ショートケーキの苺は、なぜこんなに美味しいのか
お読みくださりありがとうございます。
男女の静かな日常小品です。
お楽しみいただけますと幸いです。
「ショートケーキのうえに載ってる苺って、なんでこんなに美味しいんですかね?」
彼女はその日、男の誕生日だからと嬉々としてショートケーキを買ってきて男の家に押し入り、にも関わらず主役の男より嬉々としてケーキを食べていた。
今も苺を見つめながら、食べるのがもったいないからあとで食べようか、それとももう食べてしまおうかと本気で悩んでいる。
男はその様子に苦笑いしながら、自分のショートケーキを食べ進めていた。
正直、自分には普通の苺とショートケーキの苺の違いが分からない。
「君は、食べ物が好きだよね」
「そうですか?」
首を傾げる彼女は、その自覚がまるでないようだった。しばらく一人でショートケーキをまじまじと見つめてから、彼女はくるりとこちらを向く。
「貴方は、どうしてだと思います?」
こちらに振られても困る、というのが正直な感想だった。
「……クリームがついてるからじゃない?」
それでも答えを待つ彼女に取り敢えずあり得そうなことを言ってみる。
「うーん、それだけでこの美味しさが出るかなあ」
彼女はまたまた本気で首を傾げた。
その真剣な横顔を見ながら、男は苦笑する。これで彼女は、食べることが好きだという自覚がないらしい。
「あっそうだ!」
不意に明るい声が上がった。彼女の顔が、素晴らしいことをひらめいたと自慢げに輝いている。
「それなら今度、試してみましょう」
「え?」
「苺にクリームをかけただけで同じ美味しさが味わえるかどうか、試してみるんです。そうすれば、ケーキの上にあることがこの美味しさの必要条件なのかどうかが分かります」
ぴんと人差し指を立てて、彼女は男に意気揚々と説明する。その顔は、すでにやる気満々だった。
男が答える前に彼女は、さっそく来週、苺と生クリームを持ってきて実験するぞと意気込みはじめる。
高々ショートケーキの苺のために、そのバイタリティと執念はすごい。
「まあ、やってみたら」
きらきらの目線をやんわりとなだめるように、男は答えた。
「はい」
重要な命令を仰せ使った兵隊のようにぴしっと返事をしてから、彼女は鼻歌を歌わんばかりのご機嫌さでショートケーキを完食した。
──────────
翌週、彼女は宣言通り、苺と生クリーム、泡だて器、ボウルが入ったぱんぱんのカバンと共に男の家を訪れた。
氷でボウルを冷やしながら、懸命に腕を回して生クリームを泡立てていく。
生クリームは最初、さらさらとした液体なわけで、そこから角が立つほどのホイップにする労力を考えると途方もない。
彼女が果敢に立ち向かうのを横で見ながら、男はよくやるなあと半ば呆れ、半ば感心していた。
シャカシャカと混ぜながら彼女が言う。
「今週ずっと考えてたんですけど、やっぱり苺に生クリームだけじゃ、同じ美味しさは出せないと思うんですよ」
「……なんだって?」
あまりにさらっと、何でもないことのように言うので男はぎょっとした。
……ならば今のその労力はなんだ。
「やっぱり、クリームのお陰でちょっとしっとりしたスポンジとか、中に挟まってるカットされた苺とクリームの層とか、華やかな見た目とか、そういうひとつひとつの要素が、一番上の苺をおいしくしていると思うんです」
彼女は口を動かしながら、生クリームを泡立てる腕を止めない。早くもさらさらの液体が固まり始めている。
「……なるほど」
「だから多分、この実験は失敗します」
あっさりと言ってのける彼女は、それでも着々と生クリームをふわふわにしていく。
「それなら、どうしてこんな実験を?」
彼女の意図を測りかねる傍らで、男は彼女の手際に密かに舌を巻いていた。
彼女が料理をする姿は殆ど見たことがないが、恐らくその腕前はかなりのものだ。涼しい顔で喋りながらやっているこの作業、恐らく慣れていないとこんなに手際よく泡立てられないだろうし、こんな風に平然とした顔で長時間続けることもできないだろう。
彼女は腕は止めぬまま、斜め上の空間を仰いで束の間思案する。
「どうしてって言われても……。強いて言うなら、試してみたかったからです」
「この労力をもってしても?」
「はい」
彼女は、朝ごはんは食べましたかと訊かれた時と同じくらい、さっくりとしたテンションで頷いた。
男はもはや、驚きと言うよりカルチャーショックに圧倒された。
「……すごいな」
いやいやと思わず笑ってしまう。
そのエネルギーは瑞々しい若さの象徴なのかもしれないが、彼女にだけは、これから歳を重ねてもずっと、残り続けている気がする。
「貴方がいますし」
「え?」
思わぬ言葉に、男は顔を上げて彼女を見る。
彼女の声はまた、さらりと当然のことのようだった。
だって、と彼女は続ける。
「失敗しても楽しいでしょう? 二人なら」
目を伏せて、彼女は控えめに微笑んだ。
その顔も仕草も、出会った頃よりはるかに大人びていた。頬を僅かに染めるその様子は、明るく元気な傍らで彼女が、些細な思い出も繊細に、大切に抱きしめていることを思わせる。
不思議だった。
きゃあきゃあと何にでも楽しく騒ぐ若い彼女もまだ、目の前にいるのに。
「そうかもね」
男はまた、ふっと笑った。
不意に艶っぽく心を攫われる、そのどうしようもなさに、優しく笑うのが精一杯なだけかも知れなかった。
気がつけば、生クリームがもくもくとボウルのなかで立ち上がっていた。
「よしっ! できたーっ! 疲れたあ。腕が棒ですよ」
彼女が泡だて器から手を離す。同時に全身から、やりきった感が一気に溢れ出た。
ぐいっと伸びをする彼女を横目で見ながら、そろそろかと男は思う。
おもむろに冷蔵庫の方へ行き、あるものを取り出した。それから芝居がかった様子で彼女に向き彼女る。
「さて、お疲れの君には労いがいるかな?」
とん。
ぱちぱちと彼女は目を瞬いた。
恭しく男がキッチンのカウンターに置いたのは、有名店のショートケーキだった。
「わーっ! これ、買ってくれたんですか?」
目を輝かせて皿を両手で顔の前に掲げた彼女に、男はまあねと頷きながら苦笑する。
自分で買ってきておいてなんだが、この状況でショートケーキを出されて喜ぶのは彼女ぐらいだ。そんな独特さがおもしろい。
「一応、煎餅も用意してるけど」
「分かってると思いますけど、断然こっちがいいです」
彼女はしゃきっとした顔で言い切った。
「……君って本当に甘いものをよく食べるね」
「こういうのは別腹です」
嬉々とした彼女の様子を見ていると、男も自然に頬が緩んだ。
「それじゃあ、食べましょう」
それから、二人でボウルいっぱいのホイップをつけて、大量の苺を食べた。
彼女はやはりショートケーキの苺こそ特別だという結論に達したらしく、満足げな顔をしていた。
その横で男は、ただのホイップの方がいくらか美味しいような気がしていたが、作ったのが彼女でなければまた考えは変わっただろうとも思って──。
「まあ、君の気が済んだならよかった」
結局、男にはっきりと分かったのは、そのくらいだった。
お読みくださりありがとうございました。
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※作者は現在、青春長編を連載中です。
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また次回もお目にかかれますように。




