思春期の悩みにもがき苦しんでいる女の子だからこそ、学校に行くということに非常に大きなハードルを感じているのだと僕は思うようになった。


「そりゃ丹さんや来栖さんは小さい時から君のことを見てきたから、学校にいる人たちよりも君のことを詳しく知っているさ。これからもずっと丹さんたちの傍に居続けるのなら学校に行かなくてもいいかもしれないけれど、君は本当にそれで満足なのか蘇芳?」


「それは……」


 中二病を患った虚構の世界に生きる変人というフィルターを外して、どこにでもいる繊細な悩みを抱えた女の子として蘇芳を正面から見つめながら、僕はこのまま不登校を続けることが彼女の望みなのかと問う。すると蘇芳は初めて僕の問いに対する返答に窮した。


 やっぱり蘇芳自身も学校に行きたいという願望も持っているんだ、ならばその気持ちを行きたくないという気持ちよりも強くできる後押しをしようと思って、僕は次に彼女に語りかける言葉を必死に思案する。


「やっと捕まえたわ、蘇芳。電話は家電もケータイも無視、メールはいつまで経っても返信してこないから直接ここに来る破目になったじゃない。多忙なアタシの時間を割かせるなんてアンタ何様のつもり!?」


 僕がじっと蘇芳の顔を見据え、蘇芳が視線を横に泳がせた状態で互いに黙り込んでいると、入り口のベルがけたたましく鳴り響き、女性の怒号が矢継ぎ早に飛んでくる。


 狭い店内に反響する罵声を挙げた女性の方に視線が自然と向いてしまう。ブーツの踵が床を打つ音と共にこちらに歩み寄ってくる女性の顔を僕は覗き見る。


 元々量が多く長い睫毛をマスカラで更にボリュームを出した目は勝気で気性の激しそうな性格を感じさせる切れ長の形をしており、筋の通った形のいい鼻をした顔は丹念に化粧が施されている。


 しかし厚化粧でけばけばしいという感じはなく、アイシャドウのラインの引き方やファンデーションの塗り方を上手い具合に抑えて自然な感じで全体の化粧の乗りを整えており地の顔立ちの輪郭を残している。そして輪郭を残している元々の顔は少々性格がキツそうであることを差し引いてもかなりの美人と言えるものだった。


ヒールの高いブーツを履いていることも合わせて、身長は僕と同じく170cmくらいありそうに見えた。高めの身長に比例して手足もすらりと長く伸びており、姿勢よく歩く姿はファッションショーのモデルのようだ。


「あおいねえ、どうしてここに?」


 店の中に入ってきた美女は僕らのテーブルの前に仁王立ちすると、僕と蘇芳を交互に見比べる。僕はその女性と目が合った瞬間、彼女の覇気に圧倒されて萎縮するが、蘇芳は彼女がここにやってきたことに驚いているものの、親しげに愛称で呼びかけた。


Contingency 了



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