10、Garnish
僕がバイトしている店は御門市南部にある住宅地の中にひっそりと建っている。決して提供する料理の味やサービスの質も低くはないこの店で万年閑古鳥が鳴いている一因に、軒を連ねる民家の間にこの店があまりにも自然に溶け込んでしまっていることがあると個人的に考えている。
住宅地の家々の中に埋没するようにして店を構えている喫茶店ラング・ド・シャは慎ましやかに、辛辣な表現をすれば商売っ気がなく営業を続けている。
集客の見込める土日祝日を基本に人手が要りそうな時だけ頼まれるラング・ド・シャでのバイトはそれほど忙しいものではなく、憚らずに言えばもう少し働かなければ罰が当たるのではないかというくらい暇な仕事だった。
今も日曜の昼下がりだというのに店内には顔馴染みの客が一組しか入っておらず、その客も我が物顔でテーブルに陣取って話し込んでいるばかりで一向に注文をする気配がなかった。
清掃は30分ほど前に済ませたばかりの上、開店してから今日はまだ一度も注文が入っていないために食器棚や冷蔵庫の中は整然としており、当然厨房のゴミ箱には塵一つ入っていないのでゴミ出しの必要すらない。
柔らかな日差しが差し込み程よく空調の利いている店内で何もすることがないせいで僕は眠気を感じた。しかしバイト代は安いとはいえ、一応お金をもらって仕事しているのだからどんなに暇でも気を緩めてはいけないと自分に言い聞かせた矢先、僕の隣から気の抜けた欠伸が聞こえてきた。
「そんなに大きな欠伸をしないでくださいよ、丹さん」
「ごめん常葉くん、今お客さんはあの子たちしかいないからいいかなって思ったんだけど……」
「…この店の主人は丹さんがそう思うのなら、バイトの僕がとやかくいう筋合いはありませんよ」
ラング・ド・シャの女主人をしている丹さんが茶目っ気のある態度で悪びれてくると、僕は暢気な雇い主をこれ以上諌める気を失くした。
丹さんは二十代半ばで小さくてもお店の経営者でもあるのに、年頃の女の子のような恥じらいをよく見せる。年甲斐もなく頼りないと言ってもいいんだろうけど、それを棚上げにしているような甘えは感じられないし、丹さんの不器用だけど誠実な人柄が表れているような不思議と嫌な感じはしない。
今みたいに店長として至らない点を見ても、丹さんの少し困ったような笑みを見る度に僕は毒気を抜かれてそれほど彼女のことを責められなかった。
「すみません、オーダーお願いします」
「はい、今お伺いします」
唯一テーブルに着いている客たちがようやく注文するようになると、丹さんは伝票を持って注文を聞きに行く。
あの客たちのことだから多分ソフトドリンクを注文くるだろうし、製氷機の氷を減らすいい機会だ。あるいはケーキと一緒に温かい飲み物を頼んでくるかもしれない。そうなれば最近気になっているケーキの売れ残りも防ぎやすくなるからそれでもいい。
客から注文を聞いて丹さんがキッチンに戻ってくるまでの間、そんなことを考えながら次の作業を想定していると入り口のドアが開いて店内に入ってくる人影があった。
「いらっしゃいませ…あ、来栖さん」
「お帰り…クーくんその傷どうしたの!?」
新しい来客かと思って出迎えようとしたが、中に入ってきたのは古株のキッチンスタッフ来栖さんだった。大股で奥に向かっていく来栖さんを丹さんは愛想よく出迎えるが、頭1つ分高い位置にある彼の顔を見て彼女は驚きの声をあげる。
ガラス戸から差し込んでくる逆光が強烈で見落としてしまったが、来栖さんの左頬は擦り剥けて血で汚れていた。店に戻ってくるまでに血止めをしたようだが、傷口からは未だに血がじくじくと滲んでいる。
190cm近い長身で体格もよく陰影を濃く刻む彫りの深い顔立ちをしている来栖さんがそんな風に顔を負傷していると、俄かには近寄りがたい異様な凄味を感じずにはいられなかった。
「仕事先でちょっと、な」
「すぐ手当てしなきゃ!」
来栖さんは怪我をした経緯を適当にはぐらかそうとするが、丹さんは彼の左頬の傷を不安げに見上げると彼の腕を取って店の奥にある居住スペースへと引っ張っていく。奥の壁に設置された扉を押し開けると、丹さんに手を引かれたまま来栖さんはその向こうへと消えていった。
「…霧島さん、来栖さんってこの店以外にどんな仕事をしているの?」
「ん~ちょっと説明しにくい仕事なんだよね~」
「説明しにくいって…やっぱり人に言えないような悪いことしているの?」
「ううん、クーくんが他所でやっている仕事は悪いことじゃないし、むしろみんなのためになることじゃないかな」
「…結局来栖さんは何の仕事をしているの?」
「まぁ、平たく言えばエクソシストかな」
来栖さんの顔の怪我を見て、髪を短く切り揃えてボーイッシュな印象を受ける中学生くらいの若い女性客が声を潜めて、彼がこの店の他にしている仕事の内容を向かいに座る客に訊ねる。
質問された背中に届く髪を1本の三つ編みに束ねた中学生くらいの少女は、当初来栖さんがやっている仕事への言及を避けようとする。しかし来栖さんが悪事を犯しているのではないかと質問をした客が疑念を抱くとその弁護のため、彼がこの店以外で行っている仕事の内容を打ち明けた。
「エクソシスト…本当にそんなことしている人がいるんだ」
「うん、御門みたいに大きくて歴史のある街にはエクソシストじゃなきゃ解決できない問題が頻繁に起こるし、エクソシストも副業として成り立つ訳。ま、ウチに関して言えばクーくんがエクソシストとして稼ぐ方が、本業であるこの店で働くよりもずっと儲かるんだけど」
「そ、そうなんだ……」
電波なことを嘯く三つ編みの少女に相槌を打って、話を聞いてやろうという姿勢を保てるショートカットの少女の度量に僕は密かに脱帽した。いつ愛想をつかされてもおかしくないのにこうして辛抱強く付き合ってくれているのだから、その厚意に応えて学校に行くべきだと僕は三つ編みの少女を非難の眼差しで一瞥する。
「ね~常葉、まこねえ伝票持ったまま行っちゃったから、もう一回注文聞きに来てよ」
「メニューの準備をするのは丹さんが戻ってきてからでもいいだろ? どうせ閉店まで居座るつもりなんだろうから少し気長に待つくらいの気遣いはしなよ」
「吸血鬼のまこねえが血を見たんだから、血の渇きを抑えられる訳ないじゃない。クーくんの血を味わってまこねえの疼きが納まるのを待ったら20分はかかるよ。身内のあたしはともかくミチルをそんなに待たせるのはお店として失礼じゃない?」
「…分かったよ、注文は何?」
僕と目が合うと、三つ編みの少女は注文を書いた伝票を持ったまま来栖さんの治療に行ってしまった丹さんの代わりに改めて注文を取りに来るよう促してくる。丹さんが吸血鬼で来栖さんの血を飲むという戯言はともかく、注文を聞いた丹さんいつ戻ってくるか分からない状況では注文を聞き直した方が無難というのは妥当であったので、僕はしぶしぶ注文を取りに向かった。
「あたしはクランベリーシェイクとチーズトースト、ミチルはミルクレープとホットの紅茶にレモンをつけて」
「カシコマリマシタ」
「なによ、その事務的な返事。お客にはもっと愛想よくしなさいよ」
「モウシワケアリマセン」
キッチンを出てわざわざ注文を聞きに来た僕に、三つ編みの少女は注文を済ませると今度は文句を言ってくる。僕以上にこの店に深く関わっているくせに客として振舞うなと言い返したかったが、ここは堪えて大人しく相手のイチャモンを聞き流すことに徹する。
「やっぱりさ、サービス業は笑顔と愛想が一番よね~常葉にはそれが不足していると思わない?」
「霧島さんと上鳥羽さんは仲良いんだし、普通のお客さんと同じように接するのは難しいんじゃないかな?」
「そんなの言い訳よ、友達だろうが恋人だろうが勤務中にお店に来たらお客様としてもてなすのが礼儀ってモンでしょ」
癪に障る三つ編みの少女の偉そうに垂れ流す口上を掻き消すため、僕はシェイクを作るために冷凍のクランベリーと牛乳を入れたミキサーのスイッチを点けるといつもよりも長めに攪拌させた。
初めは擂り潰されていたクランベリーが悲鳴をあげているような不協和音が聞こえなくなり、モーターの規則的な回転音しか聞こえなくなると僕はミキサーのスイッチを切って攪拌された半固形状の内容物を氷の入ったグラスに注ぐ。
「こんにちは~♪」
オーブンに入れたトーストが焼きあがるまであと1分少々、この間に紅茶とミルクレープの用意を済ませておこうと考えていると店のドアが開き朗らかな女性の声に続いて2人組の男女が入店してきた。
「いらっしゃいませ」
「そんなに他人行儀にならなくてもいいのよ常葉ちゃん。忙しい勉強の合間を縫ってアルバイトをしているなんて偉いわ」
「…まだ受験は先のことですし、そんなに大変ってことはないですよ。空いている席にご自由におかけください」
入店してきた眼鏡をかけた丸顔の女性、天満さんと僕は顔見知りであり、彼女は肩肘張らずに接する許可をしてくれる。天満さんからいただいた労いの言葉に僕は謙遜すると、内心かなり鬱陶しかったので早く奥に行くように席を勧めた。
「窓側の席でいいよね、雪人?」
「ああ、日差しが差し込んで温かいだろうし」
「わたしと雪人の仲睦まじい姿を見れば、通りを行く人もきっと温かい気持ちになれると思うわ」
「…やっぱり奥の席にしよう」
天満さんが通りに面した窓際の席を選ぶと、連れの男性は陽気がいいので初めは快く了承する。しかし通行人に自分たちの姿を見せつけようとしている天満さんの意図を知ると、彼は彼女の手を引いて三つ編みの少女たちの後ろの席に座った。
「もう、相変わらず雪人はシャイなんだから。でもそういうところが可愛いのよね~」
「ラブラブですね、カミオカ先生とカンナさん」
「霧島さんと柊野さん……」
「カミオカ先生がここでミチルと話をするようにって言ったんだから、あたしたちがいることにいちいち驚かないでよ」
天満さんと連れの男性の仲を冷やかされて、彼は自分たちの隣の席に三つ編みの少女とショートカットの友人柊野さんがいることに気づいたらしい。休日の喫茶店で教え子に居合わせたことに彼は驚くが、三つ編みの少女は相変わらず生意気な口を利く。
「へぇ、蘇芳ちゃんが雪人に勉強教わっているんだ。おまけに雪人の弟の常葉ちゃんが蘇芳ちゃんのお姉さんの丹のお店でバイトしているし、世の中って狭いね~」
「ホントですよ。こんなに行く先々の人がつながっているんじゃ、人間関係に広がりが出にくくて面白くありません」
天満さんが愉快そうな顔を浮かべて呟いた一言に、三つ編みの少女蘇芳は皮肉めいた表情で溜息をついた。そんなに閉鎖的な人間関係が嫌ならちゃんと学校行って、柊野さん以外のクラスメイトと関わってこいよ……
しかし遺憾ながら世の中が狭いということには僕も2人と同感である。そしてそう感じるからこそ、友人の丹さんが主人をしており恋人の弟である僕がバイトしているラング・ド・シャでお茶を飲むのを天満さんには遠慮して欲しいと切に思う。
天満さんと兄貴が席に着くまでのやり取りに気を取られていると、入り口のドアにかけられたベルが鳴ってまた客が入店してくる。
「いらっしゃいませ……」
「あ~お腹空いた、適当になんか作ってよ…あれ、姉さんは?」
「丹さんは怪我して帰ってきた来栖さんの手当てを奥でしていますよ」
「家に帰ってこられる程度の怪我なら自分で処置させりゃいいのよ、ホント姉さんはクーくんに甘いんだから……常葉、とりあえずスコーンとコーヒーちょうだい。スコーンはちゃんと温めて、よく泡立ったクリームをつけるのよ」
しかし来店してきたのはまた顔見知りの人物で、丹さんの妹であり蘇芳の姉の大学生の葵さんだった。葵さんは兄貴たちが避けた窓際の席に移動しながら注文をすると大仰な態度で椅子に腰を下ろし、向かいの席に颯爽と翻していた赤いレザージャケットを無造作に投げ出した。
「常葉ちゃん、オーダーいいかしら?」
天満さんが猫撫で声で注文を取りに来るように僕を呼ぶ。いつもは注文を決めるまでにやたらと時間をかけるから先に蘇芳たちのテーブルにメニューを出してから注文を取りにいこうと思っていたのに、今日はやけに早く決めたせいで蘇芳たちに出すメニューもまだトレイに乗せ終わってもいなかった。
「ちょっと待っててください、すぐお伺いします!」
「常葉、あたしのシェイクとチーズトーストまだ~?」
「今持ってくよ!」
少々乱雑な積み方になってしまったが、蘇芳と柊野さんの頼んだメニューを乗せたトレイを抱えて彼女たちのテーブルに配膳しに向かう。
「グズグズしてないで早くコーヒーとスコーン持ってきなさいよ。これ以上血糖値が下がったら脳の働きが鈍っちゃうわ!」
「す、すみません…少々お待ち下さい」
蘇芳と柊野さんの前にそれぞれ注文した品を並べていると、窓際のテーブルから葵さんの罵声が飛んできた。元々気性が激しい人だけど、お腹が空いているとその性質がより顕著になってしまうことをバイトの経験を通して僕は知っている。あまりメニューを出すのに時間がかかって葵さんの機嫌を損ねると、面倒なことになりかねない。
「常葉、俺たちのオーダーは聞かないのか?」
兄貴と天満さんには悪いけど、ここは葵さんの怒りを宥めるため彼女にメニューを出すことを優先しようとしてキッチンに戻ろうとする僕を兄貴が呼び止める。
…兄貴、どうして間の悪いことに関してはタイミングが絶妙なんだ?
「ちょ、ちょっと待っててくれないか……?」
「常葉ちゃ~ん、わたし仕事明けでお腹減ってるんだけど~?」
「この後ゼミで研究会があるからのんびりしている暇がないの、さっさと注文したもの出しなさい!」
兄貴と天満さんにもう少し待ってもらえるように懇願する目を向けるが、ラジオ局の仕事明けでそのままここにやってきたらしい天満さんの眼鏡の奥の目は笑っていない。
天満さんの剣幕に気圧されて注文を聞くくらいすぐに終わるのだからそれを済ませた後に葵さんの注文の品の準備をしようとすると、葵さんがかなり苛立った様子でメニューの配膳を急かしてきた。
「あーもう見ていられないわ。常葉、カンナさんたちの注文はあたしがとってあげるからあんたはあおいねえの頼んだものを用意してあげて。このまま放っておいたら、あおいねえがお店で暴れだしそうだもの」
アクの強い年上の女性たちに睨まれてその場に射竦められてしまった僕を見かねて、蘇芳が仕事の手伝いを申し出てくれた。蘇芳は椅子から立ち上がると、兄貴たちのテーブルの横に立って注文を聞こうとする。
「失礼なこと言わないで蘇芳、大人のアタシがそんなことする訳ないじゃない!」
「お腹の空いている時のあおいねえは、血に飢えている吸血鬼よりも凶暴なんだからそんなのアテにならないよ~」
「ちょっと蘇芳!」
「お客様、お決まりのご注文をお伺いいたします」
キッチンに戻ってスコーンをオーブンで温め直し、冷蔵庫からスコーンに添える生クリームを器に移しつつ泡立ち具合を僕が確かめていると、中学生の妹の軽口に大学生の姉がムキになって反論している喧騒が聞こえてくる。
確か蘇芳と葵さんは8つ歳が離れていたはずだが、普段澄ました様子で居丈高に振舞っている葵さんが蘇芳と喧嘩している姿は僕らとそう歳の変わらない、あるいは年下の女の子のように思えた。感情を剥き出しにして憤る姉を尻目に、蘇芳は素知らぬ顔で天満さんと兄貴の注文を聞いていた。
蘇芳に姉の怒りの矛先を自分に向ける意図があったのかどうかは分からないけれど、とにかく葵さんの注意が彼女に集中したことで僕は手際よくメニューを配膳する用意を済ますことができた。
「カンナさんはカレーセットでコーヒーは食後にフレッシュと砂糖をつけて出して。カミオカ先生はクラブハウスサンドセットを頼んだわ、やっぱりコーヒーは食後に欲しいそうだけど何もつけずにブラックのままお願い」
蘇芳が聞いてきてくれた兄貴たちの注文をカウンター越しに述べてくるのを、僕は伝票にペンを走らせて書き留める。
「あおいねえのオーダーの用意できてるみたいだし、あたしが持ってってあげるよ」
蘇芳はカウンターに僕が乗せた焼きあがったスコーンとコーヒーの乗った皿を手に取ると、葵さんのテーブルに運ぶと申し出てくれた。
「ありがとう、助かったよ」
「お礼はあたしとミチルのオーダーをタダにしてくれるのでいいよ」
なるほど、気前よく協力してくれたのはそういうことだったのか……
「ちょっと待て、それはぼったくりだ」
「お客のあたしが手伝ってあげたんだよ、それくらいのサービスはしなさいよ」
たったこれだけのことで僕は蘇芳に2000円近くも支払う勘定になり、報酬として不当なほど割高だと僕は抗議する。しかし蘇芳は僕の訴えを無視して、スコーンとコーヒーの乗ったトレイを抱えて窓際の席へと行ってしまう。
「やっと注文したものが出てきたわね。姉さんといい常葉といい、ここのスタッフは他所のお店じゃ使い物にならないグズばっかりよ」
「ふーん、せっかく運んできてあげたのにそういうこと言うんだ。だったらお勘定は結構ですのでお客様、お引取りください」
メニューを持ってテーブルの前にやってきた蘇芳を一瞥すると、葵さんは僕だけじゃなくて自分のお姉さんである丹さんのことも罵る。しかし蘇芳は葵さんの漂わせる険悪な空気にも物怖じせずに、一度テーブルの上に並べた食器を回収しようと手を伸ばした。
「べ、別に食べないとは言ってないわよ!」
一口もつけないまま下げられそうになる食器を葵さんは咄嗟に庇う。
「無理に食べていただかなくてもよろしいんですよ、鈍臭い人間の作った料理なんてお客様のお口に合わないんじゃないですか~?」
「…配膳の手際は悪くても、姉さんの作った料理は美味しいわ」
葵さんはお姉さんの丹さんの料理が食べたくてこの店にやってきたことが照れ臭そうな顔をすると、窓の外に視線を逸らす。僕に背中を向けているので蘇芳の表情は分からなかったが、屈折した態度を改めて本音を吐露する姉の態度を楽しんでいるのは間違いなさそうだ。
「最初から素直にまこねえの料理が食べたいって言えばいいのに、どうしてあおいねえは余計な憎まれ口を利いて相手の気を悪くさせるのかな~?」
「う、うるさいわね…用が済んだらさっさと友達の所に戻りなさい。アンタなんかに付き合ってくれる数少ない友達は大事にしなさいよ!」
ようやく食事にありつけるようになった葵さんは、蘇芳が僕の手伝いをしていることで友達の柊野さんを待たせていることを注意する。キツくて捻くれた性格をしているけど、なんだかんだ言って葵さんは妹の蘇芳を大事にしているんだよね。
「わかってるよ、あおいねえ。そうだ、さっきの注文は常葉が奢りになるからもう1品何かオーダーしようっと♪」
「おい、誰も奢るとは言ってないぞ!」
「無駄口利いている暇があるなら手を動かす。カンナさんとカミオカ先生もお腹をすかせているんだから待たせちゃ駄目だよ?」
社会人だから葵さんみたいに喚きたてることはしないし、身内の兄貴と身内になるかもしれない天満さんだけど、お客さんとして来ているからには注文された品を出すのを長引かせてはいけない。
蘇芳に言われた通りなのは癪だけどお客が注文の品を待っている以上、彼女と言い合いをしている暇など僕にはなかった。
「お待たせしました」
「ありがとう。蘇芳ちゃんは年下なのに常葉ちゃんのことをしっかりお尻に敷いて手綱を取っているのね~わたしも見習わなくちゃ」
「見習わなくていいです、それにあいつの尻にも敷かれていません」
準備できたメニューを配膳していると、天満さんが蘇芳の横暴さに感心しているようなことを口走る。天満さんは僕と蘇芳の関係を甚だしく誤解しているし、あなたは今でも充分に兄貴の手綱を握っていますよ……
「照れちゃって、やっぱり高校生は初々しいな~わたしたちも最初はお互いの距離を掴みにくかったよね、雪人?」
「そう言えなくもない、かな……?」
兄貴は天満さんに気を使って彼女の思い出話に口裏を合わせた。距離が掴みにくかったのは本当だろうけど、天満さんは学生時代から兄貴に積極的なアプローチを繰り返していて、兄貴は距離を置くことも出来ずに結局天満さんが密着された状態に慣れてしまったというのが実情だった。
「…ごゆっくりどうぞ」
兄貴と天満さんの語らいに水を差しては悪いと感じて、僕は食器をテーブルに並べ終えるとキッチンに戻っていく。キッチンに戻って調理に使った道具を片付けながら、兄貴たちのテーブルを一瞥するとそれなりに楽しく会話を弾ませているようだった。
強引な所はいくらか、いや多分にあるけれど天満さんが兄貴を好きな気持ちに嘘はないと思う。兄貴も気圧されてはいるけれど、天満さんから寄せられている想いに正面から応えようとしている。だから今も2人はこうして交際を続けているんだろう。
厚かましい所は苦手だし、いつまでも子ども扱いされる点には辟易しているけれど、僕自身天満さんのことは嫌いじゃない。明るくて活発な性格をしているし、ちょっとぽっちゃりしているけれど包容力のある魅力的な女性だと思う。実際、兄貴が不満じゃなければ天満さんが自分の義姉になっても構わない。
「彼女、か……」
もうじき高校1年も終わろうとしているけれど、未だに僕に浮いた話はない。兄貴はこの頃には天満さんと付き合い始めていたことを考えると、少し兄貴に対して負い目を感じてしまっている。
「常葉、フルーツパフェ1つ追加で~」
「…前の注文も合わせて奢らないからな」
「なによケチ~恩知らず~」
こっちは奢るとは言っていないのに、蘇芳の中では手伝ってくれたことのお礼として僕が食事を奢ることが決定しているようだった。チョコパフェよりも値段の高いフルーツパフェを注文してくることからそう考えて間違いないだろう。
追加でオーダーしてきたフルーツパフェはもちろん、先に注文した品も奢るつもりは一切なかったが、僕はパフェを作る準備に取り掛かる。
今後自分が異性と付き合うことになっても、妄想癖があり自己中心的な蘇芳のような相手だけはごめんだと、パフェを作りながら僕はしみじみ感じるのだった。
Garnish 了