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ラング・ド・シャ  作者: 三畳紀
1杯目
2/12

2、Foxy girl

「ど、どういうつもりよクーくん!?」


「ガキはちゃんと学校で勉強して来い。大人の俺たちが何度言っても駄目でも、同じくらいのガキに説得させれば上手くいくかもしれないだろ?」


「そうよ蘇芳、あなたこの1ケ月全然学校に行ってないじゃない。来年は受験生なんだから授業受けないとみんなに遅れちゃうわよ?」


 彼女が発言の意図を問い質すと来栖さんは顔に似合わず至極真っ当な意見を述べる。来栖さんに続いてカウンターに戻ってきたこの喫茶店の女主人であるまことさんも妹の進路を案じて学校に行くように勧めてきた。


「いいよ勉強なんかできなくたって、学校に行くばかりが人生じゃないじゃん」


「蘇芳、学校は勉強だけの場所じゃないわ。教室で過ごすことで少しずつみんなと上手くやっていく社会性を培う場所なのよ?」


「あたしは充分社会性を持っているから問題ないし、クラスの連中はみんな子どもだからつまんないんだもん。街で適当に遊んでいる方がよっぽど有意義だわ」


「あなたの言いたいこともわかるけどね、蘇芳が学校に行かずに街を遊びまわっていたらきっと忠将ただまささんは喜ばないわよ?」


 蘇芳さんは学校に行かないことの正当性を示そうと屁理屈をこねるが、丹さんは妹に優しい口調でしかし厳しさを覗わせながら説得を続ける。話に出てきた忠将という人が何者なのか分からないけど、その名前を聞くと蘇芳さんは不登校をしていることに後ろめたさを感じたようだった。


「…どうしても居心地が悪いんなら無理に学校に行くことはないって忠将も言ってたよ」


「それは小学生の時の話だろう、おまけにその頃は普通に学校行ってたじゃないか。減らず口ばかり言ってないでおとなしく学校に行け」


「クーくんだってろくに学校に行かない不良だったんでしょう、そんな人が学校に行くように言っても説得力ないよ!」


 蘇芳さんはしぶとく自分が学校に行かない正当性を押し通そうとするが、来栖さんは彼女の言い分を一蹴した。でも蘇芳さんも来栖さんの過去の話を持ち出して意地になって反論すると、痛い所を突かれたらしく来栖さんは黙り込んでしまう。


「いい加減にしなさい蘇芳。クーくんは行きたくてもいけない事情があったから学校に通えない所もあったけどあなたは違うわ。通えるのに通おうとしないだけ、それじゃ駄々をこねている子どもと同じよ?」


 周りにいるお客さんのことを考えて発せられた丹さんの声は決して大きくはなかったけれど、蘇芳さんを黙らせるには充分な迫力があった。おっとりとした雰囲気や柔和な表情で気付かなかったけど、蘇芳さんに向けられた丹さんの吊り目の眼光は鋭く、傍目から見ている僕でも気圧されてしまうほどだった。


 今は優しくていい奥さんって感じだけど、実は学生時代の丹さんはぐれていて、それが来栖さんとの縁の始まりなんてことはないよな?


「じゃあ学校に行って何があるっていうのよ、学校で大人しくお勉強してこんななよなよしたいい子ちゃんになるのがいいことなの!?」


 保護者からの叱責に癇癪を起こした彼女は席から立ち上がると、自分の隣で喧々囂々の言い合いに圧倒されている僕のことを腹立たしそうに指差してきた。


 あの、僕が頼りない男子高校生であることは否定しませんけど、初対面の相手のことをそんなに悪し様に扱き下ろさなくてもいいと思うんですけど……


「誰もそんななまっちろいガキになれとは言ってねぇ、ちゃんと自立した大人になれるように社会経験を学校で積んで来いって言ってんだ!」


「社会経験ならここでも出来るじゃない、わざわざ学校に行く必要はないわ。いざとなったら忠将のお店で働かせてもらうもの!」


来栖さんの恫喝するような一声は向けられた相手ではなく、部外者の僕を震え上がらせる結果となった。蘇芳さんは隣で怯えている男を他所に屈強な体躯に日本人離れした造作の顔の眉間に深く皺を刻んでいる来栖さんに食って掛かる。


「忠将さんはちゃんとした人間になってほしくてあなたをウチに預けたんだから、そんなことをしてはあなたのためにもならないし忠将さんの思いを踏み躙ることになるわよ」


 丹さんは聞き分けの悪い妹に対して少しきつい口調で言い聞かせる。先ほどと同じく忠将という人の名前を聞くと蘇芳さんは罵詈雑言を吐き出していた口を急に閉ざして、しおらしい態度を見せる。


 蘇芳さんに関しての丹さんたちのやりとりを聞いているうちに、僕は彼女たちが抱えている事情がどんなものなのか漠然と見当がつき始めていた。


 多分蘇芳さんは丹さんの血の繋がった妹ではなく、丹さんの家に養子として迎え入れられたのだろう。恐らく蘇芳さんは丹さんの家に迎えられるまで幾度か名前の上がっている忠将という人と暮らしていたんだろう。その忠将さんは余り大きな声では言えないような商売をしている人で、蘇芳さんの健全な生育を鑑みた上で丹さんの家に預けることを決めた。きっと丹さんの家族と蘇芳さんの過去にはこんなことがあったに違いない。


 幼少期は特に自分の境遇に疑問を抱かなかった蘇芳さんだったが、思春期を迎えて世の中が少しずつ見えてくると自分の経歴の歪さに気付いてしまった。そして自分の背景が容認できずその反発として彼女は不登校になったのだろう。


「…嫌だよね、自分は何もしてないのに親とか先祖のことでクラスメイトから変な目で見られるのは」


「あんた、あたしに同情しているの?」


 彼女自身には何の落ち度もないのに、生まれてきた瞬間から偏見の目を向けられるレッテルを貼られてしまっていることに共感を覚えて僕は自然に独り言を呟く。するとそれまで自分の隣に座っている僕の存在を失念していた蘇芳さんが、僕の言葉に反応を見せた。


 僕は俯いたまま横目で彼女のことを見上げる。蘇芳さんはアーモンド形の大きな目で僕の横顔を真っ直ぐに見下ろしていた。


「同情されたことが気に障ったなら謝るよ。でも分かるんだ、自分の家族や親戚のことで周りから好奇の視線を向けられることの居心地の悪さは」


「そうね、吸血鬼の娘だって言っただけで、クラスメイトどころか他のクラスの奴らにドン引きされたりからかわれたりするのは堪ったモンじゃないわよね」


「へっ!?」


 来栖さんから蘇芳さんが学校に行けるように彼女の相談に乗ってほしいと頼まれたことに続いて、僕はまた上擦った声を出してしまう。


反射的に首を横に向けて彼女の顔をまじまじと僕は見つめる。蘇芳さんは場を和ませようとして冗談を言っているのではなく、自分が吸血鬼の娘だということに対して周囲の理解が得られないことを本当に心外に感じているようだった。


「このご時勢に吸血鬼の娘だなんて自己紹介したら、引くのは普通だと思うけど……」


「どうして、だってこの街には吸血鬼は結構いるじゃない?」


 それでも蘇芳さんがふざけているのだと信じて、僕は彼女の級友たちの反応は自然なものだと答える。だが彼女は僕の正論を聞き不思議そうに首を傾げながら再びおかしなことを口走る。


「…例えばどんな人が吸血鬼なんですか?」


「身近な人だとまこねえとまこねえのお母さん、それとあたしのお父さんの忠将」


 蘇芳さんは自分の姉とその母親、そして自分の父親が吸血鬼だと答えた。僕は失笑することも忘れて引き攣った表情のまま、蘇芳さんの向かいに佇む丹さんに視線を移す。


 丹さんは紙のように色白の美人で、実際の年齢である二十代半ばよりは若く見えるし、少々浮世離れしたふわふわとした雰囲気はあるけれど、そんな感じの人は丹さんの他にも大勢いる。


 自身が経営するこの喫茶店ラング・ド・シャを丹さんは毎日昼前には店を開けているし、燦々と日光が降り注ぐ中商店街やスーパーに買出しに行っている姿を何度も見かけたことがある。結論から言えば丹さんが陽光に弱い吸血鬼であるはずがなく、蘇芳さんは信憑性皆無のほらを吹いているだけだった。


「何がおかしいの?」


「そりゃ吸血鬼なんているはずがないものをいると言い張って、しかも昼間働いている自分のお姉さんを吸血鬼だなんて見え透いた嘘をついたら誰だっておかしいでしょう?」


 他愛もない嘘を滑稽に感じて僕の口元が緩んでしまったことに彼女は目敏く気付く。しかし僕は言い訳をせずに彼女の嘘を一笑にふすと、丹さんと来栖さんに同意を求めるように視線を向けた。


「いや、吸血鬼がいないとは言い切れないだろう?」


「そうよ常葉ときわくん、自分で確かめてもいないのに断言するのはよくないわ」


 意外なことに来栖さんと丹さんは彼女の荒唐無稽なほら話に食いついてきた。一瞬彼らも吸血鬼の存在を信じているのかと思って僕は呆気に取られてしまう。だが丹さんたちが頭ごなしに彼女の嘘を否定しなかったのは、下手に蘇芳さんの機嫌を損ねずに適当に話を合わせておいて彼女を学校に通わせようとする算段を踏んでいるのだろうと冷静に判断する。


 複雑な家庭事情の悩みに加えて思春期特有の痛い思い込み、俗に言う中二病に罹患しているらしい蘇芳さんを社会復帰させるために、丹さんたちが苦労していることがうかがい知れた。


「…そうですね、いろんな人がいるこの世界に吸血鬼がいたっていいじゃないですか」


 ここで吸血鬼が実在するか否かの議論をすることは不毛であり、僕は掌を返して丹さんたちと同じく吸血鬼が存在する可能性を示唆する相槌を打つ。


 今話し合うべきはいるはずもない吸血鬼のことではなく、現実に人生を棒に振ろうとしている1人の少女をどうにか学校に戻らせる道筋を立てることだった。ここで丹さんの妹の社会復帰に貢献しておけば、絶望的に見える僕の恋にも一筋の光明が差してくるかもしれないという下心も動いて、僕は大人たちと同じスタンスを持とうと務める。


「ほらね、人間と吸血鬼は仲良くできるってあなたも思うでしょう? 実際に吸血鬼のまこねえと人間のクーくんはお互いに好き同士で高校生の時から同棲しているもんね!」


 都合よく僕の言葉を解釈した蘇芳さんに手を握られて、不覚にも一瞬僕はときめいてしまう。だが彼女の口から語られた丹さんと来栖さんの深い仲を聞いた途端、淡い恋心ががらがらと音を立てて瓦解していくのを感じた。


「高校生の時から、同棲……」


「大切なのはそこじゃないよ、吸血鬼のまこねえと人間のクーくんが愛し合っていることだよ!」


「蘇芳、周りのお客様に迷惑だしそんなに大きな声で騒がないでちょうだい……」


「そうだ、お前の声が店中に響いて耳が痛いんだよ」


 丹さんと来栖さんの関係について注目しているポイントに齟齬があったものの、蘇芳さんは再度2人が親しい仲である事を力説する。蘇芳さんに店にいるお客さんたちに自分たちの関係を言い触らされて、丹さんと来栖さんは本当に気恥ずかしそうだった。


「え~だってホントのコトじゃん。あんまりにもまこねえとクーくんの仲がよくて、あおいねえの目の毒だって言われたから斎さんの家から引っ越したんじゃない」


「俺たちは一人前と認められたから斎さんの家から独立したんだよ。飲み終わったんならさっさとウチに帰れ!」


「ウチってこの上じゃん、そんなに急かさなくてもすぐ帰れるじゃない?」


「ここは丹と俺の家だ、お前はいい加減に斎さんの家に戻れ!」


「だって斎さんのトコに居づらいんだもん、それにここならご飯もまこねえに作ってもらえるし~」


「クーくん落ち着いて。仕事は終わったんだし蘇芳、上に戻りなさい」


 保護者2人がうろたえるのを見て調子に乗った蘇芳さんは、ここぞとばかりに来栖さんをおちょくる。あんな恐ろしげな人をよくからかう気になれるものだと改めて彼女の肝の太さに感服していると、来栖さんの語気がどんどん荒くなっていった。


 頑健な肉体を誇る来栖さんに暴れられては困ると丹さんはどうにか彼を宥めつつ、妹の蘇芳さんに店から出て行くように言いつける。


「え~だってまだこの人に相談聞いてもらってないよ~」


「だったら常葉くんも一緒に連れて行って、部屋で相談に乗ってもらいなさい!」


「えっ!?」


「分かった、それじゃウチに行こうか常葉」


 蘇芳さんが店内に居座ろうとごねると、丹さんは僕を自宅に上げるという荒業で対処しようとする。憧れの丹さんのお宅に入れてもらえるという喜びと、そこが同時に苦手としている来栖さんの家でもあるという恐ろしさで僕の頭の中は混沌としていた。


椅子の上で硬直している僕を見かねて蘇芳さんは無理矢理椅子から立たせると、僕の手を引いて店の奥にある扉を開いて居住区画へと引き入れていった。



Foxy girl 了


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